記事

そもそも敬語になっていない…「させていただく」と言われるとイラッとする言語学的な理由

2/2

「させていただく」は人との距離をとる意味では敬語と同じ働きをしていますが、運用において近接化を帯びている点が従来の敬語とは異なります。ここでは、そうした遠近両方の性質を持つ「させていただく」を「新・丁重語」と名づけました。「新」を付けることによって、距離をとるだけの「丁重語」と差別化したかったからです。

カフェでテイクアウトの商品を手渡す女性オーナー ※写真はイメージです - iStock.com/Edwin Tan

気遣いのつもりが慇懃無礼になってきている

後ろの形が言い切り形に定型化すると使いやすくなり、私たちの注意は前にくる動詞にシフトします。そして、便利に使えると思って色々な動詞と一緒に使ってきたわけです。でも、ふと後ろを見ると、コミュニケーションが固定化していることに気がつきます。対人配慮が「合理化」されて多様性を失い、「させていただく」フレーズ全体がコミュニカティブな意味合いを失っているのです。

椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)
椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)

これはコミュニケーションにおける矛盾です。すなわち、コミュニケーションは近接化を図ろうとする行為であるにもかかわらず、そこで最も遠隔化効果の高い「させていただく」を交渉の余地のない言い切り形で使用しているからです。これはコミュニケーションにおいて、アクセルとブレーキとを同時に踏み込むような行為です。「させていただきます」には、ここにも相反する方向性が内在しています。そのことは「させていただく」が人々によく使われていると同時に、人々が違和感を抱く要因の一つになっていました。

ものごとには良い面と悪い面があります。「させていただく」を使うと絶妙な距離感が取れるので若年層に好まれているようです。しかし、アクセルとブレーキを使って微妙な距離感が調節できて便利だと思って使っているうちに使いすぎて、気遣いをやりとりしていたはずが、慇懃無礼になってきているのかもしれません。日本語は文の後ろの方で話し手の態度を示すので、終わり方にもバリエーションが必要だということです。

語尾のテンプレ化が気になってしまう

これを現在の日本語のコミュニケーション状況として眺めると、表面的な配慮は多様化しているにもかかわらず、実際の対人的側面における交渉的配慮は後退し、コミュニケーション全体としては貧弱化していると見ることができます。その意味で、「させていただく」をめぐる問題は、使う側の便利さというメリットが、受け取る側への不快感というデメリットになる矛盾を孕んでいます。そのことは、図表2のように図式化できます。

「させていただく」の抱える矛盾
出典=『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』

前にくる動詞の選択肢が多様化して距離感が調節できることは、話し手のインセンティブになっています。使う側は「させていただく」を敬意マーカーとして自分の丁寧さを演出するために使います。しかし、聞き手が気になるのはそこではなく、後ろの活用部分の固定化です。聞き手は「させていただきます」という言い切り形のために、コミュニケーションが自分に開かれていない印象を持つわけです。

「聞き手がどう感じるか」も考慮すること

ここでも話し手の意図と聞き手の解釈が食い違っています。実際のコミュニケーションでは、そこに年齢差や社会的役割が関わってくるのですから、意味合いはもっと複雑になっているはずです。

ここで考えているのは、話し手は丁寧に言ったつもりなのに、相手が失礼だと思うような場合のことです。ポライトネスのはずがインポライトネスになっています。ポライトネスを考える際には、話し手側の意図だけでなく聞き手側の捉え方も考慮に入れなければならないというのが、最近の考え方です。ここで示した「させていただく」をめぐる矛盾は、そのこととも呼応しています。「させていただく」表現に対する矛盾した印象は、こうした話し手側と聞き手側の視点の違いに関係しているのかもしれません。

----------
椎名 美智(しいな・みち)
法政大学文学部 教授
宮崎県生まれ。言語学者。お茶の水女子大学卒業、エジンバラ大学大学院修士課程修了、お茶の水大学大学院博士課程満期退学、ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph. D.)、放送大学大学院博士課程修了〔博士(学術)〕。専門は歴史語用論、コミュニケーション論、文体論。『歴史語用論入門』(共編著、大修館書店)、『歴史語用論の世界』(共編著、ひつじ書房)、『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)など著書多数。近著に『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)がある。
----------

(法政大学文学部 教授 椎名 美智)

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    BLOGOSサービス終了のお知らせ

    BLOGOS編集部

    03月31日 16:00

  2. 2

    なぜ日本からは韓国の姿が理解しにくいのか 識者が語る日韓関係の行方

    島村優

    03月31日 15:41

  3. 3

    「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来

    御田寺圭

    03月31日 10:09

  4. 4

    カーオーディオの文化史 〜ドライブミュージックを支えた、技術の結晶たち〜

    速水健朗

    03月30日 16:30

  5. 5

    BLOGOS執筆を通じて垣間見たリーマンショック後10年の企業経営

    大関暁夫

    03月31日 08:27

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。