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どこにあるのか「復興五輪」 帰還困難区域・浪江町津島住民の終わらぬ訴え

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いまなお人の往来を制限する「帰還困難区域」の表示=2021年7月19日、福島県浪江町津島(筆者撮影、以下同)

東日本大震災からの「復興五輪」という名目に、何の実態が伴ったのか。東京五輪直前、今も帰還困難区域となっている福島県浪江町津島地区の人々は、国と東電を相手取った訴訟の判決を待っていた。

 東京電力福島第一原発事故から10年を経て、ようやくの審判を待つ人々がいる。いまも帰還困難区域とされる福島県浪江町・津島地区。豊かな山里の暮らしと人の絆を奪われ、その責任の所在も明かされぬまま避難生活を強いられた住民の約半数が、「ふるさとを返せ」と6年前、国と東電を福島地裁に訴えた。判決は、東京オリンピック開幕後の今月30日。「復興五輪」の幻夢からも、コロナ禍の都会の喧騒からも遠い「被災地」の終わりなき現実を訪ねた。

高い放射線量の中に捨て置かれた体験

 猛暑の福島市内から国道114号線を東に約1時間。のどかな阿武隈山地の道に「帰還困難区域」の立て看板が現れる。福島第一原発(福島県双葉町・大熊町)から西北西約30キロにある、浪江町津島地区の入り口だ。車はこの先で大型テントのスクリーニング検査場を通り、同乗させてくれた地元の住民、佐々木やす子さん(66)と三瓶春江さん(61)が、筆者を含めた立ち入り申請をした。

 佐々木さんは中通りの大玉村、三瓶さんは福島市に現住所を持ち、自宅を訪れるにも面倒な手続きを要する。近隣の家は「蛇腹」と呼ばれるバリケードで閉ざされ、原発事故から10年が過ぎてなお、人の往来をものものしく拒む帰還困難区域の風景があった。

 現地で合流したのは、行政区長の今野秀則さん(73)と、武藤晴男さん(64)。いずれも「福島原発事故津島被害者原告団」(218世帯、643人)のメンバーで、今野さんは原告団長、武藤さんは事務局長を務める。郡山市民で「津島原発訴訟を支える会」共同代表の吉川一男さん(81)も同行した。

 山手線の内側の面積の1.5倍という津島地区は緑濃い山々に抱かれ、約450世帯、約1400人の住民はコメ作りやタバコ栽培、酪農を中心に、「結」(地域の人々が農作業や大切な行事などを共同で行う慣行)の伝統を色濃く映す「津島の田植踊」(県重要無形民俗文化財)などの芸能も大切に守りながら代々暮らしてきた。

 2011年3月11日の東日本大震災では、当日夕方から津波被災地となった沿岸部など町内から8000人を超える避難者が津島に殺到し、住民たちは総出で地元の小中高校や公民館、お寺、神社、自宅などに受け入れ、温かい食事を提供し、一晩中暖を絶やさず支援をしたという。唯一の医療機関だった津島診療所には、常備薬を置いてきた年配者らの長い列ができ、医師、看護師が懸命の対応を続けた。

 福島第一原発はこの時、津波による被害で冷却機能を喪失し、メルトダウン(炉心溶融)の危機に陥った。国は12日までに半径10キロ圏までの避難指示を出したが、立地自治体でない浪江町には国、東電、県から危険を知らせる情報が届かず、馬場有町長(故人)は独自に役場機能を津島地区の支所に移転。

14日に起きた原発の3号機原子炉建屋の水素爆発事故を機に全住民の避難を決断し、翌15日朝の対策本部会議で、区長の1人として出席した今野さんらに指示を下した。

 「『今の状況下でも国、県から一切の情報はない。テレビの情報、他町の避難状況を見て、われわれも避難せざるを得ない。(原発から)半径30キロ圏外の二本松市方面へ、みんな避難しよう』。馬場町長のそんな言葉に背中を押され、私は地元の50戸を急いで回り、家族を福島市の妻の実家に送り出し、避難したのは翌日。その間、住民は何も知らされぬまま、高い放射線量の中に置かれた」

未除染の地表は、原発事故から10年を経てなお高い放射線量を示す=2021年7月19日、福島県浪江町津島

苦しみ続ける被災者の「ふるさとを返せ」という想い

 国は放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を稼働させ、第一原発から、津島のある北西方向へ放射性物質が流れると予測したが、福島県との連絡の不手際などで役に立たなかった。また東電も第一原発敷地で放射線量を測るモニタリングポストを設けていたが、津島の方向を示すポストで「13日午前9時までに限っても548回の測定値を得た。

東電は13日午前9時以降に測った値は明らかにしたが、それまでの548回の分は5月28日まで公表しなかった。548回の中で最高値だった3月13日午前8時33分の毎時1204マイクロシーベルトも長らく世に出なかった」(2011年11月9日の河北新報より)。

 津島の住民たちは避難者の支援をしている間、白い防護服と、原子炉で作業をするようなマスクを着けた一団を目撃していた。高線量であることを知っていて調査をしていたのではないか、と住民たちは考えている。後になって、地区内で3月16日、58.5マイクロシーベルト毎時の線量が計測されたという事実を知ったからだ。

 「あの人たちが、目の前の私たちや避難者に『ここは危険だ。子どもを連れて早く、もっと遠くへ逃げて』と言ってくれていたら。国は3号機爆発の後も、『直ちに身体的影響はありません』とテレビで繰り返すばかりだった」と三瓶さんは話す。

 浪江町は二本松市東和町に仮庁舎を置き、大規模な仮設住宅、小中学校の仮校舎を開設し、住民たちを懸命に守った。避難は家族を離れ離れにし、行く先は県内外の47都道府県に及び、町は無人となった。とりわけ高線量だった津島地区は13年4月に帰還困難区域となり、他地区が国の除染作業を経て17年3月末に帰還可能となった後も、バリケードの中に閉ざされたままだ。今野さんは言う。

「地区のみんながばらばらになっていく。あまりの理不尽。それでいいのか、という危機感が募っていった。離散した住民たちに横の連絡と議論の場づくりを求める声が上がり、多くが『ふるさとを返せ』という思いで一つになった」

 地元町議や今野さんらが中心になって「福島原発事故の完全賠償を求める会」を14年11月に発足させ、15年には原告団を組織し同年9月、国と東電を相手取り福島地裁郡山支部に提訴した。

 裁判に第一に求めたものは、「国策であった原発事故でふるさとを汚され、戻れなくなった現実とその責任を国と東電に認めさせる」ことだという。その上で、帰還困難区域として放置することなく、原発事故前のふるさとに戻すための除染を訴えた。

 併せて、住民が何の情報も教えられぬまま高線量にさらされ健康被害を受けたこと、避難を強いられたことへの慰謝料、完全除染が不可能な場合の「ふるさと喪失」への慰謝料を求めた。

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