- 2022年01月06日 15:38 (配信日時 01月06日 12:15)
「日本の自転車事故は先進国最悪」堂々と歩道を走る"危険自転車"がいっこうに減らないワケ
1/2日本の自転車は堂々と歩道を走っている。しかし、それは世界の非常識だ。毎日12kmの通勤に自転車を使ってきた「自転車ツーキニスト」の疋田智さんは「日本の自転車事故比率は先進国の中でも最悪レベルだ。歩道を走る自転車にも問題はあるが、車道を走る自転車を邪魔と思うドライバーにも問題がある」という――。
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west
車窓から見ると「邪魔」で「イライラする」自転車
「なんだか最近、テレビや新聞なんかでさかんに『これからは自転車は車道だ』って言うんだけどさ。邪魔くさいよね、チャリが車道にいると」
とまあ、この数年というもの、こういう話を周囲からよく聞く。なるほど自転車についての認識はともかく「自転車は車道」。ようやくそこまできたか。じつに慶賀。こういう方々、以前なら「自転車は歩道なんじゃん?」が当たり前だった。
だが、ネガティブだ。これを言う人は、大抵の場合ドライバーとしての立場からだ。
私はテレビ局に勤めているので、特にテレビに“出る側”の人からこういう話を聞くことが多い。相当モノの分かった人までがこれを言う。彼ら(彼女ら)は、通常クルマの後ろの席に座っていることが多いから。車窓から見ていて邪魔だなとイライラするのだろう。ハイヤーのドライバーから「最近の自転車は困ったもんですねぇ」なんて話を聞くことも多いと思う。そもそも本人が自転車に乗らない。
日本で「自転車=歩道」がスタンダードになったワケ
もちろん、そういう立場からの「自転車=歩道」論は、100%間違いだ。歩道にはベビーカーもお年寄りも障碍者もいるのである。そこに危険を押しつけてはいけない。
だいいち「これからは自転車は車道になった」なんて認識からして、まったくの誤りで、自転車は明治にヨーロッパから輸入されてからというもの、ずーっと車道を走るものなのである。これは道路交通法の17条と18条に定められていて、一度たりともそのポリシー自体は変わったことがない。そこは欧米諸国と何ら変わらないのだ。
広い車道と狭い歩道。正しい自転車乗りの前途を阻むものも - 画像=筆者提供
ところが、この日本でだけ、なぜか「自転車=歩道」がスタンダードになってしまっている。それはなぜかというならば、昭和45年(1970年)の道交法改正にルーツがある。この法改正がキッカケになって、自転車は車道通行の例外として、「歩道通行可」を示す標識がある歩道を通行できるようになった。
高度成長のなか、日本のモータリゼーションは急激にすすみ、クルマ対自転車の事故が増えた。そこで「自転車はとりあえず歩道に上げてしまいましょう」ということになった。道路インフラが整うまでの、いわば“時限的”な法改正である。歩道上の自転車は、あくまで徐行だし、やむを得ない場合に限っての措置だった。
ところが、これが極限まで拡大解釈された。
「これからはクルマが社会の主流だ。やれ行け、それ行け」とばかり、自転車が車道から追い出されてしまうキッカケとなった。その結果が今だ。警察庁が「自転車は車道です」と強調するのは「これまでもそうだったけど、守られていないんで徹底させます」という意味なのである。
だいいち自転車を歩道に追いやっても、自転車の事故率なんて減らなかった。

警察庁の資料をもとに筆者作成
クルマと自転車でいがみ合っても仕方ない
そもそも日本の車道はクルマが我が物顔で独占しすぎだろう。
だいたいドライバーが平気で「最近のチャリって邪魔だよね~」なんていう方が間違っている。自転車にとってはクルマの方が邪魔なのである。
ただし、そんなことを言い合っても仕方がない。いわばお互い様。これからはその車道というものを有効にシェアしましょうというのが、道路マネジメントの要諦なのだ。
子どもが走る車道左端に急停車する自動車 - 画像=筆者提供
欧米諸国ではすでに多くの都市がそうなっていて、自転車レーンが敷かれ、あるいは自転車道が整い、中心街にクルマが入れない都市も多い。その結果、健康(医療費削減)、事故削減、エコ、渋滞解消など、多くの果実を得ているのだ。
2017年に施行された「自転車活用推進法」は、そういったことを踏まえ、自転車が歩道を走らないことを前提としている。それは当然といえば当然の話で「法律がどうの」という以上に、そうでなければ「自転車活用の果実」は得られないからだ。
クルマの代わりとなって初めて効果がある
たとえばエコ。自転車はたしかに「環境に優しい」とされる。だが、自転車自体が空気をきれいにするわけじゃない。自転車は空気清浄機でも何でもないんだから。
自転車は「それまではクルマが果たしていた役割」の一部(または全部)を代替することによって、本来クルマが吐き出していたはずのCO2、またはNOxなどの排気ガスを削減する。そのことがエコなのである。
自転車はクルマの代わりの役割を果たして、はじめてエコ。ここの部分、SDGsに関わる人たち、なかでも行政はよく認識していただきたいものだ。
また健康についてはどうか。これまた自転車が歩道を通っているようではキビシイ。これも構図は同じで「歩くよりも楽だから自転車」という距離しか走らないのでは、歩くより、かえって腹回りはメタボ化してしまう。この部分に関しても、これまでクルマで行っていた距離を自転車に置き換えるから、つまりクルマの座席に座っていたのを自転車にするから腹の脂肪が燃えるのだ。
安全もそう。たとえば「クルマ対歩行者」の事故が「自転車対歩行者」の事故になったら死亡事故になる確率は格段に下がる。クルマと自転車では運動エネルギーがまるっきり違うからだ。
すべてクルマのネガの裏返し。自転車の果実は、ある程度クルマの代替にならなくては得られない。つまり「自転車=歩道では得られない」のである。
歩道の存在意義を考えたことがあるか
そもそもでいうなら、歩道は何のためにあるかを考えてみるといい。
歩道というものは洋の東西を問わず「交通弱者を守るため」にある。では、交通弱者とは何か。ただの歩行者からしてもちろん交通弱者だが、それだけじゃない。白い杖の人もいる。ベビーカーもいる、お年寄りもいる、子どももいる、車椅子もいる、要するに「自らは他者を傷つけないが、他者からは傷つけられる存在」。それを交通弱者という。彼らを守らなくてはならない。そのために歩道というものはある。
もちろん自転車というものは交通弱者には入り得ない。スピードが出るし、金属部品だらけで、重い。要するに他者を傷つけることができる。
現実として、自転車にぶつかられて怪我をする(場合によっては死亡する)歩道上の事故が後を絶たない。
こんなものが、堂々と歩道を走っているというのは、一言でいって、交通システムが野蛮であるとしか言いようがないのだ。
まずそこから変えていこう、自転車は歩道じゃない、というのがすべての前提にある。ここを理解することこそが「自転車問題解決」の第一歩なのだ。
どこを走ってもいいと思っている無法自転車
ところが、現実を見ると、自転車側に問題がないわけじゃない。いや「ないわけじゃない」どころか、ありありだ。信号は守らない、一時停止で停まらない、逆走も平気、とまあそういう無法自転車の多いこと。その結果として事故が頻発しているのはご存じの通りだ。
逆走する子乗せ自転車を若者のピストが避けている - 画像=筆者提供
その多くが歩道を走っている。いや、歩道・車道を問わず走っている。要するに何も考えてないのだ。左右問わず走るのと同じで、どこを通ってもいいと思っている。気分は「歩行者と同じ」。その一方で、歩道に上がると「歩行者どけどけ」とばかりにチリチリとベルを鳴らしながら歩道を疾走する自転車もいる。
また、昨今でいうなら、スマホを眺めながら走る自転車の多いこと。事故を起こして怪我をしたり死んだりするのがスマホ自転車本人だけならそれも勝手だ。「かわいそうだが自業自得」で終わりだが、困ってしまうのは、他者を巻き込むことだ。歩道上でこれをやられて被害を受けるのは、一般の歩行者なのだ。
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