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映画が人間に負けた日


『邦キチ!映子さん』の池ちゃんというキャラクター

ウェブ漫画『邦キチ!映子さん』の最新話に出てくる“池ちゃん”というキャラクターが話題になっている。

comip.jp

冒頭からカフェ(ファミレス?)で知人女性を相手に雑談しているのだが、「ネトフリはオリジナル作品観とかないとマジで人生損してるよ!」「とりあえず『イカゲーム』に『クイーンズ・ギャンビット』でしょ…」と、1ページ目からしたり顔でまくし立てていく。noteに「ネオフリで絶対観ておくべき10選」という記事を挙げているらしい。既視感がすごい。

その後も、ばったり再会した邦キチさんを相手に、池ちゃんの勢いは止まらない。『花束みたいな恋をした』「坂元裕二」『逃げ恥』『MIU404』「野木亜紀子」『his』「今泉力哉」『空気階段の踊り場』…と、ありとあらゆる膨大な固有名がペラペラペラペラが池ちゃんの口を付いて出てくるのだが、そのどれもが表層的で軽薄で、それらの固有名を知らない人からしたら不快感さえ覚えてしまう。

自分の話がつまらないことは池ちゃん自身も自覚しているようで、邦キチさんに「オレに教えてくれないかな? 面白い感想の言い方…!」と、身も蓋もない直談判をしたところで今週号は終わっていた。

どうして、そこまでして話題作を観なければならないのだろう。そして、どうしてそれらについて「面白い感想」を言わなくちゃいけないのだろう?

“ファスト映画”を観る者の価値の倒錯

映画については、「ファスト映画」の騒動も記憶に新しい。主にYouTube上でアップロードされる、映画の本編映像を切り貼りして、約2時間の作品をわずか数分に「要約」した動画のことで、1本で数万から数十万もの再生数を稼いでいるユーザーもいるという。もちろんそのほとんどが違法で、映画業界はすでに何百億もの被害を被っていると言われている。ついに今年には配信者の中から逮捕者も出た。

そこに「需要」があるからこそ「供給」が生まれるわけで、「ファスト映画」の利用者も少なくなかったのだろう。

しかし、ここには、旧来の映画ファンからしたら奇妙な価値の倒錯がある。単なる作品の違法アップロードなら話はまだ分かる。チケット代を浮かせたいのだろう。

問題は、「約2時間かけて楽しむように設計された映画をわざわざ数分に凝縮して楽しめるわけがない」ということだ。それも、映画の作り手でもない赤の他人が恣意的にまとめた「要約」で、面白いわけがないで。なぜそんな「無駄」なことをする人が多いのか。

あるベテランライターさんの「ざんげ」

あるベテランの映画ライターさんと仕事で一緒になったときのことだ。仕事の待ち時間に雑談をしていたとき、そのライターさんが最近ちょっと忙しいという話になり、「ぼくだってあんまりしたくないけど…1.5倍で観ることだってあるよ…」と明かしたのだ。

何の話だ、というとこれも映画だ。そのライターさんはインタビューの下準備である映画の公開前試写をオンラインでする必要があったのだが、倍速にして見てしまったと「ざんげ」しているのだ。

ぼくはこのときのライターさんの話し方が印象に残っている。まるで悪いことをしているかのように、息を潜めて、後ろめたそうに話していた。その気持ちは分からなくもない。おそらく映画が好きで入った業界だ。映画は監督という“創造主”によって生み出される2時間の総合芸術で、全てのカット、間が計算されつくされていると信じているのだろう。それを無断で倍速にして観ることは鑑賞者の越権行為で、創造主のプライドを踏みにじるに等しい。だからこそ、「映画を倍速で見る」ということが、このライターさんにとって罪深きことに感じられたのだろう。

しかし、膨大な資料を読み込みながら執筆する、という仕事に忙殺される中で、好みでもない映画を見なければならなくなったとき、それはもう「鑑賞」から「作業」に変わる。映画が、目的から手段になる瞬間だ。そのとき、本来どんな映画好きな人間でも、「倍速」の誘惑には抗えないのだ。

映画が目的から手段に堕する時

回りくどく話してきたが、なぜ回りくどく話してきたかというと、結局、映画をめぐるこれらのエピソードは、一つの真実に行き着く。池ちゃんが話題の映画ばかり見ていることも、他者に面白い感想を述べたがることも、ファスト映画が流行ることも、ライターさんが悪びれながら映画を倍速で観ることも、映画が目的ではなく、手段になっているということだ。

では何の手段なのか。ここまで見てきた4つの例のうち、最後のライターさんの例だけは、別物だ。彼のエピソードは仕事上の物理的な限界によって生じた悲劇と言えるかも知れない。そう信じたい。

一方、前半の3つの例ははっきりと分かる。池ちゃんやファスト映画の愛好者らにとって、映画は他者とのコミュニケーションのための手段になっているのだ。

みんな心に小さな“池ちゃん”を飼っている

映画が人と人のコミュニケーションのための「手段」に成り下がってしまった。

SNSも無関係ではない。いや、元凶といえるかもしれない。SNSは分かりやすく人の「欲望」を可視化する。現代ほど、今この瞬間、人の関心や欲望がどこに集まっているかが可視化された時代はない。

各種動画配信サービスの攻勢がそれを加速させる。サブスクリプションサービスは、われわれを「返却日」や「延滞料金の恐怖」から開放させた、と思われた。

しかし、待っていたのは、いつか観るための「マイリスト」の山と、次から次へと降って湧いてくる「SNSで話題の作品」の数々。サブスクで「心のゆとり」などどこにも生まれなかった。われわれは今や、ビデオレンタル時代と比較にならないぐらい、「コンテンツを消費しなければならない」という圧力に襲われ、急き立てるように次から次へと消費に明け暮れる。

話がとっちらかってきた。

映画を観ることが目的ではなく手段になってしまった時代の話だ。では、映画は何に負けたのだろう。おそらくそれはSNSでも、サブスクリプションでもない。そうしたテクノロジーは根源的な要素ではない。映画が負けたのは「人間」自身だ。もっといえば、人間と人間が織りなすコミュニケーションへの飽くなき欲望だ。

SNSは何もそれ自体で自足しているわけではない。われわれがSNSに魅了されるのは、「そこに人が集まっているから」だ。

そして、映画はコミュニケーションの話題の一つに成り下がってしまった。

でもこれは、予め雌雄の決していた映画にとっての「負け戦」だったのかもしれない。ここで、俗流ラカン理論ブロガーとして一言添えたいのは、「人間の欲望は他者の欲望」という定理だ。人は自分以外の人が惹かれているものに惹かれるものだ。予め、そうプログラミングされているとラカンは言う。そして、これは次のようにも言い換えられる。人は、人が話題にしたがるものこそ話題にしたがる、と。

ネット上で池ちゃんのようなキャラクターが話題になるのは、池ちゃんが面白がられるのは、面白がっている人たちにも少なからず、心当たりがあるからにほかならない。断言しよう。みな、心の中にリトル池ちゃんを飼っている。映画は好きだけど好みはある。ドラマも好きだけど好みはある。でも、みんなが話題にしている作品も押さえておきたい…たとえそれが好みの作品ではなくても…。池ちゃんのような「すけべ心」は、大なり小なり、今の時代誰だって持っている。だからこそ、あの漫画はウケたのだ。そしてそれが、ラカンの言う意味で「他者の欲望を欲望する」ということなのだ。

だから、映画やドラマを「手段」にしていると自覚しても、自分の中の“池ちゃん”を虐待しないであげてほしいと思う。誰だってコンテンツ消費を目的ではなく手段にせざるを得ない瞬間はあるだろうし、「話題になってなかったらこんなクソ映画観ねーわw」ということもあるだろう。手段であるからこその予期せぬ出会いもある。自分の中の“池ちゃん”を悪者のようにとらえないでほしいと思うのだ。

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