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  • 2022年01月20日 13:47 (配信日時 01月20日 12:30)

日本でもし「内密出産」が認められたら…… - 宗像 雄 (関谷・宗像法律事務所 弁護士)

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内密出産が許されるためには、子どもの『出自を知る権利』に適切に対応することができる仕組み(制度設計)が必要である。内密出産に当たっては、母親と医療機関との間で、当局には提供しないものの、子どもから求められれば母親を特定する情報を提供するという合意(契約)を締結する必要がある。加えて、将来子どもが求める場合を想定して、母親を特定することができる情報を管理する体制及び子どもがそれにアクセスすることを可能とする方策(例えば、戸籍の【母】の欄に必要な記載をするなど)を講じなければならない。

なお、子どもの『出自を知る権利』との関係で、生殖補助医療として医療機関が精子提供を受ける際、提供者に、子どもから求められた場合は、自らを特定する情報の提供を明示する必要があるとされている。その結果、精子提供を希望する人が激減したという話を聞いたことがある。子どもから求められれば母親を特定できる情報を提供するとの条件を受諾し、内密出産を行うケースが現実にどれだけあるのだろうか。

戸籍〝価値〟を棄損する懸念

内密出産が行われた場合、戸籍の【母】の欄の記載内容が問題となる。現行の戸籍は、親子関係を基礎として作成される。そのため、親(少なくとも母親)に関する記載が不可欠である。

戸籍の記載内容は、法律上の身分関係を社会的に証明する最も有力な手段である。先述の通り、わが国の法律では、母親イコール分娩者であり、生殖補助医療による出産であるか否かを問わない。戸籍の【母】の欄は、子どもの法律上の母親が誰であるかを証明するものであると同時に、分娩者が誰であるかを証明するものでもある。

内密出産を認める場合に戸籍の【母】の欄にどのような内容を記載するかについては、さまざまな見解があるようである。ただ、どのような見解をとっても、戸籍の証明力いいかえれば社会的な役割を減殺することになろう。

わが国では、社会生活を営むうえで、戸籍は極めて便利な道具(ツール)である。結婚や相続、年金受給といったあらゆる社会活動が戸籍さえあればできるという仕組みは、戸籍の記載内容が極めて正確なものであるとの信頼が前提となっている。内密出産を認めることは、このような戸籍に対する社会的な信頼を動揺させることになる。

医療機関への信頼も揺らぐ

さらにいえば、戸籍の【母】の欄の記載内容を広げることは、いわゆる「代理出産」や他人の子を実子として出生届を出す「藁の上からの養子」を許容することに繋がるのではなかろうか。【母】の欄に分娩者を記載する必要がないとする一方で、果たして現実に子どもを養育する者を記載した場合について厳正に処罰することが許されるのであろうか。

また、戸籍の記載では、分娩者である母親と医療機関との間に一種の共犯関係が成立している。医療機関は、分娩者が誰であるかを知っていながら、あえて事実と異なる記載をするかあるいは何の記載もしないことを容認することになる。このような事態は、医療機関に対する社会的な信頼を損なうことに繋がるおそれはないのであろうか。

養子縁組後に「母親の権利」を主張できるのか

これらに加えて、内密出産を認めることは、母親自身の権利との関係でも重大な問題をはらんでいる。

内密出産は、あくまでも母親の『情報コントロール権』の保護領域に属する事柄である。そのため、法原理的には、子どもを出産した母親が、当局に身元は明かさないものの、依然として子どもに対する『母親としての権利』は行使するということも容認される。

このような選択がされた場合、母親は、医療機関を通じてその権利を行使することになるのであろうか。また、戸籍が信頼できないものになってしまったら、どのような方法で、自らが分娩者イコール法律上の母親であることを証明させるのであろうか。更には、養子縁組によって新たな母子関係が形成された後になって分娩者による『母親としての権利』の行使がされた場合にどのように取り扱うのであろうか。極めて不都合な事態が生じることとなろう。

現実的ではない「母親」自らの放棄

これらの不都合を回避するためには、内密出産した以上は『母親としての権利』も放棄したと扱うことになる。ただ、このような選択を強いるのは、胎児の分娩を控えた妊婦あるいは子どもの出産直後の母親の精神状態を考慮すると、およそ適切であるとはいえないであろう。

加えて、母親の子どもに対する情愛を鑑みれば、『情報コントロール権』と『母親としての権利』とでは、母親にとっての重要度が大きく異なる。『情報コントロール権』の行使のあり方によって『母親としての権利』の行使ができなくなるということは、いわば「角を矯めて牛を殺す」ことにほかならない。

少なくとも、わが国では、重要な権利の放棄に当たっては、裁判所の関与が必要とされている。裁判所の関与なく『母親としての権利』を放棄させることは、法秩序の観点からおよそ容認できない。

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