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特集
11日に思い描く
東日本大震災から10年。3月11日が過ぎると、災害について考える機会は意外と少ないでしょう。どれだけ時間が過ぎても、東北にも熊本にも、忘れてはいけないことがたくさんあります。被災地の復興や防災についてわずかでもいいから思い描いてみる。毎月11日はそんな一日にしてみませんか。

なぜウニを牛乳瓶に? 注目高まる三陸名物の「瓶ウニ」 その誕生秘話に迫る

  • 2021年07月11日 16:01
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2011年3月11日の東日本大震災から、今日で10年4ヶ月が経過しました。岩手、宮城、福島の3県は復興を目指しながら、その土地で暮らす人たちは力強く明日へと歩を進めています。

今回紹介するのは海や山の幸に恵まれた東北の中にあって、贅沢品ともされる海産物にちなんだ話。大震災を乗り越えようと前を向く地元の人たちの姿と、そんな東北を支えようとする全国からの思いが感じられるはずです。

取材してくれたのは「東北の力に」と、岩手県・釜石に移り住んだ女性ライター。地元の人たちの姿や声を丁寧に取材した記事を通して、10年4ヶ月目の東北の今を知っていただければ幸いです。

東日本大震災から10年以上の月日が流れました。

防潮堤の建設や災害公営住宅の整備といったハード部分の復旧復興は、震災から10年を迎えた今年の春でほぼ完了しました。新しいまちがようやくできあがったと思う反面、そのまちを造る工事に関わっていた人たちはまちを去り、またコロナ禍もあって県外からの観光客を大々的に呼び込んだり、地域で集まったりもできない、そんな少しせつない現実の中で月日は流れていきます。でももちろん日々の中には被災した方々が笑顔になったり勇気づけられたりする日常もたくさんあります。

岩手県釜石市で6年半復興支援活動にかかわり、現在はライターなどとして活動している私から見た三陸や岩手の今、日常の話題をお送りしていきます。

手塚さや香

震災後、三陸沿岸の漁業の要であるサケやサンマの水揚げ量が低迷し、施設や船を復旧し再興を期した漁業関係者や水産関係者は厳しい状況に置かれている。そんな中ではあるが、三陸、特に岩手県沿岸部の“古くて新しい名物”として注目されているのが「瓶ウニ」。その名の通り、牛乳瓶に入って売られている生ウニのことだ。

岩手では定番 スーパーに並ぶ「瓶ウニ」

岩手県沿岸部では5月ごろから夏までスーパーの海産物コーナーに瓶ウニが並ぶのが風物詩。

岩手県山田町の町民の台所スーパーびはんの店内

しかし近年になってにわかに全国から注目が集まっているという。瓶ウニを掲載している山田町のふるさと納税担当者が「ちょっとびっくりするほどの人気」と驚くほどだ。

2020年にふるさと納税の返礼品として発送した瓶ウニは5152本だったが、今年発送分(予定も含む)は6月末時点ですでに9278本。それ以前の18,19年がいずれも1500本弱だったことを考えると飛躍的な伸びだ。

同町水産商工課の千代川弥樹係長は「2020年からは(ふるさと納税駆け込み時期となる)11~12月から先行予約を受け付けた影響も大きかった。返礼品としての出品に協力する事業者も増えてきた」と民間と一体の取り組みに手ごたえを感じている。

瓶ウニの最大の特徴は、瓶の中にウニと滅菌処理した海水しか入っていないこと。

ミョウバンなどの添加物が一切入っていないため、磯の香りと甘さ、まろやかさだけが口の中に広がり、それまでウニと思っていたものは何だったのかと思うほどだ。ちなみに、牛乳瓶に入って売られるようになった経緯は「山田町が発祥らしい」という説はあるもののはっきりしない。

「口開け」が初夏の風物詩

そんな絶品のウニがどのようにして消費者のもとに届くのか、私自身、海の近くで暮らすまで知らなかったのだが、この地域ではシーズンになると「今日はカゼの口開けだ」「今朝は火曜だから〇〇漁協は口開けだ」というような会話をよく耳にする。

「カゼ」とはウニのことで、「口開け」はウニを獲ってよい日のこと。多くの地域では漁協(漁業協同組合)が週何日、月何日といった具合に定めていて、私の住む釜石だと漁協ごとに週2日程度口開けが行われる。もちろん強風などで中止になることもある。

漁業権を持った漁師以外はウニ漁の船には乗れない(道又諒大さん撮影)

漁業権を持った漁師は口開けの日、日の出の時刻から規定の量を獲ることができる。口開けが決まっているのも規定量があるのも資源保護のため。多くの地域で、海中を覗く台形の箱眼鏡と先端にタモ(網)のついた長い竿を手で扱うというアナログな方法で獲っているのも同様の理由から。

当然黒い殻の中は見えないが、ベテラン漁師ともなれば中の身の入りが良さそうなものを狙って獲る。ちなみに岩手県を舞台にしたNHKの連続ドラマ「あまちゃん」のように素潜りで獲る地域は一部に限られていて、多くの地域では箱眼鏡とタモが定番だ。

獲ったばかりのウニ

一方で、最近では逆にウニが増えすぎて海藻が少なくなり痩せたウニばかり増える、という現象も起きているため、養殖技術の開発も進んでいる。

漁師はウニを獲ったら終わり、ではない。口開けの日の午前中に行われる入札に間に合うよう漁師やその家族が総出でウニを剥く。

漁の後自宅隣の加工場に戻ってウニを剥く道又諒大さん(左)と父の貢さん
道又さん親子が剥いている途中のウニ。左上は内臓を取り終わった状態

それだけ短時間で作業し流通させるからこそ、ミョウバンなどを加えずに消費者のもとまで届けられるのだ。まれに漁師に呼ばれ手伝いに行き、御礼にウニをごちそうになるというのもこの地域の「あるある」だ。

“ケンミンSHOW”を機に注目、ブーム再燃。

もともとローカルな商品だった「瓶ウニ」が全国から注目されるきっかけとなったのは、2017年8月の「秘密のケンミンSHOW」で『岩手県民熱愛グルメ』として紹介されたことだというのが通説。

山田町内のスーパーや瓶ウニを扱う水産加工会社、近隣の市場などで流通している様子や地域住民のこだわりの食べ方などが特集され、地元にとっては当たり前の“牛乳瓶に入ったウニ”のインパクトは大きかったようでネット上でも話題にはなった。しかし、それからしばらくたって昨年あたりから再び火が付いたようなのだ。

なぜ今になって人気が出たのか――。山田町内でウニや牡蠣を扱う水産加工業「菊池商店」の菊池真吾さんに尋ねてみた。

父親とともに菊池商店を経営する菊池真吾さん

菊池さんは同町だけではなく北隣の宮古市、南は大船渡市まで1時間以上かけて自ら入札に足を運び、粒の大きさや色などを見極めて買い付け、自社の加工場で牛乳瓶に詰めて出荷している、いわばウニの目利きだ。

買い付けて戻り次第、総出で牛乳瓶に詰める(菊池商店提供)

“映える”ウニ丼、SNSで拡散? 若手経営者の思い

2014年創業、と歴史の浅い菊池商店だが、実は前身の昆桂子商店は50年近くにわたりウニや牡蠣の卸売業を営んでいた。真吾さんの母親、そして祖母の昆桂子さんは震災の津波の犠牲になり、真吾さんらはいったんは継続を断念したものの「ばあちゃんたちの店をなくしたくない」と再起した。

瓶ウニは祖母の時代から「ウニの身が崩れておらず仕事が丁寧」と鮮魚店や市場関係者から評価されてきた商品であり、真吾さんもその姿勢を貫きながら新たな販路開拓に取り組んでいる。

販路のひとつが、ウニ色のインパクトのある自社サイト。

もとは鮮魚店や市場への卸しがメインで、サイトで個人客向けの販売を始めたのは昨年6月からだが、今年は5月の1ヶ月だけで昨シーズンとほぼ同じ約750件を受注した。

サイトを開いたのは、コロナ禍で市場への業務用の卸しの先行きが不透明な中で、直接消費者とつながりたいと考えたためだった。サイトと連動してFacebookやInstagramでも情報を発信。瓶に詰める作業の様子や、ご飯の上に美しく盛りつけたウニ丼の写真を公開してきた。

購入者が #菊池商店 #山田町 といったハッシュタグをつけて発信してくれることも多い。「お客様のSNSでの拡散力は予想以上で、シーズンの終わった冬場でも問い合わせがある」という。「瓶ウニを食べて価値観が変わった」とリピーターになってくれた人の投稿や周囲からの反応がリアルに伝わってくるのもSNSならではだ。

コロナ禍でECサイトを強化する流れは瓶ウニなどの海産物だけでなく肉や野菜などほかの一次産品でも同様で、コロナ禍支援策の一環で送料無料のキャンペーンなども実施された。2017年のテレビ放送時には入手方法が限定されていたものの、その後、直販に力を入れ始めたことで瓶ウニの存在が多くの消費者の目に入り、実際に購入した人たちの発信によって広がったというのが実情のようだ。

残された謎、瓶ウニの発祥

一方で、菊池さんや何人かの知り合いの漁師に聞いてみても分からなかった瓶ウニの発祥だったが、この記事に掲載する写真撮影に協力してもらった旧知の山田町の漁師、道又貢さんに尋ねてみると心当たりがあるという。

その情報をもとに、長年にわたり海産物の販売をしてきたという山田町内の宇野優子さんを訪ねると、「私たちの中で誰からともなく牛乳瓶を使い始めたのが広がっていったんだと思う」とのこと。1934年、昭和一桁生まれの宇野さんから意外にもあっさりと証言が得られた。

現在は現役を退きのんびりと暮らす宇野さん

宇野さんら山田町の女性たちは戦後、山田町のウニや海藻をかごに背負って、釜石のまちで販売してきた。戦後間もないころに始まった川沿いの露店街の時代から、釜石の発展期のシンボルだった「橋上市場」(2003年撤去)、そして今も現役の海鮮市場「サン・フィッシュ釜石」になってからも、宇野さんは「この商売で子どもたちをおがして(育てる、の意味)きた」と振り返る。

もとは細いビニール袋に詰めていたが、作業しにくく身が崩れやすいため、小さい瓶に入れるように。しかし客から「もう少し量を増やしてほしい」との声を受けて、当初は飲み終わった牛乳瓶を使い始めたのだという。1958年に開業した橋上市場に移ってから早い時期のことだったと宇野さんは回想する。

その後、保健所の指導が厳しくなり、新品の牛乳瓶を業者から仕入れて使うようになった。明確な時期までは特定できなかったが、「山田町発祥」という説はどうやら間違ってはいないようだ。

瓶ウニという地域に身近な商品をめぐって訪ね歩いてみただけでも、ネットを活用した若手の取り組みから戦前のことを知る人の話まで山田町の今昔があり、そこには津波で大切な家族を失った大きな痛みと悲しみもあった。それでも海を糧として生きる――そう決めた人たちの歴史の積み重ねが今の三陸をつくっていることをあらためて実感しながら口に含むと、ウニの甘みと磯の香りもまた一段と味わい深いものに感じられてくる。

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