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【テロとの戦争から20年】欧州とイスラム教徒 なぜ衝突するのかを考える

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 2001年9月11日、米国で発生した同時多発テロ(「9.11テロ」)。イスラム過激主義組織「アルカイダ」の指導者オサマ・ビンラディンが首謀者とされた。

 米国の資本主義の象徴とも思われた、ニューヨークの世界貿易センタービルにハイジャックされた飛行機が突入する様子は、米国の、ひいては西欧に対する攻撃に見えた。

 その後、9.11テロが一つの起点となり、欧州ではイスラム過激主義を信奉する男性たちによるテロが相次いだ。

欧州の「表現の自由」への挑戦か

 一連のテロは、欧州社会やその価値観に対する異議申し立て行為のようにも映った。例えば、宗教も含めてあらゆる事象を表現の対象とする、「表現の自由」に対する挑戦行為のように受け止められたのである。

 2004年11月、オランダ・アムステルダムでは映画監督テオ・ファン・ゴッホが白昼、イスラム過激主義の青年による銃撃を受けて死亡した。ゴッホは、生前、イスラム教を揶揄する言動を繰り返しており、オランダの国会議員(当時)アヤーン・ヒルシ・アリが脚本を書いた、イスラム教批判の短編「服従」を制作していた。

 2015年、フランスの風刺週刊誌「シャルリ・エブド」がイスラム主義の男性らに襲撃され、二ケタ台の編集部員が亡くなった。この雑誌はあらゆる宗教や権威を風刺の対象としてきたが、その中にはイスラム教やその予言者ムハンマドも含まれていた。

 昨年、フランスでは授業の中でムハンマドの風刺画を授業で見せた中学教師がイスラム教徒の男性に殺害されている。

イスラムフォビア

 一方、筆者が住むロンドンでは、2005年7月7日、4人のイスラム教徒の男性たちが列車・バス多発テロを発生させた。彼らは「普通のムスリム市民」のはずだった。

 その後長い間、筆者を含む多くの英国の住民は、「ムスリムらしい格好をしている人」、「爆弾が入っているかもしれないリュックを背負って電車やバスに乗る人」を目撃すると、びくびくしながら公共機関を利用したものである。

 ムスリム市民の多くが、9.11テロを境に強まったイスラム教徒に対する偏見や怖れ=イスラムフォビア=の対象にされることになった。

 欧州に住むムスリムと西欧的価値観のかかわりについて、長年にわたり調査や研究を重ね、著書も多数ある同志社大学グローバル・スタディーズ研究科の内藤正典教授にメールでお話を伺った。

***

―9.11テロ発生時、どこにいらして、どのような形で発生を知りましたか。どんな感想を持たれましたか。「こういうテロが起きるかもしれない」という予感はあったのでしょうか。

[画像をブログで見る]

 仕事でパリにいました。アルカイダによるテロは1998年のタンザニアとケニアの米大使館爆破で知っていましたが、次に9.11のような大規模なテロが起きることまでは予測していませんでした。

―9.11テロ発生後、「テロとの戦争」を開始してゆくブッシュ米政権の行動をどのようにご覧になっていらっしゃいましたか。

 約3000人の犠牲者を出したこと、米国本土が攻撃されたこと、米国の富の象徴ともいえる世界貿易センタービルを崩壊させたことで、米国が大規模な報復の戦争にでることは容易に想像できました。

 しかし、アフガニスタンのタリバン政権を打倒することになり、当初、「infinite justice」(「無限の正義」)と呼んだ作戦名を「enduring freedom」(「不朽の自由」)に変えたあたりで、米国は、アフガニスタンへの「侵略戦争」を正当化する意図を持っていると感じました。

 報復の戦争なら報復に徹した方が良かったと今でも思っています。報復の論理自体はムスリムにもあるので、米国の報復を理解できたからです。これを、自由のため、とりわけ女性の解放と結びつけたことで、戦争は失敗するだろうと当時から思っていました。

 このあたり詳細は『なぜ、イスラームと衝突するのか―この戦争をしてはならなかった』(明石書店、2002)で書いています。

***

なぜ、イスラームと衝突するのか―この戦争をしてはならなかった

 「9・11後のテロ報復という名の戦争。この戦争を合理化するレトリックはあいまいな証拠にもとづいている。アメリカによるアフガン空爆の正当性をあらためて問う。テロ後の世界でいま求められるものは何か? イスラームへの理解と対話可能なことばを模索する(明石書店による本の説明文から)」。

 本書は品切れだったが、まもなく増補版が新たに刊行される。

***

―テロとの戦争が開始され、キューバの米軍地に設置したグアンタナモ収容所でテロ容疑者を無期限に拘束したことも含めた超法規的行為、国際社会の反対を押し切ってのイラク戦争開戦(2003年3月)などについてはいかがでしょうか。

 常軌を逸した行動でした。

 イラク戦争を起こせば、たとえ独裁者フセインを倒しても、その後、イラクがクルド地域、スンニー派、シーア派に事実上分裂することは明らかでした。その後の宗派間の衝突だけでなく、アメリカが実質的にクルド地域政府の中に諜報や軍事活動の拠点を持ったのは、ただでさえ脆弱な中東の秩序を破壊する危険を孕んだものでした。

 事実、その後ISという稀に見る凶暴なイスラム組織が台頭したのは、この分裂がきっかけであったことは疑いようがありません。

―テロとの戦争はアフガニスタン侵攻から始まりましたが。

 アフガニスタンについて、アメリカと北大西洋条約機構(NATO)同盟国の「敵」となったタリバンが、この戦争をどう見ていたか?この視点が日本ではあまりに欠けていました。

 ベトナム戦争(1955ー75年)のころには、アメリカの戦争を侵略とみなす声はかなりありました。

 しかし、アフガニスタン侵攻では、それが「報復」から「自由や女性の解放」にすり替えられたことで、リベラル派も含めて、戦争が侵略と占領ではないかという疑問を持たなかったことが大きな問題でした。

 タリバンからみれば、まさしくアメリカとNATOは侵略者で占領者ですから、彼らと戦うのは一貫した目的でした。

 しかし、アフガン政府軍からみると、アメリカが植え付けたはずの自由や民主主義のために戦うという意識すら育っていなかったことがわかります。それは、アフガン人が遅れているからではありません。二世紀以上にわたって、イギリス、ソ連(ロシア)、アメリカと、西洋の侵略と占領にさらされ、それを撃退してきた歴史は、タリバンだけのものではありません。多くのアフガン人が共有する歴史であったのです。

 政府軍兵士はアフガン人、タリバンもアフガン人。同じアフガン人同士で殺しあえと命じるアメリカの姿勢が、かつての侵略者と同じに見えなかったとでも言うのでしょうか。バイデン大統領が戦わずして消滅したアフガン政府軍を非難しましたが、彼自身のこの非難こそ、アフガニスタンでアメリカと同盟国が何をしていたかを象徴的に物語るものであったと思います。

アフガニスタンの歴史:ユーラシア大陸の内陸国で、かつてアジアと欧州を結んだシルクロードが枝分かれする場所にある。19世紀には、インドを植民地化した英国と、南下してきた帝政ロシアが影響力を競い合い、「グレートゲーム」と呼ばれる覇権争いの舞台に。1979年には、ソ連が侵攻し、米国が支援するムジャヒディン(イスラム戦士)がゲリラ戦で対抗した。10年後にソ連が撤退すると、内戦が始まり、タリバンが力を持つように。

2001年10月7日、9.11テロの首謀者オサマ・ビンラディンをかくまっているという理由で、米英を中心とした多国籍軍がアフガニスタンに侵攻。まもなく、タリバン政権が崩壊。選挙で選ばれた政権が発足するが、2021年8月末、米国を含む駐留外国軍が撤退し、タリバン政権が復権する。(朝日新聞他) 

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