- 2022年02月21日 15:46
「保護する責任(R2P)」とは何か?――国家主権を問いなおす新たな国際規範 - 政所大輔/国際関係論・国際機構論
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はじめに
「私たちにはR2Pが必要だ(We need R2P)」
これは、2021年2月1日にミャンマーで起きたクーデターに抗議する市民のプラカードに書かれた言葉である。ツイッターのハッシュタグ(#WeNeedR2P)としても拡散した。R2Pとは“Responsibility to Protect”の略で、日本語では「保護する責任」と訳される(1)。国軍が一般市民に対して人道に対する罪を犯していると指摘される昨春来のミャンマーにおいて、ミャンマーの人たち自らが国際社会に対してR2Pを発動し介入することを求める、という事態が生じているのだ。日本のいくつかのマスメディアの論調にも、R2Pを根拠にミャンマーの市民を救うよう国際社会に訴えるものがみられる(2)。
そもそもR2Pとは何なのか。それは、国家と国際社会の双方に対して、ジェノサイドや人道に対する罪といった危機的状況から人々を救うことを求める国際規範である。国際社会に初めて登場したのは2001年と比較的新しいが、それから20年をかけて、国際連合(国連)を中心に支持を拡大し、当事者に対して適切な行動を促す規範としての地位を獲得してきた。にもかかわらず、クーデター以降、1,500人以上が犠牲になったといわれるミャンマーでは(3)、市民に対する弾圧がやむ兆しが見えないばかりか、国際社会も市民を保護するために積極的な対応を行っているとはいえない。
なぜ国際社会は、ミャンマーに対して積極的に介入することができないのか。基本的な原則として、各国家は主権を持ち、国外からの干渉を拒否することができるというのが現代国際関係の前提であり、これが壁となって国際社会によるミャンマーへの介入を阻むからだ。この前提からすれば、国連で認められたR2Pは、内政不干渉や武力不行使を中心とする国家主権の概念と真っ向から対立する可能性をはらんでいるということになる。以上を念頭に本稿は、R2Pがこれまでどのように国際社会に普及し、国家主権を再定義しようとしてきたのかを明らかにしていきたい(4)。
規範の形成と国連への導入
2001年にR2Pの概念が誕生した背景には、1990年代半ばに立て続けに発生した国際社会にとっての痛恨事、すなわち1994年のルワンダにおけるジェノサイドや1995年のスレブレニツァにおける民族浄化の衝撃がある。おびただしい数の一般市民が大規模に虐殺されるという危機的事態が生じるなか、当時の国際社会はこれを食い止めることができず、大量の犠牲者を出してしまった。さらに、1999年のコソボ紛争で、北大西洋条約機構(NATO)が人道目的を掲げながらも国連安全保障理事会(安保理)の明確な授権なしに空爆を行ったことも、人道的な軍事介入が(どのような場合に)容認されうるのかという国際的な問題提起につながった。当時のアナン(Kofi Annan)国連事務総長は、人道的な軍事介入が主権の侵害となるなら、ルワンダやスレブレニツァのような危機的事態に国際社会はどう対応すべきなのかと加盟国に訴えていた(5)。
こうしたなか、「人間の安全保障」の優先課題の一つとしてこの問題を捉えていた当時のカナダ政府は、2000年9月に「介入と国家主権に関する国際委員会(ICISS)」を設置することを発表した。人間の安全保障とは紛争やテロ、貧困、感染症、環境破壊といった多様な脅威から人々の生存や生活を守ることを追求する概念である。カナダは当時のアクスワージー(Lloyd Axworthy)外相が人間の安全保障に注目し、特に武力紛争による人々の犠牲を防ぐことを重視していた(6)。1990年代半ばから、対人地雷禁止条約の採択や国際刑事裁判所(ICC)の設置に注力し成功したカナダは、今度は人道的な軍事介入の問題に対して知的貢献をすることを目指したのであった。この課題に取り組むことになったICISSは、およそ1年の議論を経て、2001年12月に『保護する責任』と題する最終報告書を公表した(7)。
ICISSの目的は、深刻な人道危機に対する国際社会の関与と「人道的介入(humanitarian intervention)」を結びつけ、これを正当化するための論理を構築することであった。人道的介入とは、対象国の能力や意思とは関係なしに介入する側が人道目的を掲げて一方的に行う軍事介入を意味する、介入国の権利に着目した概念である。この概念に対してICISSは、まず各国家には深刻な人道危機から自国内の人々を保護する責任があることを確認する。そのうえで、ある国家にこうした責任を果たす意思や能力がない場合には、国際社会がその国家に代わって保護する責任を果たすという、責任を重視する論理を提示した。すなわちR2Pは、介入国の一方的な権利を強調する人道的介入の論理とは異なり、各国家による市民保護の責任を強調したうえで、国際社会の補完的な保護の責任を指摘するという論理構成となっている。
一方で、R2Pは人道的介入を正当化するために考案された論理であったため、植民地支配などを通して歴史的に介入の対象となってきた途上国の反発が大きかった。そこでICISSは、介入が系統立って行われることを保証するための基準を提示し、また介入を決定することになる国連安保理の常任理事国が、自らの死活的な国益が絡まない人道危機では拒否権の行使を控えるという提案を示すことで、途上国の抵抗を抑えるとともに介入の実現可能性を担保しようとした。さらに、R2Pは紛争の予防から進行中の紛争への対応、介入後の社会再建までを対象とする包括的な概念だと主張し、途上国も含めた国際社会の広範な合意形成を目指した。
しかしながら、R2Pの旗振り役となったICISSはあくまでもカナダ政府が支援した有識者の団体にすぎず、2000年代前半はR2Pの考えに国際社会の幅広い支持があったわけではない。そのため、カナダ政府は国連を、規範を普及させる際の主要な舞台と見定め、加盟国の支持拡大に奔走することになった。その過程で大きな契機となったのは、2005年9月に開催される国連総会首脳会合(世界サミット)で採択予定であった成果文書の草案作成であった。国連創設60周年を記念して開かれる世界サミットには多くの加盟国の首脳が参加することになっており(8)、そこで採択される成果文書に何が盛り込まれるかは各国の外交成果として非常に重要であった。
カナダ政府は、成果文書にR2Pの段落を挿入することで、国連加盟国すべてがR2Pに合意したという事実をつくろうと試みた。しかし、成果文書の草案作成をめぐる交渉過程では、途上国の多くがR2Pの考えに懐疑的であっただけでなく、当時の米国もボルトン(John Bolton)国連大使を中心に留保を強く主張した。初期の草案にはあった、ICISSがもともと提案していた軍事介入の基準や安保理常任理事国の拒否権を制限する案は、結果的に削除された。しかし、当時のカナダ政府や、R2Pに賛同していたアナン国連事務総長らの働きかけが奏功し、また後述する草案作成の進め方もプラスに作用したことで、R2P自体は成果文書の最終草案に残り、加盟国のコンセンサスで採択された(9)。



