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米軍基地と戦後日本の関係は?異国情緒あふれる街・福生で見た光と影【止まり木の盛り場学 第11回】

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東京ドーム約150個分という広大な広さを持つ、都内最大の米軍基地・横田基地。戦前は陸軍の飛行場として創設され、戦後に米軍が接収したのちは、朝鮮戦争、ベトナム戦争に活用されるなど、極東における主要な米軍基地として位置づけられてきた。駐留した多くの将兵がもたらしたアメリカ文化は、基地周辺にアメリカを思わせる街並みや食文化として残り、今は生活の一部として根付いている。

東京近郊でありながら、横浜とも異なる異国情緒を体験できる特別な街、福生。昨年来からのコロナの影響を受け、リトルアメリカ・福生はどうなっているのか?・・・この二人が訊ねた。

渡辺:限りなく透明に近い下町チューハイばかり飲んでいる私たちですが、前回の鶴見編で訊ねたリトル沖縄が面白かったので、今回も、日本にありながら海外文化が溶け込んだ街を訊ねてみたくなり、福生をセレクトしました。

横田:透明なのは、ほぼ焼酎原液だからですよ。何度、翌朝ブルーになったことか・・・それはともかく、移住した人たちが集密化することで、むしろ地元の文化より、純粋化・古典回帰化していくのが面白かったですね。

出稼ぎ、移住者たちを支えた街はいま 横浜・鶴見の「リトル沖縄」を歩く【止まり木の盛り場学 第10回】

渡辺:JR福生駅から道なりに1キロほど歩くと見えてくる、横田基地に接する国道16号線は通称「ベースサイドストリート」と呼ばれていて、アメリカナイズされた街並みが比較的多く残っているエリアのようです。

横田:ここに歩いてくる途中にも古い米兵の兵舎がありましたね。朝鮮戦争で増えた人員に対応するため造られた米兵向けの住宅って説明書きもありましたけど、昭和20年代の建物が残ることって、日本人住居でも珍しいのに、急ごしらえの兵舎のようなものが残っていることには驚きますね。

横田基地第二ゲートの奥には広大な米軍基地が広がる

特色ある店がならぶベースサイドストリート

収容所へ送られそうになり帰国 日系移民二世がはじめた保険代理店

渡辺:このアメリカンな街並みでもひときわ目を引くのが、パラマウントジョージズ保険代理店さんですね。力強いゴシック体の屋号がかっこいい。

パラマウントジョージズ保険代理店の外観

横田:事前リサーチしたところ、こちらが界隈でも古くから商いをされているそうなので、当時の話をうかがえそうです。さっそくお邪魔してみましょう。

街の古い記憶を探している中年男性二人を優しく迎えて入れてくれた、店主の女性、森重さん。

森重:昭和29年に基地内で保険の仕事を始めたのですが、コマンダー(上官)が変わったときに、基地外の現在の場所に店を構えました。昭和30年に私の夫がこの店をつくりました。夫は日系二世です。場所も外観も開店当時から同じなんです。

渡辺:当時の雰囲気を再現しようとしても、この歴史の重みを感じる雰囲気は再現できませんね。

森重:戦前に夫の父と父の兄がアメリカへ渡って、カリフォルニアで果物や野菜といった農業をしていました。季節労働者としてメキシコ側から来る人を雇っていました。日米が開戦すると日本人が強制収容所へ送り込まれそうになったので、家族を連れて帰国したそうです。主人は大正15年11月15日生まれの主人は、当時13才でした。

横田:日系移民の方々はご苦労された方が多いですよね。ご主人も大変な距離を移動されていますね…。帰国されてからもご苦労されたのでしょうね。

森重:そうですね。主人の父が現地の小学校へ入学させたので、日本語も英語も話せました。帰国してから主人は日本語だけを話して、決して英語を話さず、アメリカに住んでいたことを隠して、特攻隊に志願しました。幸い戦地に飛び立つ前に、韓国の群山(クンサン)で終戦を迎えて、命が助かりました。戦後は山口県で通訳の仕事をして、その後、横田基地で保険の仕事に携わるようになりました。

店内に残る往時のパラマウントジョージズさんの写真は、まさにアメリカの風景

渡辺・横田:(驚きの声をもらす)

渡辺:保険代理店を開店するまでの人生も波瀾万丈ですね・・・まさか特攻隊帰りの方が、戦後はアメリカ人の生命や財産を守るお仕事をされているとは。

森重:私は昭和37年に結婚したんですが、それまでは目黒にあった信用金庫の和文でタイピストとして働いていました。主人とはお見合いで結婚しました。息子が昭和38年に生まれて、その後に横田に来ました。ここに来るまで主人がこうした仕事をしているとも知らずに(笑)。

渡辺:なぜ基地周辺に保険屋さんが必要なんでしょうか?初歩的な質問ですみません。

森重:もちろん火災保険、旅行保険、イベント保険など各種取り扱っていますが、主な保険は自動車保険なんです。来日した米兵が日本国内で自動車を運転する上で必要になるでしょ?戦後、昭和21年にAIU保険が日本に開店して、その後、AIG保険になりました。AIGはもともとは進駐する兵隊のために、日本で展開された保険だったのです。

16号線(ベースサイドストリート)には保険屋は4,5軒あったと思います。それから、質屋とスーツの仕立屋がとても多かったですね。兵隊さんたちが現金ほしさに基地内のお酒なんかを質に入れて、ヤミで売っていたんでしょうね(笑)。仕立屋は沢山あったんだけど、もうなくなってしまいましたね。

横田:昔は洋酒が高かったですからね。もともと戦後は、基地から持ち出す煙草や酒、衣類などは兵士たちの小遣い稼ぎとともに、貧しい日本社会では貴重な物資や嗜好品の供給源でした。

森重:スーベニア(外国人向けに日本風土産を扱う店)も多かったですね。変わったところでは似顔絵を描くお店とか。ラブホテルも多かったの。夕方の4,5時になると基地の門の周りには、日本人女性が待っていたわね。

兵士とのロマンスも・・・米軍基地と地元のかかわり

渡辺:白人と黒人で店ごとに住み分けのようなものはありましたか?

森重:ありましたね〜。美容室でも「黒人お断り」なんて札がありました。日本人女性も、黒人が来る店には行きたくないという意識があったから、店側としては書かざるを得なかったんでしょうね。

渡辺:どうしても基地周辺というと治安が取り沙汰されますが、ケンカ騒ぎなども?

森重:この通りで死亡事故もありましたね…。決して頻繁ではなかったけど、それなりの数の事故やケンカ騒ぎがありましたね。

横田:兵隊たちはどのくらいの年代が多かったんでしょう?

森重:18才とか若い人が多かったです。高校を卒業して入隊したような人は若いですからね。でも最近は若い人も減った気がします。

横田:やはり若くして異国に渡ってくるから、ある種の需要と供給が成り立って、娼婦たちも現れたんでしょうかね?

森重:そうそう。マッチしたんでしょうね。それに若くして入隊する人は下士官どまりで、将校にはなれませんから。

渡辺:日本人女性と恋に落ちて、結婚して、アメリカへ戻った兵隊さんなども多かったんでしょうか?

森重:そんなの沢山いらっしゃいますよ!数え切れないくらい。この保険屋で働いていた女性も、何人も兵隊と結婚して向こうへ渡っていきました。どうしても兵隊さんたちに誘惑されがちですよね(笑)。向こうに渡ってから、やはり日本が好きだからという理由で、改めてこちらに赴任してきたカップルもいます。私が住んでいるマンションも、退役した元軍人夫婦が3組くらいいます。もうおじいちゃん、おばあちゃんですけど。ベトナム戦争を経験した兵隊さんがリタイヤして、基地内のミニゴルフ場の管理人で働いていたり、そのミニゴルフ場には戦友の友達が通っていたりしますね。

街には戦後に建てられた米軍ハウス(戦後すぐ建てられたアメリカ人向けの住宅)が点在し、今もなお住宅として利用されている

渡辺:ものの本には、ベトナム戦争の頃の基地周辺は風紀が乱れがちだったと記録されていることも多い印象ですが、福生はどうだったのでしょうか?

森重:そうですよね。福生駅近くの歓楽街のある通りは「赤線」と言われていて、兵隊専門の「お商売」もあったようです。

渡辺:赤線は昭和33年でなくなったはずですが、地元ではベトナム戦争のときも「赤線」という呼称が生きていたのですね。

森重:そうね。地元ではまだそういう言い方が残ってます。

横田:どの基地でも同様の話を聞くのですが、かつては若い兵隊が街へ繰り出して、女性や酒を求めていたのに、最近は減ったと。福生でも、基地の管理側が意図的に兵隊を出さないようにしている様子はあるんでしょうか?

森重:数年前に「赤線」で、酒気帯びの兵隊が自動車で暴走して、10軒くらい店にぶつかってしまったのね。そういうことがあると徹底的に「出るな!」となってしまうようですね。

渡辺:2001年に起きた9.11、アメリカ同時多発テロ事件が発生したときはいかがでしたか?

森重:その頃は基地内にもお店を出していたんですが、テロが発生するや入場禁止になり、私たちはシャットアウトされました。今回のコロナもロックアウトされるのかと予想していましたが、それはなく、一応自由に兵隊は出入りできているようです。流石に遊んだりはしないようですが。

横田:この10〜20年で兵隊の数の増減はありましたか?

森重:かなり減りました!15年位前からどんどん減っています。当時は5,000人くらいいたけど、今は2,000人いないんじゃないかなぁ。かつては入間、府中、三鷹など多くの米軍関係施設がありましたけど、どんどん整理されているから。私がこの仕事を始めた頃は、地元で牛を飼っていたおじさんとか、字の読み書きができない青年とか、実に色々な軍人さんがいました。ただ、徴兵制度が廃止になって、志願制になってからは、そうした方は減ったように思います。横田基地は輸送関係の基地で後援部隊なので、そのせいか、兵隊さんたちの気質も穏やかですね。「ボーイスカウトかしら」なんて言われたりもして(笑)。 

渡辺:そうした兵隊さんと個人的繋がりも生まれたり?

森重:沢山生まれますよ。一緒にゴルフに行ったりね。私の顔を見て、「ママと似てるから今日デートしよ」なんてからかってくる若い兵隊もいたりね。まだ18,19歳の若さですから、甘えているんでしょうね。かわいらしいわね。

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