- 2021年08月30日 11:49
コロナパンデミックで露呈した「文官の危機管理能力」不在の日本 - 阿部圭史
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感染症危機管理とは、国家の事業であり、医療機関などの前線機関の対応だけで成立するものではない。COVID-19パンデミックで示されたのは、脅威への個別対応を総合し、政府の事業として遂行するための「指揮官・参謀」が圧倒的に不足している日本の姿だ。厚労省やWHOなどで感染症危機管理政策に携わってきた筆者は、その任に就く「文官」に必要な5つの能力をあげ、省庁横断的な「人材育成機関」の必要性を説く。
極端に少ない「感染症危機管理」人材
我が国には、感染症危機管理を専門とせんとする道を歩んできた人間が極端に少ない。筆者が知る限り、COVID-19パンデミック前の時点で、片手で数えれば事足りた。その中でも、自然発生的な感染症危機と人為的な感染症危機の両者を包括的に捉えて、生物学的脅威全体に対抗すべく危機管理の道を突き詰めてきた日本人は、ほんの数名しかいなかった。言うなれば、感染症危機管理という分野は、それだけ平時には注目を集めにくいということである。
しかし、いざ実際にCOVID-19パンデミックのような感染症危機が起こってみると、国家に与える衝撃は甚大であり、社会的要請が大きな分野であることがわかる。
ここで言う「感染症危機管理」とは、感染症の臨床医学や疫学、ウイルス学などを言っているのではない。これらは、感染症危機管理という営みには非常に重要で欠かすことのできない要素だが、個別機能である。ここで言いたいのは、これら数多の個別機能を駆使しながら、感染症という脅威に対抗するための国家的事業としての「危機管理」という活動についてである。それを専門とせんとして一貫して知識や実務経験を追求してきた者が極端に少なかった。
「感染症危機管理」という活動が何たるかは、軍隊を例に挙げるとわかりやすい。軍事活動は、単に戦車での戦闘やインテリジェンスといった個別機能のことを指しているのではなく、国家が保有する軍事組織を全体として如何に運用して平時の事態準備(プリペアドネス)及び事態対処(レスポンス)を行い、脅威に対抗するのかという意味である。戦車やインテリジェンスだけでは戦争の遂行は不可能であって、それらの個別機能を総合することで初めて脅威に対抗できるのである。
各種の軍事活動が「武官」の危機管理であるとすれば、軍事以外の政府の事業としての様々な危機管理活動は、「文官(行政官)」の危機管理であると言える。
それでは、感染症という脅威に対抗するための、「文官」を主体とした危機管理である「感染症危機管理」を遂行するためには、どういった能力が求められるのだろうか。
「感染症危機管理」に求められる5つの能力

筆者がこのほど上梓した『感染症の国家戦略 日本の安全保障と危機管理』(東洋経済新報社)でも詳細に著しているが、そもそも国家的事業としての危機管理とは、行政のサブスペシャルティである。したがって、政府での行政実務経験は最低限必須であろう。一方で、多くの行政官は、行政一般のプロではあるが、危機管理や、その中でも更に細分化された領域である感染症危機管理について深い知見を有しているとは限らない。
国家的な危機管理活動としての感染症危機管理を遂行する、責任ある立場にある者(指揮官や主要な参謀)には、どのような素養が求められるのだろうか。
それは、政府での行政実務経験を基盤として、①国際的能力、②科学的知識、③統治機構の知識、④法律知識、⑤軍事的思考の5要素を有することである。
なぜならば、感染症危機管理とは、地球上全体に広がる戦域の情勢と自国への波及を常に見極めつつ(①国際的能力)、病原体の性状と動態を把握した上で、現時点において利用可能な「武器」で対抗しつつ、ワクチンや治療薬といった「新兵器」の研究開発を同時に行いながら(②科学的知識)、危機管理組織の機動を操縦し(③統治機構の知識・④法律知識)、統率のとれた事態対処行動を行う(⑤軍事的思考)ことで、国家に対する被害の極小化を図る営みだからである。
我が国にとっての感染症危機は、外来の脅威であることが常である。感染症危機管理を行うためには、平時から国外に目配りできる①国際的能力が必要であることは当然である。また、危機時に至っても、我が国単独で独自に事態対処行動を取るだけでは感染症危機は収束せず、各国政府やWHO(世界保健機関)等の国際機関との事態対処行動の調整が必要となる。
したがって、指揮官や参謀が国際的能力を欠いていては、世界の戦線を十分に監視することができず、国家として不十分である。
続いて、感染症危機管理に、医学や公衆衛生学をはじめとする②科学的知識を必要とすることは、現下のCOVID-19パンデミックの各種事例を見ても自明だろう。例えば、疫学を用いた感染症インテリジェンス、脅威となる病原体のウイルス学に基づく動態分析、各種の臨床医学を用いた医療措置による患者の救命、免疫学や薬学などを基盤とするワクチンの研究開発などが挙げられる。
また、危機管理においては、「調整」が時に最も重要な要素であると言える場合もある。特に、国家規模の事態対処行動においては、1つの危機管理組織だけで完結するはずもなく、複数の危機管理組織の間で調整を行いながら事態対処行動を取ることがしばしばだ。自身の危機管理組織の機動を操縦するだけでは済まないのである。
したがって、指揮官や参謀となる者は、全体として円滑な事態対処行動を実施するために、各省庁の構造や政治力学、国会との関係などの③統治機構の知識を有している必要がある。それらについての知見がなく「調整」に窮している時間など、危機時にはない。
さらに、「武官」の危機管理たる軍事活動には、各種の法的制約がある。憲法に始まり、自衛隊法、事態対処法など、各種の国内ルールに即して活動が行われる。また、国際人道法などの国際ルールもある。「文官」の危機管理活動たる感染症危機管理も同様に、感染症法や新型インフルエンザ等特措法、検疫法、予防接種法といった国内法に加え、国際保健規則(IHR)といった国際法によって制約を受けながら活動を行わねばならない。
これら、いわば危機管理という戦いのルールとしての④法律知識を有していることは、指揮官や参謀を担うための大前提である。
最後に、事態対処行動を実施するためには、それに従事する人間を統率し、危機管理組織として一体的な活動を行う必要がある。そのためには指揮統制という概念が必須だ。
プロイセンの軍人であるクラウゼヴィッツは戦争の本質に内在するものとして「霧」や「摩擦」の存在を挙げたが、同様に、感染症危機管理にも「霧」と「摩擦」が存在し、それらの克服は困難である。
不確実性の霧が渦巻き、摩擦という障害を乗り越えねばならない事態対処行動に対して確実性を付与するための行いが、指揮統制である。
「文官」の危機管理においては、指揮統制を確実にするための組織管理ツールとしてインシデント・コマンド・システムが世界のスタンダードとして用いられている。インシデント・コマンド・システムは軍事の参謀組織を基に作られており、その運用にあたっては、指揮一元化や統制範囲といった軍事においても使用される概念を用いることで、効率的な事態対処行動を可能とする。
このように、感染症危機管理を行うためには、⑤軍事的思考が必要なのである。



