- 2021年06月18日 13:14
『ラプソディ オブ colors』——障害と健常への眼差し - 佐藤隆之監督×富田宇宙
1/22021年5月29日よりポレポレ東中野から全国公開がはじまった映画『ラプソディ オブ colors』。「障害者を描く上で普段切りとられがちな枝葉が集まっていた」——パラリンピック競泳選手・富田宇宙さんのこの感想を聞いた佐藤隆之監督が「ぜひもっとお話ししたい」ということで今回の対談が実現した。障害と健常の捉え方について語ってもらった。(聞き手・文 / 大久保渉)
《作品紹介》
障害がある人、ない人、グレーな人たちが集まるバリアフリー社会人サークルcolors。毎月10本ものイベント開催に年間800人が来場する。大学教授の講義や音楽フェス、いい加減な飲み会など。発達障害、身体障害、ただの呑んべえ、食いしん坊ほかカラフルな参加者たちの《生》がほとばしる。
2018 年から始まったcolors の撮影は予定を遥かに超過、だけどカメラは止まらない。色々な人物や色々な出来事が次から次へと現れる。難病の百人一首シンガーの野望。脳性麻痺の元デリヘル嬢が悩むエッチと介助。実録・ガイドヘルパー物語 e.t.c…。さらには、colorsが入居する建物の突然の取り壊しが決まり、まさかの閉鎖へ。colors代表と参加者たちの日々は、色々な人たちの色々な世界は……いったい何色に変わる?

色々な世界との向き合い方
佐藤 僕はこの『ラプソディ オブ colors』は基本的に分かりづらいつくりの作品だと思っています。障害者が登場する映画だとある種“みんなが期待するパターン”というものがあるでしょう。それとは違うことをやりたかった。良くいえば色々な見方ができる。簡単に分かりやすいものにしたくなかったんです。そうした中で、富田さんが音声ガイドで本作を観て、僕の描きたかったことを見抜いてくれた。そこにびっくりしたんです。
富田 この映画は“笑える”“泣ける”というわけではなくて、ひたすら考えさせられました。最近は僕のようなパラアスリートがメディアに出ることも増えましたけど、きれいに切りとられることがほとんどなんです。がんばっていて、何かの成果をだして、そこに皆さんが感動する。他にも、障害者が登場するフィクション作品もたくさんありますけど、まわりに美しくて優しい人たちがいて、ハッピーエンドでもバッドエンドでも何かしら救いがある。
それに反してこの映画は、楽しかったりしんどかったりと起伏はありますけど、色々な出来事や人の在り方が雑然と、そのままそこにあって。周りから見たら大変そうなシチュエーションがあったとしても、そこで強引なベクトルが働くことはなく、当人たちはそのままの日々を楽しそうに生きています。リアルな障害者の生活というのは基本的には救われるものではなくて、また当人たちがそのままでいいなら“救う”も“救わない”もないわけです。映画を通して“確かにこれが現実だよな”と感じました。監督が無理に出演者をひっぱっていないと言いますか。すごく興味深かったです。
佐藤 ひっぱるどころか、僕自身も一緒にそこにいたというのが正直なところでした。僕は分類があるとすれば恐らく“健常者”という風に言われると思う。だけど知的障害のある人にすごくシンパシーを感じるところもある。そう考えると、あの映画の中の世界も現実の世界にも、そもそも障害も健常もないんじゃないかと。皆が一緒にいて、複雑なグラデーションがあるのが本来の世界なんだと思ったんです。
富田 よくある切りとり方としては、健常者の目線から障害者をカテゴライズして、水槽に入れて眺めるように描く、というやり方がありますよね。そういった作品にはずっと違和感を覚えていました。本当は同じ海の中に皆が一緒に入っているんですよ。きれいに泳いでいる魚もいれば、岩に隠れている魚もいる。コケがあったり、ときにはペットボトルやビニール袋なんかも漂っている。それが本当の海であって、その雑多さに目を向けることが“世界を見る”ということだと思うんです。きれいなものや汚いもの、普段切りとられがちな枝葉の部分まで描かれた本作を見て、監督が撮りたい幹の部分はそこにあるのかなと思いました。
佐藤 そこを読み取ってもらえたのは嬉しいです。もちろん障害のある人の生活の一部分を切りとって象徴していくやり方もクリエイティブな方法としてあるわけです。ただ、僕は障害、健常は二次元的な指標ではなくて、もっと三次元的な空間の中で語られるべきものなんじゃないかと思うんです。
富田 健常者だから何かができて障害者だから何かができないということではなくて、誰だって何かができたりできなかったりしますよね。僕が選手としてパラ競泳の合宿に行くと、色々な障害の人たちと一緒に過ごすわけですが、例えば目が見えない僕が車椅子を押したり、逆に車椅子の人が何かを見て教えてくれたりと“できる・できない”はごちゃまぜになっていくわけです。そんな本来なら当たり前であるはずの、だけどなかなか映し出されない世界の在り方が描かれていたように思います。

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