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「分配」も必要 やはりそれでも「成長」がなければつまらない - 原田 泰(名古屋商科大学ビジネススクール教授)

 岸田文雄政権の「新しい資本主義」は分配に重点を置いたものになると思っていたら、いつのまにか日本が成長していないという話で盛り上がっているようだ。

 1990年から日本の給料(物価上昇の影響を取り除いた実質の給料である)が横ばいなのに、アメリカをはじめとした世界の先進国の給料は順調に上がっているグラフをさんざん見せられたら、やはり成長が大事だという気になってくる。なぜ、上がらないのか、上げるためにはどうしたらよいのだろうか。

(metamorworks/gettyimages)

成長戦略や構造改革で給料は上がるのか

 岸田内閣で「新しい資本主義」を扱うのは、その名の通りの「新しい資本主義実現会議」で、半年くらいで答えを見つけないといけないらしい。しかし、1990年からこれまで30年間、日本は成長をしなかったのだから、そう簡単に答えは見つからない。

 分配も、別に小泉純一郎内閣の新自由主義で悪化した訳ではなく、高度成長が終わってから、徐々に格差が拡大してきただけだ。この原因を、多くの経済学者は高齢化によるとしている。初任給はあまり変わらないが、その後の努力と運でだんだんと格差が開く。同一年齢層での格差は高齢者ほど大きいから、高齢化すればどうしても格差が拡大するというのである(大竹文雄『日本の不平等-格差社会の幻想と未来』日本経済新聞社、2005年)。

 これを仕方がないことと考えると、問題は正社員になれた若者と非正規になってしまった若者の格差だ。小泉内閣の派遣労働への規制緩和のせいだという人が多いのだが、非正規の若者が増えたのは90年以降のことだ。不景気で企業が新入社員を取らず、やむなく若者が非正規の職に就いたのだ。就職氷河期とは不景気の時の話だ。

 アベノミクスで金融緩和をしていた時期は成長率がわずかながら高まって、雇用が大きく改善し、正規の職員が増加した。まずこれを続けることが必要だ。ただし、これだけでは不十分だから、より高い成長のためには、構造改革や成長戦略が大事だとなるのだが、具体的に何をするのかは一向に分からない。

ノーベル賞学者でも手をこまねく経済成長策

 2001年初めのことである。テレビの経済討論番組で、当時の亀井静香自民党政務調査会長に、ある有名エコノミストが「なぜ政府は小手先の景気対策ばかりで抜本的な構造改革をやろうとしないのか」と語気鋭く迫ったのに対し、亀井氏は「それではあなたのいう構造改革とはいったい何なのか」と切り返した。このエコノミストは、それに対して何も答えることはできなかった(野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』東洋経済新報社、2001年)。

 あれから20年近くたっているのに、構造改革論派のエコノミストの多くは、具体的には何も答えていない。

 どうしたら成長率を高めることができるかは、簡単な問いではない。06年に世界銀行が、貧困国のための成長の処方箋を、マイケル・スペンス氏、ロバート・ソロー氏らノーベル賞受賞の経済学者を含めた委員会を作り報告書の作成を依頼した。

 その結果について、開発経済学の専門家でニューヨーク大学のウィリアム・イースタリー教授は、「21人の世界一流の専門家で構成される委員会、300人もの研究者が参加した11の作業部会、12のワークショップ、13の外部からの助言、そして400万ドルの予算を投じて2年におよぶ検討を重ねた末、高度成長をどのように実現するかという問いに対する専門家の答えは、わからないというものだった。しかも、専門家がいつか答えを見つけることを信じろという」と書いている(アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学 社会の重要問題をどう解決するか』日本経済新聞出版、2020年、270頁、より引用)。「新しい資本主義実現会議」で、半年で答えを出せと言っても無理だろう。

 岸田首相は、中間層を厚くする、と言っている。しかし、どうしたら中間層を厚くできるのか。一つ確かなことは、所得の高い人と所得の低い人から税金を取って中間層に配ることはできないということだ。所得の高い人は人数が少なく(これは本欄「高所得者への所得税拡大は財政健全化につながらない」で既に述べた)、所得の低い人はお金がなく、中間層はたくさんいるからだ。

 中間層には自分で頑張って中間になっていただくしかない。政府が中間層向きの仕事を作ったりすることができるとは思えない。政府ができることは、例えば教育の援助くらいしか思いつかない。

「130万円の壁」の既得権益拡大を

 むしろできることを考えてはどうだろうか。所得の低い人の所得を上げることである。いわゆる「130万円の壁」をなくすことと、補助金付きの最低賃金の引上げ(これは、給付付き税額控除と似ている)である。

 130万円の壁とは、専業主婦の年間収入が130万円を超えると夫の年金から離れて独自に年金保険料などを払わなければならなくなることで、収入が160万円ほどになるまで税保険料支払い後の所得が増えなくなることだ。

 多くの人は、専業主婦の既得権益をなくすことを論じるが、そもそも既得権益を破壊しようとするから反対が多くなって改革がうまくいかない。私の提案は既得権益を拡大することだ。

 年金保険料を払わなくても良い年間所得を200万円あるいはそれ以上に引き上げることだ。フルタイムの正社員で働いている人は年300万円以上の所得があるだろうから、この人たちは労働時間を減らして夫の保険に入ろうとはしないだろう。

 実際に、コロナ対応で働く看護師には130万円を超えても夫の扶養家族から出なくて良いとした。すべての人にそうすれば良い。これには、夫の給料が高ければ所得の低い人の所得を上げることにならないか、という批判があるかもしれない。しかし、中間層家計の所得を引き上げることになるのだから、それでよいではないか。

 130万円の壁のおかげで労働時間を減らしていた妻もいるのだから、これまでよりも多く働くだろう。給与から税金を取り、増えた所得で消費が増えれば消費税を取れるのだから、財政コストはほとんどないはずである。

所得の底上げも

 もう一つは、最低賃金を引き上げるとともに賃金に補助金を払うことである。最低賃金の引き上げは、所得の低い人の所得を引き上げるものであるが、それは雇用を減らす可能性がある。

 もちろん、本年度のノーベル経済学賞を受賞したデービッド・カード米カルフォルニア大学教授の業績は、最低賃金を引き上げると雇用が増える場合があると示したことである。ただし、いつでもそうなるわけではない。上げすぎれば雇用が得ることもある。

 どれだけなら大丈夫かと言えば、アベノミクスの時代を考えると景気が良い時に3%くらいなら全く問題ないということではなかったか。3%ではつまらないので、最低賃金の引上げ3%プラス賃金の補助金を4%で最低賃金を毎年7%ずつ上げていく。企業にとっての負担は3%しか増えない。

 これによって3年で2割以上所得が上がるので、所得が増えたという実感を得られるだろう。そのためにいくらの財政支出が必要だろうか。

 図は、給与所得者の所得階級と人数を示したものである。図で年間200万円以下の人が最低賃金で働いている人たちだろう。その人数は約1200万人であり、この人々の総所得は約14.4兆円である。


 最低賃金を補助金で毎年4%増やしていくために必要な財政支出は14.4兆円に12%(4%×3年)をかけて1.7兆円にすぎない。これで所得の低い人の年収を3年のうちに2割引き上げることができる。

 もちろん、この人々がより多く働くことになれば1.7兆円の財政支出では足りない。しかし、これは先ほどの130万円の壁と同じで、より多く働けばより多く税・保険料を払うのだから構わない。私はこれほど効果的な財政支出はないと思うのだが。

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