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自民党憲法改正案(3)

第三はこれまでよりはマシな話で、現97条の定める基本的人権の不可侵性が消えているとか、現99条の憲法尊重擁護義務の名宛人に国民が加わっていることから立憲主義の理念が損なわれているとするもの。

この点について私自身はアンヴィヴァレントであり、つまり一方で「立憲主義」を知らないというのはいかがなものかともちろん思うのだが、他方別段それは万古不易の理念でもないので、それだけを捉えて批判しても意味がないと思い、しかしひっくり返すとそんな意味のないところで騒動の種を蒔くなよとも思うわけである。

どういうことか。第一にそのような批判でいう「立憲主義」とは国家権力に対する制限を定めることによって国民の権利を保障するための手段として憲法を捉える見方である。別の言い方をすれば、そこに含まれる命令の主体は国民・名宛人は国家であり、国家の義務を憲法が定めるのは当然だが国民の義務が含まれるのはおかしいということになる。このうち少なくとも前段に相当する内容は大日本帝国憲法制定時の枢密院における審議で伊藤博文からも示されているようだ。

だがこれは、すでに書いたことだが(1)各国の現行憲法規定に一致しない理解であり、(2)明文上国民の義務を定めていないような国家の憲法に対する見方としても誤っている。つまり、まあ中国憲法が市民の憲法・法律遵守義務を定めている点については西側民主主義国家でないとして済ませるとしても、ドイツ基本法は6条(2)において教育を受けさせる義務、12a条において兵役義務と役務義務、14条(2)において所有権には義務が伴うことを定めているし、イタリア憲法は市民の忠誠義務、憲法・法律遵守義務を定めている。

英米仏という市民革命の先進国にこのような規定はないと言い張っている論者もいるのだが、たとえばフランス人権宣言(1789)13条は租税の公平な分担を定めているところ、これは租税負担の義務があることを前提しなければ意味がない。アメリカ合衆国憲法8節(1)は租税賦課の権限を連邦議会に認めており、これも反射的に国民の義務が発生すると考えないと無意味である。あるいは、アメリカ市民権を取得するにあたって「忠誠の誓い Oath of Allegiance」によって合衆国憲法への忠誠を表明するとともに兵役と市民的義務の負担を誓うことも考慮すべきだろう。要するに、どちらかというと国家の権限構成で書いている憲法と国民の義務構成で書いている憲法があるのは事実だが、憲法が国民の義務を規定するものでないとはまったく言えないということだ。

その背景としては、すでに統治権力が存在し、その正統性が一応は信じられていた状況で作られた憲法と、制定において新たに統治権力を創造しようとした憲法の差異を想定してもよいだろう。典型は先に挙げた旧憲法で、国王の持つ統治権力は本来絶対のものであるところ(絶対王政)、憲法を国王自身が発することによって自己抑制し、一定の制約を組み込んだ立憲王政に移行するという構図になっている。その典型的な現れが、憲法によって特に制約されていない権限は国王に留保されているという見方(国王大権としての官制大権、皇室自律主義)、そして緊急時における制約の解除(戒厳令・緊急勅令)ということになろう。

これに対し、たとえばアメリカ合衆国憲法は文字通り「我ら合衆国人民は、より完全な結合を形成(......)する目的をもって、アメリカ合衆国のため、ここにこの憲法を制定し確立する。」と始まる。つまり連邦の統治権力はまさにこの憲法によって生まれたのであり、あらかじめ存在していたわけではない。さらに言えばそこで国家権力は「我ら人民」のものとして確立された以上、それに対して外在的な制約を加えるという発想も生まれにくかっただろう。自分で自分の生き方が決められるのであればわざわざルールを壁に書いて貼っておいたりしないよねと、まあそういうわけだ。

* * *

ところでいまどき王権神授説だの絶対王政だのを支持している人もそういないわけであり、少なくともdecentな国家群においては民主政を通じて統治権力は「我ら人民」のものになっていると理解されているだろう。だとするとその統治権力に外的な制約を加えておくべき必要性も低下しているということにはなる。特に、民主政の理念に照らせば変わりゆく時代それぞれの人民に自らふさわしいと思う憲法と法律のあり方を考え・実現する権限があるはずであるところ、特定の基本的人権について「侵すことのできない永久の権利」と定めることによってその変更を許さないようにすることは特定の時代を生きた特定の世代の人々による将来世代の拘束・支配ではないかとの疑義を免れまい。アメリカの原意主義(originalism)に対してなされるのと同型の批判が、ここでも通用することになろう。

しかし私自身はこの問題をさほど深刻だとは思っておらず、それは何故かというに将来世代が不当な支配だと思ったら「侵すことのできない永久の権利」とかぷうぷう言ってる条文ごとその時点で改正しちゃえばいいよねえと思っているからである。以前にも書いたと思うが私自身は憲法改正無限界説であるし、天に憲法の神様がいて我ら人民がその意に反する改正をしようとした場合には16tの重りを降らせるという仕組みはなく、結局それぞれの時代の「我ら人民」による判断がそれを許すかどうかしか判定基準は存在しないので(でなければ9条の規定にもかかわらず自衛隊が存在する現状をどう説明できるというのか)、97条にどう書いてあろうが裁判規範になるわけでもあるまいし存在していることに特別の意義もあるまいよと、そういう感じである。

ただまあ逆に言うと、その程度の代物であっても97条に深い思いのある人というのが現実には一定数存在しているわけで、前述の通り裁判規範でもねえんだから削除することにも実益がない。なんでわざわざそんなことして人を怒らせるかねえ、騒動の種を無駄に撒くなよと、そういう話なのである。

中華人民共和国憲法 第5条(法治国家、憲法の最高法規性) 第5項 いかなる組織ないし個人も、いずれも憲法および法律を超越する特権を有してはならない。
同 第33条(市民、法の下の平等、人権、権利と義務) 第3項 国は人権を尊重し、保障する。
同第4項 いかなる市民であれ、憲法および法律が定める権利を共有し、同時に必ず憲法および法律が定める義務を履行しなければならない。
イタリア共和国憲法 第54条(憲法および法律の遵守義務) 第1項 すべての市民は共和国に忠誠を尽くし、その憲法および法律を遵守する義務を負う。

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