- 2022年01月06日 16:16 (配信日時 01月06日 15:15)
「子ども家庭庁」は最悪なネーミング…親の無理心中に巻き込まれる子どもが減らないワケ
2/2「子供の人権」意識が欠けている日本
やがて女児は寝たきりになり、トイレに行くこともできずオムツをつけた。発見された遺体は痩せこけて、臓器は健康な5歳児と比べて5分の1まで萎縮、死の直前に嘔吐した形跡もあった。彼女に本当に必要だったのは、「家庭」などではなく、「子どもの人権」を何よりも尊重して、命を守るために親と引き離してくれる「子ども行政」だったのである。
では、なぜ日本の児相は、DVやストーカー被害を受けて命からがらシェルターに逃げ込んできた女性を、加害男性に差し出すような対応をしてしまうのかというと、先ほど述べたように、「子どもは親の所有物」という不文律によるところが大きい。
日本では「こども庁」の議論が出てきたことで、ようやく「子どもの人権」というものが真剣に論じられるようになったが、欧州ではフランス革命のあたりから「子どもの権利」や虐待の防止がうたわれ、米国でも1909年にホワイトハウスで第1回全米児童福祉会議が開催された。
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FatCamera
しかし、日本ではなかなかそういう話にならなかった。1933年(昭和8年)に満州国で国際社会の中で孤立が始まり、陸軍が少年航空兵制度を始めたあたりでようやく、児童虐待防止法が制定された。ただ、これも「子どもの人権」という視点ではなく、「子どもはお国の大事な戦力」ということで、戦地に出す前に、親が折檻や人身売買で殺すことを規制するためだ。
「親権への遠慮」は昭和時代から変わらない
では、なぜ日本では「子どもの人権」という視点が欠如していたのか。1933年に発行された『児童を護る』(児童養護協会)のなかで、東京帝国大学教授の穂積重遠氏はこう分析をしている。
「親が自分の子供のことを始末するのだから、それにどうもあまり立入ることは宜しくあるまいといういふことで、この親権といふものに遠慮していたといふことが、少なくともこの児童虐待防止法といふものが今まで制定されたなかつた一つの理由ではなかったらうか。斯う思ふのであります。(中略)この時計は私の所有物であるといふののと同じやうな意味で、子供は親の所有物だといふやうな意味から、親の権利として親権といふものが認められるやふになつて来たに相違ないのであります。沿革上は確かにさうであります」(『児童を護る』児童養護協会 33ページ)
この「親権への遠慮」が現代日本でも健在であることは、先ほどの5歳女児のような虐待を受ける子どもたちが後を絶たないことがすべて物語っている。児童相談所が、虐待の事実を確認しても、子どもが「助けて」と訴えても、保護をせずに家庭へ送り返すのは、子どもが「親の所有物」だからなのだ。
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexLinch
「親の所有物」という考えが無理心中を生む
この日本独自の人権感覚を象徴しているのが、「こども庁」に「家庭」にねじ込んだ人々の「親が幸せにならないと、子どもも幸せにならない」という主張である。
パッと見、正論のような印象を受けるだろうが、冷静に考えれば、これは子どもを「独立した1人の人間」ではなく、「親の付属品」だと捉えていることに他ならない。このロジックでいけば、親が不幸になったら、子どもも不幸にならなくてはいけないし、親が人生に絶望をして死を選ぶなら、子どもも後を追わないとといけない。「無理心中」で我が子を道連れにする親の頭の中でほとんど変わらない考え方だ。
こういう「子どもは親の所有物」という考えが根強く残るこの国で、子ども行政に「家庭」という概念がねじ込まれることが、子どもたちにとってどれほど「最悪」なことかというのは容易に想像できよう。
子ども行政に「家庭」がねじ込まれるリスク
2018年の悲劇を受けて、児童相談所も他県からの転居を受けた情報共有体制や、警察との連携を強化している。東京都でも、日本で初めて保護者の体罰を禁止する条例ができるなど、少しずつではあるが、子どもの人権や命を守る動きが進んでいるのだ。しかし、そのようないい流れが一気にひっくりかえってしまう恐れがある。
子ども行政を司どる機関の名称に「家庭」の2文字がねじ込まれるということは、この機関の法的根拠にも「子どもは家庭を基盤に成長する」という理念が明文化されるということだ。公務員というのは基本的に、法令などの範囲でしか動けないので、こういう文言がある限り、どんなに子どもがアザだらけでも、ボコボコに殴られていても、児童相談所は「親権に遠慮」しなくてはいけない。
それはつまり、「パパ、ママいらん」と行政に救いを求めながらも、「家庭」という地獄へ送り返された、あの5歳女児のような犠牲者がこれからも増えていくということでもあるのだ。
「家庭」という地獄で苦しむ子どもを救えるか
「子どもが家庭を基盤に成長をする」というのは当たり前だ。「子どもは親と一緒にいることこそが幸せ」というのもよくわかる。しかし、世の中はそんな幸せな子どもばかりではない。
たまたま戸籍上は親にはなったが、「親になってはいけなかった人」がたくさんいるからだ。彼らはわが子を「モノ」のように扱って、自分の気分で手を上げる。さらに最悪なのは、自殺するのに道連れにする。昨今話題になった「親ガチャ」ではないが、このような「親になってはいけなかった人」のもとで生を受け、「家庭」という名の地獄で苦しむ子どもたちにこそ、「子ども行政」は必要なのである。
そんな役所の名称に「家庭」を強引にねじ込む。そういう日本の政治家の旧態依然とした人権感覚が、年間20万件の児童虐待相談件数と、「子どもの精神的幸福度38カ国中37位」という今につながったと言っても過言ではない。
創設まではまだ時間がある。自民党議員の皆さんは、ぜひもう一度、この役所が、自分たちの支持団体のためではなく、子どもたちのためにあるということを再認識していただきたい。
----------
窪田 順生(くぼた・まさき)
ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)など。
----------
(ノンフィクションライター 窪田 順生)
- PRESIDENT Online
- プレジデント社の新メディアサイト。



