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原理主義的傾向について

我が国に無意識に浸透する「原理主義的傾向(ムード)」について述べておきたい。ここ数日、妙に気になる。

(一)、まず放射能の安全性と原子力発電について
 一昨年の四月初め、福島第一原発正門前に普通の服装で立った放射能医学の専門家である札幌医科大学教授の高田純さんは、ここは安全です、と自らの身を以て広報した。

 しかし、政府は、第一原発周辺の町の住民を放射能が危険だという理由で退去させた。
 それと同時に、福島県産の農作物は、人体に危険ではないが放射能が検出されたので出荷停止だと官房長官が訳の分からん理由で記者発表していた。

 そして、これと同じ理屈で、被災地の物は日本各地で拒否され始めた。八月の京都大文字焼きに使うために送られた被災地の松が拒否されたのはその象徴だ。

 そこで私は、放射能医学専門の医師と数名で、政府が六千人の村民退去を決めた飯舘村を訪れた。郡山からは元空幕長の田母神さんも参加した。

 飯舘村の牧場で、同行の医師が、放射能を計測して「ここは、6マイクロシーベルトです。ここに暫く立って深呼吸してください」というので田母神さんと一緒に立って深呼吸を続けた。

 暫くして医師が、「どうですか」と聞くので、「ラジューム温泉にゆったりつかったようなリラックスした気分です」と答えた。田母神さんも、頷いていた。

 その後、飯舘村役場で村長に会った。村長は、政府の全村民退去の措置に納得していなかった。
 しかし、その村長には全国各地から抗議のメールが送られていた。その中には、「人殺し」とか「村民をモルモットにするな」とかいう過激なメールが混じっている。同行の医師が、それは私に来るメールと同じ文章です、と驚いて言った。

 そして、私自身にも、「自分の孫を数十年間飯舘村に住まわせてから安全だと言いなさい」というメールが来ていた。また街頭で「放射能に対する政府の村民退去措置は過剰だ」と演説していると、「自分の家族をそこに住まわせてから言え」という実に効果的なヤジが飛んだ。また、そういう広報の機会には、必ず、ヤジ以外にも、拒絶の意思を効果的に示す人がいた。

 そこで、後に京都大文字焼きのために送られた被災地の松が拒絶された時、これは、飯舘村村長に届いていた抗議と非難のメールと同じ、多数の効果的で定型化した同一文章のメールが主催者側に届いた結果だと思ったのだ。
 
 また東京では、家の下の地面から放射能が検出されたと表の道が通行止めにされたが、長年その家に住んでいる人に健康障害はなく健康なお年寄りだった。にもかかわらず、大まじめにマスコミは「放射能が検出された」と伝えていた。

 以上、要するに「放射能検出」だけで、出荷停止、村民退去そして通行禁止の措置がなされていたのだ。

 しかし之では地球上に住めるスペースはない。何故なら、太陽は放射能の塊で地球上に放射能を送っており、生命は放射能を浴びる地球上で誕生し、我々自身も放射能を持つ存在であるからだ。

 けれども、「放射能検出=危険」という公式を批判しようものなら、各地から、「人殺し」、「人間をモルモットにするな」等々の非難が浴びせられるのである。そして、この風潮を前提にして原子力発電廃止は動かし難いものとなる。

 しかし、これは、日本の産業を崩壊させようが国民を飢えさせようが「放射能=危険」を貫こうとする原理主義である。
 これは、交通事故がゼロに成らない限り自動車を動かすな、
隕石が頭の上に落ちてくる可能性がゼロに成らない限り外を歩くな、
レバーを生で食べて腹をこわす確率がゼロでない限りレバーの生食を禁止する、等々と同じだ。
 
「安全とは、専門家が決めてくれるものではなく、社会的合意に基づいて暫定的に決められる約束事である」(産経新聞、25年2月21日、「正論」)
 この当然のことを、今一度原子力そして原子力発電について回復しなければ、国家が崩壊しかねない。

 飛行機や新幹線や自動車に乗り、隕石の墜ちてくる野外を歩き、生レバーが好きな国民なら、常識を回復できるはずだ。
 但し、「放射能=危険」を武器にして日本を弱体化させようとしている反日工作員は別。

(二)、体罰は絶対ダメか
 湯を流して赤子も流してしまう、角を矯めて牛を殺してしまう。
 これは、物事の行き過ぎを諫めた古くからある教訓だ。

 「体罰」という言葉を、「教育的効果を狙った有形力の行使」と言い換えて考えるべきだ。「罰」ではない「有形力」を一切使わずに教育が成り立つのであろうか。
 成り立つのは、「有形力」を使う必要のない子どもたちだけを集めた「特異な空間」の中だけだ。つまり、それ以外の生徒は全て退学させたあとの学校。
 さらに言えば、その「特異な空間」の中に入れる子どもたちも、家庭において、両親から「しつけ」という「有形力」を受けたからその資格を得たのではないか。

 人は、初めから人なのであろうか。
 アメーバーや昆虫や魚は、別に学校は必要ない。しかし、ほ乳類になれば生まれてからの「学習」が必要となり、一番必要なのは、生まれてから一年、二年は、立つことも、排泄の処理をすることも、話すこともできない人間だ。

 この人間は、狼に育てられれば狼になる。従って、「学習」は、人が人になるための最重要の過程である。この人を狼ではなく人にする過程の中で、教育者は、「有形力」を大切なポイントで行使できる人でなければならない。

 では、その「大切なポイント」とは何か。例えば、子ども同士の喧嘩で、一人の子どもが興奮してナイフを手に持とうとしたときである。
 この時、それを見ていた教師はどうすればいい。
「ばかもん」と怒鳴って、
 一発ぴしゃりとやるしかないではないか。
 それとも、「止めなさい、止めなさい」と言うだけで、結果的に一方が傷を負えば病院へ送り、他の一方は少年鑑別所に送って退学させればいいのか。

(三)、明石の花火見物事件・刑事責任は絶対誰かにあるのか
 先年、明石市に於いて、花火見物現場に殺到した群衆が折り重なって倒れ、子ども達が亡くなる痛ましい事件があった。
 そして、この度、現場の警備責任者に刑事裁判で免訴、実質無罪の判決があった。

 あの現場で子どもを亡くした親の痛恨の思いは如何ばかりか。
 それは分かる。
 しかし、だからといって、免訴・無罪が、あたかも「真犯人」を取り逃がしたことであるかのように残念がる報道姿勢は如何なものであろうか。原理主義的で、いささか偏りすぎないか。

 あの現場の映像は繰り返し放映されたので多くの人はご覧になっているはずだ。
 
 絶対に、警備している警察に刑事責任があるのか。
 
 何故、あの群衆の中に、子どもを連れて入ったのか。
 
 私は、明石の花火を子どもを連れて見に行って、あの群衆を見て近寄らずに帰った親を知っている。
 
 親には引き返す判断もできたのではないか。

 あの現場を見ていなかった者はともかくとして、現場にいて、また現場の状況を知っている警察官は何をすべきであったのだろうか。
 前方の状況が分からずに押してくる群衆を数名の警察官で陸橋に入れなくするために、押し留めることが可能だったのだろうか。

 私は、あの映像を観て、タイタニック号沈没の時、救命ボートに殺到する乗客を止めるために船員が威嚇射撃をしたことを思い出した。
 そして、明石の花火大会でも、警官は、威嚇射撃をして群衆の注目を集め、押さずに解散せよと命じ、なお押す者は撃つと宣告するしかなかったのかと思う。

 しかし、そうすれば事故は起こらなかったのであるが、警官が善良な親子ずれの市民に拳銃を向けたということだけが残る。そして警察に対する非難は囂々とわき起こるだろう。結局、威嚇射撃は無理だ。

 この事件は、将来の警備のあり方に多くの貴重な教訓を残している。従って、検証はやり尽くさねばならない。
 しかし、警備側の警察の中に真犯人を見つけ出すという姿勢に固まっていれば、せっかくの教訓の半分は得られなくなる。
 何故なら、あの事件は、大勢の人の中に子どもを連れて入る親への教訓も含んでいるからである。

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