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脳が明かす人を変える力――『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』(白揚社) - 白揚社編集部

本書は、Tali Sharot, The Influential Mind(Little Brown, 2017)の全訳です。著者が拠点を置くイギリスとアメリカでは、刊行直後から好評をもって迎えられ、2017年にはタイムズ紙やフォーブス誌など多数の新聞雑誌の年間ベストブックにノミネート、翌18年にはイギリス心理学会賞を受賞しています。

二人の人物が意見を戦わせていて、一方が明白な事実や数字を示して相手の誤りを指摘するが、提示された側はそれをまったく意に介さず、結局は議論が平行線をたどる――そんな場面をSNSで目撃したことはないでしょうか? 議論の対象が政治であれ、健康問題であれ、趣味であれ、そうした光景は今ではとくに珍しくないようです。もちろん、客観的事実が説得の役に立たないケースはSNSだけに限りません。丹念に下調べをして、間違いのない数字を用意したにもかかわらず、プレゼンや相談事などで、相手の考えを寸毫も変えられなかったという事態は、ほとんどの社会人が経験していることでしょう。いや、変えられないどころか、事実を提示したおかげで、相手の気持ちをさらに頑なにしてしまう場合だってあるかもしれません。

普通に考えると、明白な事実を示されても意見を変えない人たちは、恐ろしく頭の固い人物か、論理的に考える能力に乏しい人物のように思えます。まともな人なら、専門家が調査を重ねて導き出した事実や数字を目の前にすれば、自説を完全に曲げるとまではいかなくとも、方向修正くらいは考えるはずです。そんなことすらできない人は、ごく一部の偏狭で不合理な人物に違いない……。ところが驚くべきことに、本書の著者ターリ・シャーロットによると、そうした反応は例外的なものではなく、誰にでも当たり前のように起きていることなのだそうです。そしてその原因は、私たち人間の脳の構造にあります。

本書では、衝撃的な研究がこれでもかというほど示されます。たとえば、アメリカ全土からオンラインで参加した被験者1111人に二つのデータ群を分析してもらうという実験です。一つは「新しい皮膚発疹用クリームの効能についての研究結果」で、被験者はデータをもとにスキンクリームが症状を改善しているか悪化させているかを判断します。もう一つのデータはいくつかの都市での犯罪統計をまとめたもので、被験者は銃規制によって犯罪が減少するか増加するかを判断します。

実は、両群のデータはまったく同じで、使用された数字も並び方もすべて同一でした。それなのに、被験者は銃規制よりも、スキンクリームのデータとして数字が示されたときの方が、データを正しく分析することができたのです。なぜか? スキンクリームのような商品と違って、銃規制については、各自がもっている信念によってデータの分析が左右されたからです。さらに興味深いことに、事前に行った数量の分析能力を計るテストで成績のよかった人の方が、つまりはリテラシーが高いはずの人びとの方が、銃規制が犯罪を減少させるかどうかという問いに、正確に答えることができませんでした。その高いリテラシーを用いて、データの分析を自身の信念に沿うように歪めたのです。

つまり、事前の信念によって分析結果が左右された上、数値を分析する能力の高い人のほうが、積極的に情報を歪めやすいという結果となりました。

*  *  *

ターリ・シャーロットは、名門ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの教授で、心理学と脳科学が交わる領域、認知神経科学を専門としています。楽観主義を脳の機能から説明する研究で世界的に名前が知られるようになり、それについて講演をした彼女のTEDトークの動画再生数は200万回を軽く超えるほどの大きな注目を集めました。

そんな人気者の著者が楽観主義の次に選んだテーマは、ずばり「影響力」です。私たちが他者の影響によって考えや行動を変えるとき、脳の内部ではいったい何が起こっているのか――それをとことん調べ上げ、その成果から導かれた、より効果的な説得の技法を伝授してくれるのが、この一冊というわけです。本書では、数々の研究によって特定された「影響力」の鍵となる七つの項目(事前の信念、感情、インセンティブ、主体性、好奇心、心の状態、他人)をピックアップ。それらを順番に紹介しながら、著者自らが実施した興味深い実験やユーモアに富んだ逸話を交えて、「影響力」の秘密に迫っていきます。

著者が紹介する脳の研究からは、次のような知的探究心をくすぐる疑問も登場します。たとえば、私たちがひっきりなしにスマホを見てしまうのはなぜか? 大きな集団になるほどイノベーションに乏しくなる理由は? アマゾンのレビューはどこまで信用できるか? 同じ問題でも時間をあけて見直すと正答率が上がるのはどうしてか? 「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」というアリストテレスの言葉は脳科学から見て正しいか? これらの疑問に対する解答については、ぜひ本編でお確かめください。

本書はまた、知的に面白いばかりではなく、すぐに使える実用的な知識も豊富に紹介しています。そこで解説されている研究成果をうまく利用すれば、上司や部下、友人やパートナーとの対話、議論に、今までとは違ったアプローチでのぞむことができるでしょう。しかもそれは、以前よりも成功率がずっと高い説得の技法なのです。

他者の考えや行動を変えるには、どうアプローチすればいいか。本書から一つ例を挙げてみます。ある病院では、スタッフに手洗いをなかなか徹底させられないという問題がありました。この病院には手指消毒剤と洗面台が備え付けられ、手洗い推奨の注意書きも貼られていたのに、手洗い順守率は驚くほど低かったのです。そこで、多くの人がすぐに思いつくような解決策を実行します。監視カメラを21台導入して24時間体制で監視したのです。ところが、監視されているのがわかっているのに、ほとんど効果はなく、手洗いをしたのは1割にとどまりました。次に電光掲示板を設置して手洗い順守率を表示するようにしました。手を洗うたびに数値が上がるのを見せ、スタッフの達成感を刺激したところ、なんと手洗い順守率は90%まで上昇したのです。

ところで、事実で人の考えを変えられないということは、裏を返せば、事実でないもので人をコントロールできることでもあります。近年の世界的な傾向として、本来であれば社会を良い方向に導くべき各分野の権力者たちが、こぞって不都合な事実を隠蔽する一方で、マスメディアやインターネットを利用して大衆の感情をうまく誘導しようと画策している印象を強く受けます。そして私たちの多くは、まんまとその戦略に乗せられてしまっているようです。小説家のバーバラ・キングソルヴァーはかつて「蛇と戦うには、その毒を知らなくてはならない」と述べました。私たちが必ずしも事実をもとに判断していないことは、人間の脳という「蛇」がもつ「毒」の一つだと言えるでしょう。本書がその毒を知る一助となることを願います。

*この記事は『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』に掲載された「本書について」に加筆したものです。

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