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「誤認逮捕」について

ある人がある犯罪を行った犯人ではないかと信じる相当の根拠(相当の嫌疑probable cause )があるならば、その人を逮捕することは正しい。

相当の嫌疑があれば裁判官は逮捕状を発行すべきだし、その令状に基づいて警察官が個人を逮捕することは極めて正しい。

あとでその人が犯人ではないことが分かって不起訴になったり、裁判で無罪になったりしても、だからと言って遡って逮捕が間違いだったということにはならない。

こうした場合に「誤認逮捕だ」と言って警察を批判するのは、逮捕という制度の目的と機能を無視した議論であり、誤りである。

逮捕というのは政府が個人を訴追するための手続の1つに過ぎない。

個人を刑事司法のシステムに乗せるためにその個人の身柄を確保して裁判官の前に連れて行くというのが逮捕の意味である。

何のために裁判官の前に連れて行くのか。

それは、第1に政府が個人に訴追の用意があることを知らせるためであり、第2にそれに対する個人の弁解を聞くためであり、第3にその逮捕が相当の嫌疑に基づく正しいものだったのかを審査するためであり、そして第4に、その個人を身体拘束すべきか釈放すべきかを決定するためである。

要するに、逮捕は刑事訴追のスタートであって、ゴールではないのである。

逮捕された個人(被疑者)のうちにその後の手続の過程で刑事訴追の対象から外され、無罪放免される者がいることを前提としているのである。

実際問題として、逮捕をゴールとすることには無理がある。

警察には強力な捜査権限が与えられているが、それでも彼らに無罪の証拠を含むあらゆる証拠を収集し、かつ、それらを公正無私な視点から冷静に評価して被疑者が有罪か無罪かを正しく判断する、などということを期待することはできない。

そのようなことができる人間はそもそも存在しない。

捜査――証拠の収集――というものは、人間がやる以上、一定の仮説に立ってそれに沿うものを探すということにならざるを得ない。

被疑者の言い分を聞く前に無罪方向の証拠を集めろなどというのは無理な注文である。

また、警察が集めた証拠の中に無罪を示す証拠があったとしても、逮捕状を請求する段階でそのことに気がつかない警察官を無能であるとか、一方的であるなどといって非難することはできない。

人間はそれほど万能ではない。

逮捕は個人を刑事システムに正式に乗せるために被疑者を裁判官の前に連れてくる手続きである。

被疑者を受け取った裁判官はここで最初の重要な選別を行わなければならない。

すなわち、被疑者には刑事訴追を行うに足りるだけの「相当の嫌疑」があるのか、これがあるとして、刑事裁判を適正に行うために彼/彼女の身柄を拘束すべきなのか、を決定する仕事である。

ここの場面で、欧米の実務と日本の実務は大きく異なる。

欧米とりわけコモンロー系諸国(英米やカナダ、オーストラリアなど英連邦諸国)では、この手続は公開の法廷で行われる。

逮捕された被疑者は速やかに――通常は24時間ないし48時間以内に――公開の法廷に連れて来られなければならない。

この手続をイニシャル・アピアランス(initial appearance最初の出頭)という。

この法廷には検察官と弁護人が立ち会う。

検察官は逮捕が相当な嫌疑に基づくことを示す警察官の宣誓供述書などを裁判官に提出する。

そのうえで、嫌疑の内容が告げられる。

被疑者は弁護人の助言を得ながら、嫌疑に対して答弁をする。

答弁の内容は「有罪」(guilty)か「有罪ではない」(not guilty)である。

検察官が反対しない限りここで保釈が決定される。

双方が提出した資料と弁論に基いて裁判官が保釈金や条件(定期的に一定の場所に出頭するとか、「被害者」宅の何メートル以内に近づかないとか、GPS装置を装着するとか)を設定して、保釈を決定する。

お金のある人は即金で保釈金を納めて釈放される。

お金のない被疑者は、裁判所の近くにある保釈金立替業者(bondsman)に手数料を払って保釈金を立て替えてもらう。

手数料すら用意できない被疑者は拘束されることになる。

アメリカやイギリスの統計によると、重罪で逮捕された被疑者の7割以上が逮捕から48時間以内に釈放される。

「相当の嫌疑」に疑問を感じている被疑者は、予備審問(preliminary hearing)という公開審理手続を開いて検察官に相当の嫌疑の存在を証明することを要求できる。

検察官は証人を呼んで相当の嫌疑を証明しなければならない。

弁護人は検察側の証人を反対尋問することができる。

この審問は陪審ではなく裁判官だけの法廷で行われる。

裁判官が被疑者を訴追して公判手続を行うのに充分な嫌疑がないと判断すれば、この段階で公訴は棄却される。

被疑者が保釈によって釈放されるべきではない――逃亡するおそれがあるとか、証人予定者に危害を加える可能性があるので勾留すべきである――と考える検察官は、そのための審問手続(detention hearing勾留審問)を要求して、被疑者の勾留をすべき理由を証明しなければならない。

公開の法廷で証人尋問が行われる。

この審問が行われて勾留されるのは、死刑や終身刑が予想されるような極めて重大な事案に限られる。
要するに、英米では逮捕された被疑者の多くは、数日以内に釈放され、それまでと変わらない社会生活を送ることができる。

家族とともに生活し、仕事を続けながら、刑事裁判に臨むことができる。

名実ともに逮捕は刑事システムのスタートに過ぎず、ゴールではない。

「有罪判決を受けるまでは無罪と推定される権利」が実質的に保障されたシステムだといえる。

たとえ警察が無実の人を逮捕したとしても、彼女の悲劇は1日か2日で終わる。

裁判で有罪になるまではそれまでと変わらない生活を送れるのだ。

日本ではどうか。

日本でも逮捕された被疑者はやや長いが一定の時間(72時間)以内に裁判官の下に連れて行かなければならないことになっている。

しかし、そこで釈放される被疑者ほとんどいない。

逮捕された被疑者の99%以上がその後20日間身体拘束されることになる。

この審査は公開されない。

弁護人も立ち会わない。

証人尋問も行われない。

検察官が用意した書類を読んだ裁判官が裁判所の一室で被疑者と5分くらい面談して勾留を決める。

保釈も認められない。

すなわち、日本では、お金持ちも貧乏人も、一旦逮捕されたら最低20日間は社会から隔離されることになる。

勾留された個人のうち正式に訴追されるのは6割弱である。

起訴されると制度上は保釈の権利が与えられている。

しかし、起訴と同時に保釈される人は殆どいない。

それどころか、起訴されて1年たっても2年たっても保釈されない人が8割以上いる。

この保釈の審査も非公開の書面審理である。

裁判官は検察官が送ってきた書類にざっと目を通すだけで――被告人の顔を見ることもなく――「被告人には罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由がある」と判断して被告人の保釈請求を却下するのである。

こうして、この国で逮捕された個人の多くは、家族から切り離され、仕事を失い、人生における時間を奪われる。

日本でもアメリカでもイギリスでも、逮捕は罪を犯したという「相当の嫌疑」を根拠として行われる。

それは個人を刑事司法のシステムに乗せるための手続に過ぎない。

逮捕は刑事システムのスタートにすぎない。

決してゴールではない。

この点も同じである。

ところが、日本の現実では刑事システムの始まりは人生の終わりなのである。

ここに日本における「誤認逮捕」問題の深刻さの根源がある。

「誤認逮捕」問題の根源は警察や検察にあるではない。

「誤認逮捕」問題を作っているのは裁判官なのである。

公開の法廷で検察官に勾留の要件を証明させることをせずに、捜査書類を読むだけで勾留状を発行する裁判官。

保釈を権利として保障している法律や国際人権規約の条文を無視して「罪証隠滅のおそれ」という曖昧な例外規定を極限的にゆるやかに解釈する裁判官。

検察官の言いなりに接見禁止決定を乱発する裁判官。

こうした現代の裁判官たちが「誤認逮捕」問題を作っているのである。

彼らはその気になりさえすれば、英米の勾留審問や予備審問と同じように、勾留審査や保釈審査のために公開の法廷で証人尋問をしたり、被告人や弁護人の意見陳述を聞いたりすることができる。

刑事訴訟法や刑事訴訟規則にはそれを認める規定がある。

誰もそれを違法だと言って止めることはできないはずだ。

ところがそれをやろうという裁判官は日本には一人もいない。

周りの裁判官がやらないから、自分もそれをやらない。

こうした小役人的な官僚裁判官しかいないことが「誤認逮捕」問題の根源的な原因なのである。

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