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「戦争体験者でも、空襲の経験がある人とない人では全然違う」田原総一朗・毒蝮三太夫"超老"対談

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学童疎開しなかった親父の思い

爆弾を投下中のB29戦略爆撃機/共同通信社

毒蝮 俺にとっての戦争体験はやはり空襲です。でも本当は学童疎開で地方に疎開しても良かった。田原さん、彦根は学童疎開は無かったんですか?

田原 彦根には東京や大阪から学童疎開が来てました。

毒蝮 受け持ったほうなんだ。

田原 そういう都会から来た子たちと学校で一緒になるでしょ、彼らは勉強ができるんですよ。それまでは僕も勉強に自信があったんだけど、東京や大阪の子は勉強がずっと進んでた。それで僕はちょっと自信をなくした。

毒蝮 アハハハハ。でね、うちの親父は俺に「学童疎開には行くな」って言うんですよ。それで品川に残った。俺は友だちがみんな学童疎開に行くのを見送ったんです。当時小学3年生、なぜ俺を疎開させずに残したのか、親父の口からは聞けなかったけど、親父からしたら家族は死なばもろともだって思いがあったんでしょうね。

田原 疎開する、地方へ逃げる、それは卑怯だって思いがあったのかもしれない。

毒蝮 ウーン、どうですかねぇ・・・。でもまあ変な親父でしたね。ゴリおやじでね、本(「たぬきババアとゴリおやじ」学研プラス)にも書いたけど、おふくろが江戸っ子で脳天熊のたぬきババア。ゴリとたぬきで、その子がマムシ(苦笑)。結局、うちの家族は東京に残されたために、空襲の悲惨さを味わっちゃった。


田原 普通は疎開しますよね。だって当時の皇太子だった現在の上皇も疎開してますよ。

毒蝮 疎開せずに残るほうが少なかった。みんな疎開しちゃって近所に子どもがいなかったですよ。それで5月に城南の空襲に遭っておふくろと逃げた。あたりは死体が累々。その道を逃げるわけです。さっきも言いましたが焼夷弾であちこちが焼けるとものすごい熱風が起こるんですよ。そうそう、明暦の大火(1657年)で江戸城が焼けたのも延焼じゃなくて、神田あたりの武家屋敷が燃えて起きた熱風で焼けたんですよね。

田原 そうか、江戸城は堀もあるし類焼はない。なのに焼けちゃうってのはそれだけ熱風がすごいんだ。

毒蝮 すごいんです。半藤一利さんも熱風で死んでいく人をたくさん見てたんですよ。熱風を浴びると髪の毛は焼けちゃうけど体の表面はほとんど焼けないんです。窒息死になる。喉や肺が焼けてしまう。それで死んでしまう。そういう中を俺はおふくろと逃げて、桐ケ谷の高台で夜を徹した。朝になってようやく空襲が止んで、うちへ帰ろうとおふくろと歩いた。みんな焼けてなくなって、そこらじゅうぶすぶす火がくすぶってる。帰っていくB29が見えるんです。それがものすごく低く飛んでて、こっちから操縦士の顔が見えましたよ。

田原 超低空飛行なんだ。

毒蝮 こっちには対抗できる高射砲がない。向こうもそれをわかってるから飛び方がバカにしてるんです。

田原 わかるんだ。

毒蝮 それを見て、日本はホントにダメなんだなって、しみじみ思いました。そうして自分の家に向かって歩いてく。だけど目印もないんですよ。残ってたのは風呂屋の煙突ぐらい。途中に防空壕があってまだ蓋がしてあったんですね。それを開けてやったんです。すると中から5、6人がこっちを見てる。みんな衣服もちゃんとしてる。「空襲終わりましたよー」って言ったら、みんな黙ったままで、よく見たらみんな死んでた。窒息死なんです。

田原 ああっ。

毒蝮 防空壕で蓋してあって、周りが一気に焼けたから酸素を持ってかれちゃった。それで酸欠。体はまったく傷ついてないんです。もはや燻製ですよね。

田原 うーん…。

毒蝮 そんなこともあって歩いてたら革靴が落っこってたんですよ。革靴なんて当時は貴重品ですよ。みんな安いズックとか、ゾウリとか、下駄だったから。その革靴がちょうど俺ぐらいの子どもが履いてるぐらいの大きさで、拾って持って帰ろうと思って片方を手に取ったら重いんです。見たら中に足首が入ってた。

田原 えっ?

毒蝮 っていうことは、この靴を履いてた子は爆風で飛ばされたんだなって。戦争に詳しい人に訊いたら焼夷弾なんですね。日本の空襲に焼夷弾が有効だっていう作戦を考えたのが、米軍の航空司令官だったルメイ(カーチス・ルメイ)って人で、日本の家屋は木と紙で出来ているから爆弾で飛ばすよりも燃やしたほうが早いと。それで作ったのが焼夷弾。

しかも東京にはヨーロッパの国々にあったような対空砲、高射砲があまりないことがわかったから、低空で飛んで焼夷弾を落とすのがより効果的だと。焼夷弾はバラバラバラって落とされて、ドーンとなって油が飛び散る。その油のせいで火が消えないで辺りが燃える。水で消そうとしてもダメなの、油だから。そういうのをアメリカが考えて、束で落っこってきて破裂して爆風が起きる。その爆風でその子は吹き飛ばされたんだろうって…。

革靴にあった足首はきれいに切れてた。血がほとんど出てないんです。だから、吹き飛ばされて、その瞬間的に鋭い何かでスパーっと切った…。俺はその足首を抜き取って、その靴を履きましたよ。

田原 抜いて履いた?


毒蝮 だって革靴なんですもん。おふくろはそれをじーっと見てた。これを仲代達矢さんに話したら、仲代さんも目黒で空襲に遭って、逃げる途中で女の子がいたから「おい、逃げなきゃダメだ」ってその子の手を握って逃げてたんですって。そしたら握ってる手が急に軽くなって、仲代さんはその子の片腕だけ握ってた。女の子は吹き飛ばされてたんです。それで仲代さんは「僕は逃げるためにその手を放り投げた。それが今でも悔やまれるんです」って。それはもうしょうがないんですけど…。

田原 そんなことがあったんですか…。

毒蝮 俺はもうその革靴については悪いとかっていう気持ちはなかったですよ。おふくろが日蓮宗を信じてて「履いてあげるほうが供養だよ」って言ってた。ああ、そうなんだなって俺も思って、その靴をだいぶ履き続けましたよ。

田原 そうでしたか…。

毒蝮 空襲は半藤さんも書いているけど、抵抗できない子どもにも襲ってくる。それをわかってて襲うんだから殺人ですよね。何にも抵抗できない我々は逃げるしかなかった。

田原 いちばんの問題はね、当時の日本はまったく戦力がない。アメリカは空襲をやりたい放題。空襲をやりたい放題の果てになんで原爆を落としたのかと。

毒蝮 そうですよ、あのとき日本は死に体ですよね。8月までに軍事工場も全部やられちゃったし、南方やなんかは全滅ですからね。

田原 広島、長崎に原爆なんて落とさなくたってよかった。だけど落とした。僕はなんでアメリカは広島、長崎に原爆を落としたのかと、全部調べました。

(田原総一朗・毒蝮三太夫 BLOGOS超老対談 第3回へ続く

(構成:松田健次 田野幸伸 撮影:弘田充)

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