- 2021年06月01日 12:57
「握った手がほどけない」不登校の子が登校時に感じた緊張感
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群馬県在住の小林直央(なおひろ)さん(19歳)は中学1年生から中学卒業まで不登校だったそうです。不登校の経緯や不登校中のこと、今に至るまでの胸のうちをうかがいました。
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――小林さんが不登校になったのはいつですか?
中学1年生の10月です。2学期が始まったある朝、食事を終えて学校へ行こうとしたら、吐いてしまったことがあったんです。すると、その日を境に毎朝吐くようになってしまいました。いつも通り、朝ご飯を食べて「さあ、学校へ行こう」と思うと気持ち悪さを感じて、トイレにこもる日々が続いて……。「ああ、もうこれはダメだ」と思いました。
しかし、体調を崩すようになってからも、「学校は行かなきゃいけない」という思いが強かったので、休むことはせず、母に車で送ってもらいながら僕は学校に通い続けました。
通い続けるうちに、体調はよくなるどころか、ますます悪化していきました。しまいには、学校へ着いても母の車から一歩も動けないような状態になってしまって。今思うと、無理して学校へ行き続けることに対して身体が拒否反応を起こしていたのだと思います。
車のなかで力んで握った手がほどけなくなったり、足が硬直してしまったり。日が経つにつれ、僕の身体にはさまざまな症状が出るようになりました。
先生からの提案で2カ月ほど保健室登校をしてみたこともありました。保健室の先生が毎日、駐車場まで迎えに来てくれるのですが、体調が悪い僕は保健室に10分居るのがやっと。結局、長くは通えませんでした。
当時は、どうにもならない自分の状況がとてつもなく苦しかったです。どんなにがんばっても学校には居られないし、家に帰って来ても「行けなかった自分」を責めるだけ。体調もいっこうによくなりません。そんな日々をくり返していくなかで「ああ、きっと俺は学校には戻れないんだな」と実感するようになりました。
毎日僕を車で送ってくれる母にも申し訳なくて、どんどんイヤになってきて。「もう、学校いいや」とあきらめるような、半分開き直るような気持ちになっていきました。そんな僕を見かねた保健室の先生が「一度休んだほうがいい」と提案してくれたことをきっかけに、僕は完全に学校へ行けなくなりました。
将来のルート
――小学生のころはいわゆる「優等生」だったそうですね。
勉強は得意なほうでした。テストでよい点を取ると家族が喜んでくれることがうれしくて、褒められたい一心でがんばっていました。もともと僕の家は、学校の校長先生をしていた祖父の影響で、勉強を重んじているところがありました。
両親からはとくに勉強に関して口うるさく言われることはありませんでしたが、一家の主である祖父の勉強重視の価値観が家族全体に染みついていました。
そんな環境のなかで育ってきたので、物心がつくころには僕も自然と勉強に重きをおくようになっていました。小学生のころには「いっぱい勉強して、よい大学へ行って、よい仕事に就く。これが僕の将来のルートなんだ」と漠然と思っていたんです。
学校に対しても「勉強しに行くところであって、遊びに行くところではない」と思っていました。だから友だちづきあいなども積極的にしませんでしたし、する必要もないと思っていたんです。
「勉強してよい大学に」という価値観を信じていたからこそ、学校へ行けなくなってからが、僕は本当に苦しかったです。休んでいることへの罪悪感もすごくありましたし、何より時間が空けば空くほど「勉強についていけなくなる」ことへの焦りが大きくなって。「勉強の遅れを取り戻すには、どうしたらいいのだろう」と途方に暮れるばかりでした。
なかでも一番苦しかったのは、「よい大学を出て、よい就職をするという将来のルートが、不登校になったことで人生から完全になくなった」と思ったときでした。今まで目指してきた道が断たれたことで、「俺はこれからどうやって生きていけばいいんだろう」と絶望感を覚えました。自分の生きていく意味が、わからなくなってしまったんです。
――それはとてもつらいですね。不登校になってから、ご家族の反応はどうでしたか?
正直つらすぎて、不登校当時のことはあまり覚えていないんです。ただ、学校へ行かなくなって半年くらいが経ったころ、父親に「いつまで甘えているんだ」と言われたことは、今でも覚えてます。
いっこうに学校へ戻る気配のない僕に、父はしびれを切らしたのだと思います。それを言われて僕はとっさに「じゃあ、いつになったら甘えさせてもらえるんだよ!」と言い返しました。
僕は小学校のときは成績がよかったし、学校の模範生徒賞をもらったこともありました。優等生だった自分が中学で不登校になって、誰よりも僕自身が自分に失望していました。そんな状況なのに父親から、学校へ行っていないことを一方的に「甘え」と言われたんです。「親なら、ずっとがんばってきた俺を見てくれよ!」と率直に思いました。
将来のためにずっと勉強をがんばってきて、身体がボロボロになるまで学校に通い続けた。そんな今までの自分を父親に認めてほしかったんです。



