- 2021年08月11日 10:41
過ぎ去った五輪が教えてくれたこと
1/22021年8月8日、「開催するか否か」「観客を入れるか否か」、開幕する間際まで様々な喧騒の渦に巻き込まれ、始まってからもなお、多極化した世論の波にさいなまれ続けた東京五輪が閉幕の時を迎えた。
今回に限った話ではないが、僅か17日(+α)の間に33競技339種目を行う、というのは、一般的なイベントで言えば明らかに「詰め込み過ぎ」の部類に入る。
特に今大会のように、連日連夜、日本選手のメダル獲得の報が流れるような大会になってくると、最初の何日かは「柔道のあの選手が、水泳のこの選手が・・・」というふうに一つ一つの競技の印象が残っていても、そのうち次から次へと飛び込んでくる過多な情報に個々の競技、種目の印象が押し流され、気が付くと
「あれ、男子の1万メートルって、もう終わってたの? っていうか、え、今日でトラック競技全日程終了なの?」
みたいなことになってしまう*1。
自分自身、まだ連休のさなかだった最初の何日かと、次の週末、さらに最後の何日かは、リアルタイムで競技映像を追いかけられる幸運を味わうことができたものの、平日はとてもそれどころではない状況で、その代わりに真夜中に見逃し配信を眺めて”時差ボケ”になるような有様だったから、自国開催といえどこれまでと何ら変わりなし。
唯一これまでと違うところがあったとしたら、これまでは五輪期間中、周囲のベタな世間話に付き合うのを避けるため、特に後半になると休暇をとって、北海道だったり(2008年北京)、沖縄だったり(2012年ロンドン)、挙句の果てにはロンドンにまで逃避して(2016年リオ)いたのが、今回はやむに已まれず東京に留まり続けていたことくらいだろうか。
でも、開幕の時のエントリーでも書いたとおり、東京23区内にいても日常では全く「五輪」の雰囲気を感じさせるものがなかったし、日常的に家庭内以外でその話題に触れる機会も遂に最後までなくて、全ての競技はインターネット(&一部競技のみグリーンチャンネル)を介して映像を見るだけだったから、異国の地のホテルの一室で映像を見るのと、実質的には何ら変わりはなかったような気がする*2。
結果、自分にとっては今回の五輪も気が付けば一瞬、の刹那的なイベントとして過ぎ去っていっただけだった。
* * * *
もちろん、断片的にブログで書き、SNSでも呟いたとおり、数々の競技の映像には不変の、有無を言わせない迫力があった。
自分の関心は、日本の選手の勝った、負けた、というところには全くなかったし、もう何度も繰り返し、少なくとも二年に一度は同じような光景を眺めていれば、ちょっとやそっとのことで「感動」なんて感情も湧いては来ないのだが、それでも、それぞれの競技で既に実績を残してきた世界の一流アスリートたちが、素人目にも分かるくらいの卓越したレベルで競り合い、勝ちぬいて最後の最後で感情を爆発させる瞬間(あるいはそれまで実績のなかった選手に不覚を取って悲嘆にくれる瞬間)を目にするたびに、「たかが一試合」「たかが一競技会」ではないこの大会の重みはひしひしと感じさせられたし、「この舞台がなくならなくて良かった」という思いに改めて駆られたのは確かである。
また、有無を言わせぬ超大国から、こういう時にしか目にすることのない小国出身の選手まで、同じ舞台に立ち、時には国力の差を超えた”逆転劇”を演じる痛快な場面を目撃できるのがこの4年に一度の大舞台の面白さ。
そういった「世界を知る」舞台としての魅力は今回もいかんなく発揮されていたわけで、今の時代、いちいち解説されなくても、目に留まるパフォーマンスを発揮した選手のスペルをGoogleに入力すれば、これまでの実績からバックグラウンドまで瞬時に検索できる。検索結果から飛んで飛んで広い世界に改めて思いを馳せ、その一方で、お気に入りの選手のインスタを見つければすかさずフォロー・・・。
「無観客」の是非についてとやかく言われた大会でもあったが、見ている側としては、実際に現場にいる以上の迫力と臨場感*3を味わえたわけで、まさに災い転じて福となす、という状況だったような気がする*4。
・・・といったようなことを書いてくると、「お前も大勢に流されて”東京五輪成功万歳”派に宗旨替えしたのか!」と言われてしまいそうだが・・・
それはそれ、これはこれ、である。
17日間の競技会で熱戦が繰り広げられた、という”成果”をもって「日本で五輪をやって良かった」とか、「東京五輪は成功した」という話に安易に持っていかれてしまうことには、やはり違和感しかない。
奇しくも、今朝の日経紙朝刊では大島三緒論説委員が、そんな違和感を見事に言語化した記事を書かれていた。
(競技会を無事遂行した現場の力は見事だった、名場面も多かった、としつつ)
「しかし、それでも「1964」がもたらしたような多幸感は社会に見いだせない。聖火が消えて、コロナ禍の日常に引き戻されるだけでなく、そもそも往時との落差があまりにも大きいのである。この大会をなぜ、なんのために開催するのか。問われ続けた大義は曖昧なまま現在に至る。通奏低音として流れていたのは、やはり64年の再来を望む意識だろう。
五輪の呪縛が、政治家や官僚を捉えて離さないともいえる。このパンデミックは、そういう幻想を揺るがせた。続「1964」への疑念は名古屋や大阪への招致時にも生じていたが、コロナ禍はそれを噴出させた。人々は競技に感動しても、五輪という仕掛け自体には酔っていない。つかの間の夢から覚めれば、コロナ対応に手間取り、デジタル化は大きく遅れ、多様性尊重も掛け声ばかりという現実が目の前にある。そして急速な高齢化を伴った人口減が進んでいく。
どんなにカラ元気を出しても昭和には戻れない。しかし皮肉にも、この異形の五輪は、日本人にようやく64年幻想からの脱却を果たさせるかもしれない。それは戦後史の転換点ともなる変化だ。」(日本経済新聞2021年8月9日付朝刊・第1面、強調筆者)
そう、ここで出てくるのは、現場レベルの運営の努力や技術力を「国家的プロジェクト全体」の成果として括ろうとすることへの違和感に他ならない。
確かに競技会の運営には成功した*5。破滅的なクラスタを生じさせず、あれがない、これがないというクレームも最小限に抑えた、という点では選手村をはじめとするロジ回りの運営にも合格点は付けられるのかもしれない。
だが、開会式や閉会式、さらにはその前後での国としてのブランド価値の発信も含めた「五輪」という仕掛け全体を見た時に、誘致に奔走した多くの人々が描いていた「東京五輪という大プロジェクト」の効用を発揮できたかと言えば、胸を張って「できた」と言える者はほとんどいないのではなかろうか。
17日間、開催を続けることができ、世界に「TOKYO」の名を発信し続けられたことで得られたものも当然ある。
今大会で夢叶ったアスリートはもちろんのこと、テレビ、インターネット越しでも、自国の選手の活躍を見聞きして声援を送った国の人々の何割かの心の中には「TOKYO」という都市の名前が永遠に刻み込まれたはずだ。
自分たちの世代の人間が、米国と言えばロサンゼルスやアトランタを想起し、スペインに行く時は何となくマドリードよりもバルセロナに行きたくなる(そして行くとモンジュイックの丘まで足を運びたくなる)のはなぜか。遠く離れた欧州のチェコから「NAGANO GOLD」なる馬が登場したのはなぜか。
今は世界中の国の都市が人を呼び込もうとしのぎを削っている時代。コロナ禍の無観客開催によって、短期的な経済効果が少々損なわれたとしても、17日の間に世界中の人々に刻み込まれたものは、「TOKYO」という街のブランド価値を高める記憶として残り続ける。
それこそが真の「レガシー」といっても過言ではない。
- 企業法務戦士(id:FJneo1994)
- 企業の法務担当者。法律の側面からニュースを分析。



