- 2021年06月01日 13:42 (配信日時 06月01日 06:00)
ジャック・マーはどこへ?習近平にひれ伏す中国のIT企業 - 樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)
1/25月16日、景勝地で知られる杭州西湖の湖畔にキャンパスを構える湖畔大学で、大学を表象化したかのような巨大自然石に大きく刻まれ、鮮やかに黄金に色付けされ光り輝いていた「湖畔大学」の4文字が削り取られた。
同大学は2015年1月に聯想集団の柳伝志、復星集団の郭広昌、巨人互動集団の玉史柱など中国ITビジネスを牽引する9人の企業家によって創立された。阿里巴巴(アリババ)集団創業者である馬雲(ジャック・マー)が校長(学長)を務め、世界の大学のトップに君臨する米ハーバード大学を凌ぐほどの難関との評価も聞かれるほどだ。
得意絶頂期の馬雲が筆を揮った「湖畔大学」の4文字が表面から消え失せ、元の姿に戻ってしまった自然石は、昨年末から政治に翻弄されるがままの馬雲の姿を象徴しているようにも思える。
近年の馬雲は習近平政権が強力に推進するIT政策に沿ってネット・ビジネスを牽引する一方、華人企業家の筆頭格でもあるタイのタニン・チョウラワノン(謝国民)やマレーシアのロバート・クオック(郭鶴年)と提携し、東南アジアにおけるネット・ビジネスの展開に積極的に取り組んできた。この2人が鄧小平以来の共産党中枢との太いパイプをテコに中国ビジネスを大々的に展開してきたことは周知のこと。ことに習近平政権登場以来、彼らと北京との緊密度は顕著である。
たとえばタニンの場合、アピシット政権(2008~11年)以来の歴代タイ政権が中国と連携し推し進めてきたタイ国内の高速鉄道・輸送インフラ建設――これを中国の側から見るなら東南アジアにおける一帯一路の根幹――に、自らが率いるCP(正大)集団の将来を賭け、同時に悪戦苦闘の企業家人生の総仕上げを目指すとまで公言しているほどだ。
こう見てくると馬雲を一帯一路の水先案内人と見なすこともできるし、それだけに習近平政権からするなら東南アジア進出における忠実な先兵だっに違いない。
そんな馬雲の動静が昨年10月後半にパタリと途絶え、程なくした11月には、アリババ傘下螞蟻(アント)集団はIPO(新規公開株)取引の中止を余儀なくされている。IPO市場、これまでの最高額が見込まれていたにもかかわらず、である。そのうえ規制当局がアリババに対し独禁法違反容疑で捜査に着手したというのだから、やはり異常事態だろう。
馬雲の動静について様々な報道が乱れ飛んだ末の今年1月20日、馬雲は久々に公の場に姿を現し、自らが創設した「馬雲公益基金会」による「郷村教師奨」のオンライン授与式に参加している。その発言に注目が集まったが、彼は「今後は全身全霊を教育事業に捧げる」と挨拶するに止め、90日間ほどの動静不明については言及を避けた。
いまや世界的に知られる企業家であるが、前身は片田舎の無名の英語教師に過ぎない。ならば「今後は全身全霊を教育事業に捧げる」との発言を原点回帰と見てもよさそうだ。だが余りにも唐突な内容だけに、野望実現を目前にしてITビジネスの世界から撤退せざるをえない立場に追い込まれた苦悩と無念さは十分に感じられた。
躓きのキッカケ
一般には馬雲の企業家としての躓きのキッカケは、昨秋の失踪直前に行った「時代錯誤の規則が中国の技術革新を窒息死に追い込む」との“正論”だったろう。この発言を自ら政策への「ノー」と受け取ったからこそ、習近平政権は馬雲に対し断固たる処断を下したに違いない。
たしかに馬雲の発言は、同政権が建党100周年(2021年)と並んで「2つの100周年」の重要な柱と掲げる建国100周年(2049年)を目指して打ち上げた超野心的世界戦略「中国製造2025」に、真っ向から異を唱えてはいる。そこで習近平政権が馬雲を自らの目玉政策である「製造強国」への敵対者と見なした。敵対する者は容赦しない。それこそが一強体制の鉄則である。
馬雲が「今後は全身全霊を教育事業に捧げる」と語ったその日、これまで動静が外部に漏れ伝わることが少なかった泰山会が突如として解散を明らかにした。
泰山会を遡れば中国のIT産業創業期をリードした「4人組」――「中国のシリコンバレー」として発足した北京中関村の初期のリーダーの陳春先、科海公司創業者の陳慶振、四通集団董事長の段永基、それに京海集団董事長の王洪徳――に行き着く。
彼らこそ鄧小平の剛腕が導いた対外開放をキッカケに、最先端情報技術を中国に持ち込み、アカデミズムとビジネスの融合を目指した野心的な起業家だった。いわば鄧小平が打ち上げた開放路線の申し子であり、「先富論」の象徴であり、同時に現在の情報管理強国の生みの親でもあったわけだ。
解散時に明らかになった泰山会のメンバーは、聯想集団の柳伝志、四通集団の段永基、万通集団の馮侖、泛海集団の盧志強、復星集団の郭広昌、遠大空調の張躍、信遠控股の林栄強、巨人互動集団の史玉柱、百度の李彦宏と段永平、中関村科海集団の陳慶振、江西科瑞集団の鄭躍文、河南横店集団の徐文栄、和光商務の呉力、華誼兄弟の王中軍――中国のITビジネスをリードする16人の野心的な企業経営者であった。
もちろん馬雲も一時期はメンバーだったが、やはり注目すべきは柳伝志、郭広昌、史玉柱などが湖畔大学創立の中核だったことだろう。
これだけの陣容に馬雲まで加わり同一歩調を取ったとしたら、IT業界の垣根を軽く飛び越え経済・産業界のみならず、中国社会全体に大きな影響を与えるであろうことは容易に考えられる。加えて彼らの動き如何では先端技術部門における米中関係に大きな影響を与えるばかりか、「製造強国」路線の行方を左右する可能性も否定できないはずだ。
なぜ泰山会は突然の解散に踏み切ったのか。やはりキッカケは、馬雲の発した「時代錯誤の規則が中国の技術革新を窒息死に追い込む」との真っ当な考えだったに違いない。
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