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人新世と気候工学――経済思想と環境倫理学の対話/桑田学×吉永明弘

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シリーズ「環境倫理学のフロンティア」では、環境倫理学の隣接分野の研究者との対話を行っています。今回は「経済思想×環境倫理学」として、『経済的思考の転回』(以文社、2014年)の著者である桑田学さんと対話を行います。桑田さんは、人新世と気候工学についても研究されており、『現代思想』の人新世特集や気候変動特集に原稿を寄せています。今回は、これらの内容をふまえて、狭義の環境経済学を超えた、人新世の経済思想についてお話しいただきます。

思想史研究と環境倫理学

吉永 2018年3月に私と福永真弓さんとの共編で勁草書房から『未来の環境倫理学』を出版しましたが、そのなかで桑田さんに、人新世と気候工学についての章を執筆していただきました。その後も朝日新聞(2018年8月20日)にインタビュー記事が掲載されるなど、人新世と気候工学の研究者としてご活躍されています。

他方で、『現代思想』2020年2月号の気候変動特集に寄稿された「思想史のなかの気候変動」のなかで、経済学者のジェヴォンズとラスキンについて論じられていることからもわかるように、もともとは経済思想がご専門ですよね。私からすると、経済思想のご専門の方が環境倫理学的なテーマについてアクチュアルに発言をされており、興味を惹かれます。思想史研究と環境倫理学とが見事に結合されているとように思います。この両者の位置づけについては、どのようにお考えでしょうか。

桑田 私のなかでは、両者は相補的な関係にあると考えています。環境倫理学は現在において問われるべき問題とは何であり、あるいはその際にいかなる観点が求められているのか、その先端を学ぶ領域といった感覚を持っています。たとえば気候危機や人新世をめぐる議論にかんしても、人文学や社会科学の視点から考えるべき問いを磨くうえで環境倫理学の研究成果は大事な視点を与えてくれます。思想史研究は、歴史的な言説やテクストを読み解くことがメインになりますが、その際に読み手(自分)の側に分析の視角や観点が十分に自覚されていなければ、アクチュアリティのある研究とはなりえませんが、私の場合にはそうした分析の視角や観点を練り上げる際に環境倫理学や環境思想の研究動向も参考にしています。

他方で、とくに英米圏の環境倫理学や規範理論は私にとってそのままでは抽象的すぎて、ときにリアルに問題が感じられないという感覚ももっています。それはたんに私が抽象的な思考が苦手というだけなのですが、自分としてはその点に思想史研究の重要な役割があるのではないかと思っています。つまり、現在の争われている問題の来歴・由来を探究したり、歴史的な文脈づけを行ったりすることで、現代の環境倫理学で問われている問題がよりリアルに迫ってくるという面も確かにあるということです。現代と歴史の両輪をうまく活かした研究を進めることができればと思っています。

人新世について

吉永 人新世と経済思想といえば、2020年に話題になった斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)があります。とても読みやすく、また共感できる内容ですが、他方で目から鱗が落ちる話ではなく、どこか既視感のある話だと思いながら読みました。素人考えですが、結論部分の脱成長コミュニズムというのは、ラスキンとモリスの話ではないか、という気もするのです。國分功一郎さんと山崎亮さんの共著『僕らの社会主義』(ちくま新書、2017年)を思い出しました。また斎藤さんは、市場と経済の切りわけとか、経済の社会への埋め込みを説いているわけですが、これはカール・ポランニーの主張を連想させます。

そんな中で、桑田さんの著書『経済的思考の転回』を読み直したら、ここに同じことが書いてあることに気づいたのです。主な考察対象はオットー・ノイラートの経済思想ですが、176頁の「市場の形式に還元されない、人間の必要や欲求の多面性、そしてこれを充足する自然界の多様な構成要素を含む、人間の生のマテリアルな次元の再生産としての経済の意味」とか、198頁の「資源やエネルギー、あるいはそれらの支出によって作られるモノの使用価値を完全に引き出すこと、つまりは人間の幸福に十全に結びつけること」および「ニーズ充足を目的とした消費を規準に生産や労働時間を調整する必要性を指摘するとともに、生産される財の耐久性や生産技術の質を一定の科学的知見から評価し管理する科学者や技術者のアソシエイションが果たす役割」といった箇所は、言葉遣いから内容まで、斎藤さんの本からの抜き書きとして提示しても通用するほど酷似しています。

ノイラートはマルクス以後の経済学者なのだから、当然マルクスの影響を受けているのではないか、と思われるかもしれません。しかし、斎藤さんの論旨は、脱成長コミュニズムは、忘れられていた晩期マルクスの思想を掘り起こすことによって新しく導き出されたものだ、というものです。ところが桑田さんの本を読むと、晩期マルクスを持ち出さなくても、他の人が同種のことを主張していたことが分かります。ラスキン、モリス、ポランニー、ノイラート、これらの人々に依拠したほうが脱成長コミュニズムという言葉で言わんとしている内容をよりストレートに語れるのではないかと思います。長くなりましたが、桑田さんは『人新世の「資本論」』をどう読まれましたか。

桑田 『人新世の「資本論」』は私も刊行されてすぐに拝読しましたが、私自身かなり近い問題意識をもっており、また扱われている文献も自分の研究と重なるところがあって、本当にすらすらと内容が頭に入りました。斎藤さんはマルクスを対象としていますが、マルクスの新しい解釈それ自体だけでなく、マルクスと現代をつないでいく作法や「脱成長コミュニズム」のような具体的なヴィジョンの提示という点でも大いに勉強になりました。

人新世をめぐる問題は、本当に巨大かつ多面的であって、自然科学、社会科学、人文学を含むきわめて広範な視点・視座から読み解いていかなければ、解決の方向性はもちろん、問題の正しい理解にいたりつくことも困難です。さらには既存の科学や知識のあり方そのものが問い直されるべきものでもあると思います。そうしたなかで、経済思想や社会思想からアプローチする場合でも、マルクスはもちろん重要ですが、それ以外にも色々な知的資源や歴史的なコンテクストが動員できる方が当然ながら良いと思っています。特定の思想家から「これが解決策だ」などと安易に考えるのは危険ですから(もちろん斎藤さんはそのような乱暴な議論をしていません)。マルクスの眼によって浮かび上がってくる側面もあれば、そうでないものもまだ沢山あると思います。

「人新世」という概念を提唱したのは大気化学者のパウル・クルッツェンです。彼は人新世の始まりは蒸気機関を用いた石炭の大規模燃焼が始まった産業革命期だとしていますが、少なくとも19世紀には現在のシステムを特徴づける諸要素(階級対立、中核による周辺の資源・労働力の収奪、土壌の劣化や石炭枯渇の不安、水や大気の汚染等々)はすでに存在していました。ですから、マルクスだけでなく、これらの問題を資本主義的な産業社会の深刻な欠陥として受け止めていた他の思想家や科学者がいてもまったく不思議ではありません。そうした歴史に埋もれた人新世的問題をめぐる知や論争を掘り起こしてみたいと思っています。

気候工学について

吉永 なるほど、しかし私は斎藤さんのこの本には不満があるのです。この本では人新世についてあまり立ち入った考察がなされず、「人類が地球を破壊しつくす時代」として、もっぱら人類が気候を大規模に変化させた時代の名称として、人新世が用いられています。他方、斎藤さんが『現代思想』に寄稿された論文「人新世のマルクス主義と環境危機」では、人新世と、気候変動対策としての気候工学(ここでは地球工学と呼ばれています)との関連についてふれられています。この点は重要です。というのも、クルッツェンは気候工学を正当化するために人新世という概念を持ち出したという面があるからです。人間は地球環境を悪い方向に変えてしまった、だからもう一回良い方向に変えよう、という含みがあります。桑田さんも次のように書いています。

「クルッツェンにとって、人新世の到来を人類が自覚するということは、気候変動対策においても、テクノロジーによる気候システムの大規模な操作と改変という従来とは異次元の段階へと足を踏み入れていかざるを得ないことを意味していたといってよい」(「人新世と気候工学」『現代思想』2017年12月号、122-123頁)。

そして今では「「意図せざる地球の改変」から気候工学を軸とする「意識的な地球システムの技術的管理」への移行は、ときに「悪しき人新世Bad Anthropocene」から「善き人新世Bad Anthropocene」への転換として表象される」(同、124頁)こともあるわけです。

気候工学については斎藤さんも言及していますが、クルッツェンの意図について明確には記されていません。このあたりについて、桑田さんにあらためて解説していただければと思います。

桑田 クルッツェンが遅々として進まない気候変動対策の状況を受けて、気候工学の「研究」の必要性を訴えたのは確かですが、彼自身が気候工学の「実施」をどれだけ具体性をもって考えていたかは定かではありません。しかし、現代の気候危機を自然科学の観点からのみ捉えてしまうと、気候工学のような技術的解決が妥当であるかのように見えてしまう危険性があることには十分注意しておく必要があると思います。

今年出されたIPCCの第六次評価報告書も示すように、現在の気候変動は非常に危険な状態です。温室効果ガスの早急な削減なしにはかなり破局的な事態(気候の非常事態)が引き起こされるという予測は、しっかりと受け止めなければなりません。

とはいえ、斎藤さんも強調しておられるように、絶えざる成長や資本蓄積を求める資本主義的なシステムにおいて、果たして先進国の政府やその主要企業が、化石燃料の大量燃焼、核廃棄物、資源や安価な労働力の大規模な収奪といった深刻な問題について、きちんと自己批判して対処できるかどうかはたいへん疑わしい(実際クルッツェンは先進国の緩和策は失敗していると考えていました)。そうした現在のシステムを変更不可能なものと「諦念」してしまえば、彼のように、いまから(産業革命以前と比して)2度上昇へと突き進んでしまうような最悪のケースを考えて、本来は望ましくないとしても気候工学研究に着手すべきだと主張するのは、当然なこと、賢明な対応であるようにみえます。現にクルッツェンの提案以後、気候工学研究は飛躍的に進展しました。

そもそもこうした議論には、気候工学という技術を現在の国際社会が適切にガバナンスできるというあまりに甘い想定があるように思えてなりません。システムの脱炭素に向け国際社会がコスモポリタンな視点で協調・協働することが困難な社会状況があるとすれば、またそのような状況からグローバル・ノースが恩恵を享受し続けようとしているならば(倫理学者のステファン・ガーディナーはこうした状況を「道徳性の破局」と呼んでいます)、この構造を問わずして気候工学のような複雑な技術の運用について楽観することはあまりに危険です。

気候正義の運動が主張しているように、現在の気候危機はこれまでの成長と開発を何より重視してきた政治経済システムの帰結であり、さらにそのなかで膨大なコストを一方的に転嫁されてきた貧しい地域や人々がいることは明らかです。このシステムそれ自体を根本的に反省することなければ、気候工学の実施は問題の解決どころか、さらなる国際的な対立や紛争を招くだけのように思います。現在、気候工学の「ガバナンス」についても研究されてはいますが、気候変動の問題の背後にある資源収奪的な経済システムの問題にまで議論の射程が届いているかといえば、残念ながらそうとは思えません。

吉永 ありがとうございます。いま気候工学はどんどん進められていますが、そこにはたくさんの倫理的問題があり、それを桑田さんは『未来の環境倫理学』のなかでコンパクトにまとめられています。あらためて気候工学の倫理的問題についてお話しいただけますか。

桑田 気候工学にはいくつかのタイプがありますが、ここではそのなかでも実現可能性が期待されている「成層圏エアロゾル注入」(以下SAIと略記)に限定します。これは成層圏に粒子状物質を散布し、太陽入射光の反射率を高めることで全球平均気温の上昇を抑制する技術です。

まずこの手法の気象学的なリスクとして、アジアやアフリカのモンスーン地域における降雨量を減少させ旱魃を深刻化させる可能性や、全球規模の水循環を弱める効果をもつことが懸念されています。とくに南米やアフリカ、東南アジアでの降雨量の減少は、農業生産や飲み水の利用条件に大きな損害を与え、人びとの生存条件を著しく悪化させる恐れがあります。注意すべきは、これらの地域は、概してCO2排出に関していえば、加害者というよりむしろ被害者ということです。問題に最小限の責任しかない人びとが、気候変動の影響だけでなく、SAIに伴う危害をも被るとすれば、それは不正の上塗り(複合的不正義)になりかねません。つまりSAIの実施が新たな気候体制のもとで「勝者」と「敗者」をつくりだすことが十分に予想されますが、こうした事態の予期は、気候変動対策に不可欠な国境を超えた相互信頼や連帯、協力関係に新たに深刻な亀裂を生じかかねないということです。

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