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  • 2021年11月30日 12:34 (配信日時 11月26日 06:00)

「新規感染者主義」から脱却し日本経済の成長復元を - 唐鎌大輔 (みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト)

10月4日に発足した岸田文雄政権は経済政策の要諦として「再分配」を掲げ走り出したが、金融所得課税の引き上げなどを嫌気した株式市場から手痛い洗礼を食らい、岸田首相は早々に「当面は触ることは考えていない」と軌道修正を迫られた。

世界的に再分配による格差是正の必要性が認識されているのは確かだが、政治資源に乏しい発足当初から金融市場に嫌われる展開は避けるに越したことはない。

とはいえ、そうした金融市場の癇癪を持ち出さずとも、今の日本は成長率の復元に注力するしかない。10月12日に発表された国際通貨基金(IMF)世界経済見通しでは世界経済全体の成長率が引き下げられた。デルタ変異株の感染拡大により供給網が寸断され、需要超過の状況が窮まって物価が上昇していることのマイナス面が出た結果である。

しかし、その内実に目を向けると日本だけ特異な状況にあることが分かる。今回、先進国では米国、ドイツそして日本の下方修正幅が目立ったが、その理由として、米国は4~6月期の大幅な在庫取り崩しなどが指摘されている。在庫取り崩しは供給制約の影響も当然あるが、力強い需要の結果でもある。

ドイツは生産活動全般にわたって部品不足が響いており、依然として国内製造業の力が強いことが裏目に出ている。一方、日本は「7月から9月までに発せられた4回目の緊急事態宣言の影響」が指摘されており、世界が直面するリスクとは別の次元で悪化していることが分かる。

日本の特異性は予測修正の経緯を見ても明らかである。下図は2021年と22年の世界経済見通しに関し、G7諸国に関する予測修正幅(4月→10月)を比較したものである。予測修正幅に関し、21年分を①、22年分を②とした場合、その合計がマイナスになっているのは日本だけだ。

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ワクチン接種
「手段」と「目的」の履き違え

つまり、日本以外の先進国では春先と比較して「予想より調子が良い」というペースで走れているが、日本だけはそうではないという話である。世界はアフター・コロナ時代の悩み(供給網の寸断やインフレ高進、需要超過など)を抱えながらもうまくやっている一方、日本だけはまだコロナ禍に苦しんでいる。

しかし、その日本のワクチン接種率は10月下旬時点で英国を抜き世界トップ集団に入り、死者数も低水準に抑えられている。では一体何のためにワクチン接種を進めてきたのか。結局、日本には戦略がなかった。

欧米ではワクチン接種率上昇を「手段」、経済正常化を「目的」として両者を包括的に考える明確な戦略があった。ジョンソン英首相は今年2月時点で4段階のロードマップを提示し、6月には完全な行動制限解除に至ると謳っていた。バイデン米大統領も3月時点で7月4日の独立記念日にはウイルスからも独立すると謳った。これらの戦略はおおむね実現している。

片や、日本は9月にワクチン接種率で米国を抜き去りながらも緊急事態宣言を漫然と延長した。ワクチン接種率を高めるという「手段」がいつの間にか「目的」化し、経済正常化が放置された。この「手段の目的化」とも言える状態から脱却し、欧米のような成長軌道に乗れるのかどうかが岸田政権に求められる喫緊の課題と言える。

そのために必要なことは多岐にわたるが、一言で言えば「新規感染者主義からの脱却」と考える。菅義偉前政権はワクチンの調達・接種で実績を上げたが、新規感染者数と支持率がリンクするような状況に押されて退陣を強いられた。

ウイルスや感染者がゼロになることはない以上、これでは誰が首相でも政権は安定化しない。大袈裟ではなく、退陣表明が2週間遅ければ感染者数の激減を受け菅政権は持続していた可能性もある。

周回遅れでは済まされない
行動規制一辺倒の末路

本来、そのような政治的混乱を招かないために新型コロナウイルス感染症対策分科会(以下、分科会)の助言があるはずだが、分科会は「人流が減っていないので感染者数も減らない」というロジックから一歩も出ず、提示される解決案は常に行動規制しかない。

緊急事態宣言が解除され、10月に入ってから街に人が増えてきた。ここから、もう規制一辺倒の状況には戻れない (BLOOMBERG/GETTYIMAGES)

少なくとも人流抑制が感染終束ひいては経済復活の鍵だというのであれば、春先から日常を取り戻し、潜在成長率の2~3倍のスピードで走っている欧米経済の現状は一体どう説明するのか。この点についてもなぜか分科会からの情報発信はなかった。

戦略の失敗は戦術では取り返せない。日本は「世界最速のワクチン接種率」という現状考え得る最高の戦術を誇るが、「人流が元凶なので行動規制強化」という分科会由来の戦略思想に固執し続けた。なお、分科会は11月8日に感染状況に関する新指標を提示した。だが、人口1400万人を擁する東京の感染者数が2桁まで落ちても分科会からロードマップの提示はなかった。岸田政権は分科会から適切な距離を取り、今度こそ経済正常化という真の目的に舵を切るべきである。さもなければ欧米対比の成長率は周回遅れでは済まなくなる。

ちなみに、上述したような日本の「弱い成長率」は「安い日本」に直結しつつある。最近になって日本の財・サービス、その背景にある賃金など、あらゆるものが諸外国と比較して安くなっているという、いわゆる「安い日本」に関する議論がにわかに増えたと感じる読者は多いのではないか。

弱い成長率が直結
「安い日本」に時間は無い

こうした議論を展開する際、特定のグローバルな商品の価格を尺度にすることは多い。例えば、最近発表されたばかりのiPhone13に関して言えば、日本における価格が10年間で3倍の19万円に至っており、これが実に「日本人平均月収の6割」に達しているとの報道が話題になった。

この「輸入品が高い」と実感する状況は日本の所得環境が海外のそれと比較して劣後し始めていることを意味しており、海外目線からすれば、文字通り、「安い日本」を意味する。

「安い日本」は「弱い円」の裏返しでもある。上記のような商品の価値は、いわゆる「物価」として広くあまねく認知される。物価はある国の居住者にとって財・サービスに関する「対内価値」を示す。

これに対し、居住者が外からの財・サービス購入を検討する場合は「対外価値」を示す為替相場、要するに通貨の価値が重要になる。この点、年初来の為替相場では円独歩安の地合いが続いている。これは貿易量および物価水準を用いて算出される実質実効為替レート(REER:Real Effective Exchange Rate)で見ると顕著である。

ここでは「REERはある通貨の総合力」とでも理解してもらえればよい。円のREERは21年9月時点で72・36まで下落している。近年では黒田日銀総裁の下での金融緩和およびこれに伴う円安・株高が最も勢いのあった15年6月に記録した70・66が変動相場制導入直後(1970年代前半)の安値に匹敵するということで話題になったが、今はその水準に肉薄している。

今回、REERの動きを理論的に詳しく説明する紙幅はないが、兎にも角にも、この状況は日本人の購買力低下、外国人の購買力上昇を意味する。今年10月以降、原油を筆頭とする商品価格上昇が懸念されているが、商品高と円安の併存は資源輸入国・日本にとって最悪の展開の一つである。

日銀にとっては
正常化プロセスの好機

では、日本にできることはないのか。上述したように「新規感染者主義からの脱却」で経済正常化を図ることが大前提として、これを機にポーズであっても日銀の正常化姿勢は示した方がよいように思える。歴史的に日銀が緩和策の副作用を指摘されながらも正常化プロセスに触れなかった最大の理由は「円高が怖いから」だった。

しかし、もはや日銀以外の海外主要中銀は正常化プロセスに関し、一歩も二歩も先行している。今さら、日銀が多少の緩和縮小を示唆したところで、かつてのようなヒステリックな円高になるとは思えない。

また、近年ではドル/円相場と日経平均株価の相関も不安定になっており、円安に拘泥したところで株価浮揚の効果も過去ほどではない。いつかはやらねばならない出口戦略なら今が好機という考え方もある。

重要なことは、政策当局は焦燥感を金融市場に悟られてから動くと、大体ろくな目に遭わないということである。市場参加者から「円安は日本経済にとって痛手」と認識され、いったんその方向に相場が動き始めたら嵩(かさ)にかかって円売りで攻め込まれる恐れがある。そうなってからでは、できることは非常に限られてくる。

金融政策に限らず、まだ傷の浅い今のうちに少しずつ円安を抑止できるような処方箋を検討すべきように思える。それくらい、円安と原油高が同時進行する状況は危ういものである。しかし、これを契機に円安万能論のような社会規範が修正されるとしたら不幸中の幸いと言えるだろう。

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