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国民のデジタルID管理は弱者を排除する? ロンドン大研究員からの警鐘

 日本の「マイナンバー」の取得率は36.0%(総務省調査、2021年8月現在)。政府や自治体は取得率を何とか上げようと躍起になっているが、果たして、デジタルIDの導入により、貧しい人や弱い立場に置かれた人々の暮らしは本当によくなるのだろうか?

wildpixel/iStockphoto


そこには弱者が社会から取り残される危険性が潜んでいると警鐘を鳴らすのは、ロンドン大学ラテンアメリカ・カリブ諸国研究センター所属の研究員イヴ・ヘイズ・デ・カラフ。『The Conversations』に掲載された記事を紹介しよう。

いまだかつてないレベルで世界がネットワーク化され、国家、銀行、通信、交通、テクノロジー、国際開発機関のすべてにおいて、「デジタルID」の導入が進められている。地球上のすべての人のデジタルID登録を加速させることが、議論の前提となっている。

世界銀行の「ID4D」プログラムや国連なども、国民の存在を法的に証明するデジタルIDの提供を積極的に国家に働きかけている。その目的は、構造的貧困、無国籍状態、社会的排除を根絶することにある。貧困状態や弱い立場にある人々(先住民、アフリカ系住民、女性など)がIDカードを手に入れ、生活保護を受けられるようにする社会政策がさまざまな国で取られている。歴史上、制度から排除され、市民と認められてこなかった人々を支援し、誰もが社会から取り残されないようにするために。



ドミニカ共和国で「国籍を剥奪」した事例

世界的に推進されているこのデジタルIDシステムを国家がどう利用しうるかが筆者の研究テーマだ。最近では、ドミニカ共和国でハイチ系黒人が“ドミニカ人ID”の利用ならびに更新から意図的に排除される事象について書籍*1にまとめた。

ドミニカ共和国では、ハイチ系移民のID取得をめぐり、激しい論争が繰り広げられてきた*2。2007年、政府当局はハイチ系移民の子孫にドミニカ人の証明書類を80年以上にわたり誤って発行してしまったと主張し、この誤りを正す必要があると主張。この国で生まれ育ってきたハイチ系移民の子孫は、当然ながら自分たちはドミニカ人だと考え、証明書類も持っているのに、国がそれを認めようとしないのだ。そして2013年には、ハイチ系移民の子孫約21万人からドミニカ国籍を剥奪し、無国籍状態(stateless)にするという重大な判決が下された。カリブ共同体(CARICOM)は「許しがたく、差別的」とこの判定への怒りを表明し、ドミニカ共和国のカリブ共同体への参加は依然見送られている。

*1『Legal Identity, Race and Belonging in the Dominican Republic: From Citizen to Foreigner(国民か外国人か――ドミニカ共和国における法的なアイデンティティ・人種・帰属意識)』

*2 参照:Dominican Republic has taken citizenship from up to 200,000 and is getting away with it

ドミニカ共和国政府によるこのような慣行を、当時の国際機関は“見て見ぬふり”していたようだ。誰に市民としての資格を与え、誰を外国人として取り扱うのかは国の主権に関わる問題だからと「国」に任され、その結果、数十万人もの人々が突如”外国人“とされ、“国民”として保証されていた医療・福祉・教育サービスから締めだされるかたちとなった。最低限の医療・福祉・教育サービスから締めだされる事態が実際に起きたのだ。

取りこぼされる人をなくすために、今こそ冷静な議論を

このような国の采配一つで一部の人々が排除される事例は、世界各地で発生している。2021年6月、筆者が所属するロンドン大学ラテンアメリカ・カリブ諸国研究センターは、オランダ拠点の「無国籍状態とインクルージョンに関する研究所(Institute on Statelessness and Inclusion)」と共同で開催したシンポジウムでも、昨今推進されているデジタルIDが市民権にもたらすインパクトについて、学者、法律専門家、政策立案者たちと議論を交わした。不法移民が生んだ子どもに米国の市民権を付与すべきかが議論を呼んでいる「アンカーベイビー」問題*3をはじめ、世界各地で弱い立場に置かれた人たちが直面している諸問題(インドのアッサム地方の人々、ミャンマーのロヒンギャ、ケニアのソマリア人など)についても、貴重な意見を交換した。

*3 アメリカで生まれた子どもは自動的にアメリカ市民としての特権を得ると、不法移民の両親にとってはその子供はアンカー(船を固定するもの)のような機能を持つことから、こう呼ばれている。

こうした“デジタル化から取り残される人々”をめぐる議論は、今後さらに増えていくだろう。例えば、カード支払いしか受け付けなくなることで公共交通機関を利用できなくなるホームレスの人、連邦政府が発行するIDを提示できないため投票ができないアフリカ系アメリカ人の高齢女性、システムによって「不法移民」と判定され仕事を辞めざるをえなくなる女性など。デジタル時代から取り残されると、日常生活が不可能なレベルになるだろう。


Image by PublicDomainPictures from Pixabay

パンデミック後の社会を見据え、ワクチン接種のデジタル証明、生体認証IDカードなど、デジタルIDの加速が急務とされている。そんな今だからこそ、一歩ひいて冷静な目で、この流れに潜む落とし穴について真剣に議論すべきだと考える。場合によっては、国境を越える人々だけでなく、国内に暮らす人々への監視強化や排除をもたらしかねないのだから。

By Eve Hayes de Kalaf
Courtesy of The Conversation / INSP.ngo

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