- 2022年02月08日 11:38
結論が凡庸になっても論理的な哲学的思考を手放さない――『21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』(晶文社) - ベンジャミン・クリッツァー(著者)/ 批評家
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21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える
著者:ベンジャミン・クリッツァー
出版社:晶文社
紀伊國屋書店
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「自然主義的誤謬」を避けながら進化心理学を用いる
2021年12月に刊行された拙著『21世紀の道徳 学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』では、副題が示すように、さまざまなテーマについて論じられている。
本書の副題については、『哲学と進化論から導かれる「正しい考え方」』という案もあった。たとえば、ジェンダーの問題にせよ、あるいは幸福の問題にせよ、それらについて論じるためには、「人間の男女の間には、どの点にどのような差異があり、その差異を発生させる原因とはなにか」「わたしたちにはなぜ幸福を感じる機能が備わっていて、幸福を感じるためには具体的にどのような条件を満たさなければならないか」といった点について考えることが欠かせない。
そして、人間に性差が発生する原因や幸福を感じる機能が備わっている理由に生物学的な要素が関わっていることは疑いもなく、生物学的な問題について考えるためには、進化論のメカニズムを前提とする必要がある。
ただし、進化論を前提にすることには、「〜である」と「〜すべき」を直結させてしまう「自然主義的誤謬」の危険が付きまとう。たとえば「男らしさ」や「女らしさ」の背景には生物学的な要素が存在するからといって、「男性は男らしい振る舞いをすべきである」とか「社会は男女の性別役割分業を維持すべきだ」という結論が導かれるとは限らない。進化論からも導かれる「事実」と「規範」は別物であり、「規範」について考えるためには、哲学・倫理学の考え方が必要となるのだ。
そのため、『21世紀の道徳』に収めた論考の多くは、まずは進化論や心理学の文献を引用しながら該当のトピックに関する事実について紹介したうえで、哲学や倫理学に基づきながら、そのトピックについての規範的な考察を行う、という構成になっている。
進化論に関する言説が二極化してしまう現状
進化論や生物学の知見を参照しながらも、自然主義的誤謬を回避しつつ規範的な考察を行う、という議論自体は、とくに目新しいものではない。一部の哲学者や科学者たちの間では、このような議論はスタンダードなものとなっている。しかし、とくに本邦では、一般の読者にとっては、『21世紀の道徳』で行ったような議論は、いまだに馴染みのないものであるようだ。
書籍を出版している著述家や、WEBメディアやSNSで活躍しているライターおよびインフルエンサーのなかには、進化論の知見を積極的に紹介する者もいる。しかし、彼らの多くは、生物学的な要素を拡大解釈し、センセーショナルな「身もふたもない事実」や「残酷な現実」を読者に突きつけたうえで、「所詮は人間も動物であり、わたしたちの行動や思考は遺伝子に操られているに過ぎず、理性や愛情は嘘っぱちである」といったペシミズムやニヒリズムを喧伝するような主張を行っている。
このような議論は過激でキャッチーではあるが、生物学的なメカニズムがわたしたちの行動や思考に及ぼす影響が、実態よりも大げさに強調されており、「事実」に関する議論としても誤っていることが多い。また、「規範」に関しても極端な主張がなされており、生産的な論争には結び付かないことが大半である。
現状、この種の主張を歓迎しているのは、「リベラル」や「フェミニスト」に対して反感を抱いているタイプの読者たちである。このような読者たちは、リベラリズムやフェミニズムが提唱する規範的な主張を煙たく思っているために、進化論を用いながらペシミズムやニヒリズムによって「規範」そのものを否定する議論が、「リベラルやフェミニストの偽善や欺瞞を暴くものだ」として受容されているのだ。
とはいえ、リベラリストやフェミニストなどの「左派」の論客の多くが、進化論や生物学を用いた議論を軽視したり無視したりしている、という点も否定できない。
彼や彼女らは、進化論を用いた議論は自然主義的誤謬を避けられず、現状を肯定する保守的な結論にしか結びつかないと思っているようだ。また、左派の人々は、世の中で発生している問題の原因を自然的な法則に見出すことを嫌がり、代わりに「社会」や「権力」や「イデオロギー」などの人為的な物事に原因を見出すことを好む。
問題の原因が自然的なものであるとすれば、その問題に対処することは一筋縄でいかなくなるが、問題の原因が人為的なものであれば対処が容易に感じられる。「世の中で悪いことが起こっているのは、誰かの悪意や無知が原因であるのだから、それを取り除けば世の中は善くなる」と見なせるようになるためだ。
ピーター・シンガーの『ダーウィン左翼』と『輪の拡大』
『21世紀の道徳』の第1章では、1999年に出版された、倫理学者のピーター・シンガーによる著書 A Darwinian Left: Politics, Evolution and Cooperationについて取り上げている。本書の原書名を直訳すると『ダーウィン左翼:政治、進化、協力』であるが、2003年に発売された邦訳版の書名は『現実的な左翼に進化する』であった。
本書は日本語圏ではほとんど注目されてこなかったが、経済的な不平等を主とした社会問題の原因を生物学的な要素に見出しながらも、自然主義的誤謬を否定して弱者を救うための運動や政策の必要性を主張したシンガーの議論は、現代にも通じるものだ。
社会問題の背景にある事実を直視すると同時に、規範に関しては左派的な主張を提唱する「ダーウィン左翼」という立場は、『暴力の人類史』や『21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩』などの大著を出版しているスティーブン・ピンカーや、日本でも100万部以上の売り上げを記録した『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』の著者ハンス・ロスリングにも受け継がれているといえる。
また、『21世紀の道徳』の最終章では、未邦訳のシンガーの著書 The Expanding Circle: Ethics, Evolution, and Moral Progress(『輪の拡大:倫理、進化、道徳の進歩』)について取り上げた。1981年に出版された『輪の拡大』は、当時、話題となっていた「社会生物学論争」を背景としており、昆虫学者のエドワード・オズボーン・ウィルソンによる「人間の道徳のすべては生物学によって説明することができる」という主張に対する反駁が行われている。
アリやサルやコウモリをはじめとした、さまざまな動物たちが行う利他行動は、血縁利他主義・互恵的利他主義・群淘汰などの進化的適応のメカニズムによって説明することができるが、ウィルソンは、人間が行う道徳的な行動や思考も、これらの進化的メカニズムの範疇に含まれるものに過ぎないと主張した。それに対してシンガーは、人間には「理性」が備わっており、そして理性は進化的な適応の範囲を超えて機能させることができる、と論じたのである。
他の動物とは違い、人間は自分たちの行動や思考に影響を与えている生物学的な傾向の存在を理解することができるからこそ、その傾向に逆らった判断を選択することができる。また、相手が自分と同じように痛みや苦しみを感じる存在であるということを認識したり、相手の立場に立って想像を働かせることができたりするために、自分にとっての利益を諦めてでも不道徳な行為を控えたり、自分が損を被りながらも道徳的な行為をしたりする、という選択ができるのだ。
理性に基づいた道徳としての「功利主義」
シンガーは、「一人を一人として数え、けっして一人以上には数えない」ことと「最大多数の最大幸福」を目指すことを信条とする「功利主義」の考え方を提唱していることでも有名だ。また、心理学と哲学の両方を専門とする学者ジョシュア・グリーンの著書『モラル・トライブズ:共存の道徳哲学へ』でも、功利主義の主張が展開されている。
規範倫理学の主張には功利主義のほかにも、カント主義(義務論)やケアの倫理(フェミニズム倫理)などが存在するが、グリーンによると、それらの主張は多かれ少なかれ人間の「道徳感情」に影響されたものである。そして、わたしたちに備わっている道徳感情は、人類が進化の歴史の大半を過ごしてきた狩猟採集民の集団における社会生活に適応するためであると考えられる。
逆に言えば、過去よりも複雑で多様な現代社会における問題について、狩猟採集民の時代に培われた道徳感情が正しい答えを導き出せるとは限らない。だからこそ、感情に影響されたカント主義やケアの倫理ではなく、抽象的な思考から導き出される功利主義に基づいてわたしたちは道徳問題に対処すべきなのだ、とグリーンは主張する。
グリーンは功利主義を「深遠な実用主義」と呼び、功利主義は道徳に関する絶対の真実というよりも、道徳問題を解決するうえで最も適切な方法として位置付けている。一方で、シンガーは、功利主義やそれに関連するいくつかの原理は、物理や数学の法則と同じように、理性を駆使することでわたしたちが発見することのできる、客観的に実在する道徳法則であると論じている。
いずれにせよ、功利主義の主張は道徳に関してわたしたちが抱いている直感や常識と真っ向から反することもある、かなりラディカルなものだ。『21世紀の道徳』では、功利主義が「権利」という概念の棄却を要請すること(第4章)、「5人を救うか、1人を救うか」を選択するトロッコ問題や現実の世界におけるトレードオフの問題で、多数派を救うことを要請することについて解説している(第5章)。
また、人間だけでなく動物も痛みや苦しみを感じる以上は道徳的配慮の対象とすべきであり、「人間とは違うから」「動物であるから」という理由で動物に苦痛を与えたり生命を奪ったりすることを正当化するのは生物種に基づく差別=種差別である、という考え方も功利主義によって発展させられてきたものだ(第3章)。
さらに、「同じ国に住んでいる人だから」「近くに暮らす人だから」という理由で、他国に住む人よりも自国に住む人の援助を優先することも、道徳的に正当化できるとは限らず、先進国の人を1人助けられるのと同じ金額で、発展途上国の人を数人以上助けることができるのであれば、先進国の人は自国ではなく発展途上国に暮らす人を積極的に支援すべきである、という「効果的な利他主義」の考え方も、功利主義によって導かれることになる(第6章)。



