- 2022年02月21日 22:00
池田清彦「生物にとって認知症とは何か。それは神様がくれたご褒美という考え方もできる」 - 「賢人論。」第158回(後編)池田清彦氏
2/2
「認知症は人生の最期に神様がくれたご褒美」という考え方
池田 認知症になるのを悪いことだと思っている人もいるけど、本当はそんなことないんですよね。「認知症は人生の最期に神様がくれたご褒美だ」という人もいるけれども、そういう一面もある。
死への恐怖が薄れるのがまずいい。頭が冴えたままだと、死ぬのが嫌だなと考えてしまう。がん末期の認知症の人で「痛みを止めてくれ」という人は少ないでしょう。痛みに対する耐性が強くなるとは言えませんが、痛がらなくなるのは確かです。
がんでいつ死ぬかわからず痛みもひどい、がんになっても痛くなくて死ぬのが怖くない人。どちらが幸せかと言えば、後者の方が幸せという捉え方もできます。
みんなの介護 とはいえ「せん妄」などやはり認知症は大変なことが多いですよね。
池田 もちろん大変です。しかし「せん妄」は防げるかもしれないというデータがあります。
沖縄が日本に返還された直後、佐敷村(現在の南城市)で、琉球大学の先生が調査したところ、65歳以上の高齢者の認知症率は4%だったそうです。
ところが夜間せん妄などの周辺症状が出る人は皆無だった。同時期杉並区の調査でも65歳以上の認知症率は4%でしたが、半数に周辺症状がみられたということです。
認知症のおじいちゃんおばあちゃんに、やさしく尊敬の念で接している家庭では、周辺症状が起きる確率が極めて少ない。少なくとも当時の沖縄では、おじいちゃんおばあちゃんを家族中で大事にする風習がありました。
だから認知症になっていても全然暴れず、わりに穏やかににこにこ笑って生きていた。逆に介護施設などで夜中に徘徊する人を縛ると、さらに悪循環が起きる可能性がある。
今一番興味がある研究とは
みんなの介護 ここまでさまざまな切り口からお話しありがとうございました。最後にお聞きしたいのですが、池田先生がいま一番興味を持っていることは何ですか?
池田 虫の完全変態の起源に興味があります。虫にはサナギの時期がある完全変態とサナギにならない不完全変態というタイプがあります。
例えば、バッタは不完全変態です。卵からかえって幼生になり、徐々に大きくなって最後に羽が生える。その成長の途中、いつ見てもバッタの姿をしています。
これが蝶の場合、卵からかえった幼虫は誰が見ても蝶ではない。幼虫が蛹になると、蛹の中で幼虫を作っている細胞は死んで、幼虫の中にほんの少しだけあった成虫を作る細胞の原料になるのです。
成虫を作る細胞はどんどん分裂して、蛹の中で蝶になり、幼虫とは似ても似つかぬ生物が誕生するのです。
この問題は解剖学者の養老孟司さんも興味があって、養老さんと僕が考えたのが、これは二つの生物が合体したんじゃないかという説です。要するに、成虫になる生物が幼虫になる生物の体を乗っ取り、全部食いつぶして成虫になっているのではないだろうかということです。
もし、そうだとしても、どのようにして二つの異なった種が合体したのか。一生懸命考えていますが、なかなか難しいですね。
幼虫やさなぎのときにそれぞれ働いている遺伝子を突き止めていけば、もっとわかることがあるんじゃないかと思っています。面白い研究なので、誰か若い人がやってくれたら嬉しいですね。
みんなの介護 研究を引き継ぐことは重要ですよね。それから、池田先生自身の今後のご活躍も楽しみにしています。



