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「孤独死」とは呼ばないで、という投書

昨日の朝日新聞投書欄に、表題の投書が載っていた。投書者は秋田市で民生児童委員として受け持ち地区の高齢者世帯を巡回している主婦ということだ。それによると、一人暮らしの高齢者は、具体的に死をイメージし、「ピンピンコロリ」を目指したり「エンディングノート」を書いたりしている人も少なくないという。

ただ、彼らは「孤独死って言い方にはとても抵抗がある」と言う。「孤独死」という言葉は「とても寂しくて可哀相な見捨てられた死」というイメージが強いからだ。と投書は続いている。そして「自然死」とか「平穏死」などという柔らかい表現に変えてもらいたいと提起していた。

おそらく町内の見回りをしている人としての実感からの提案だろう。この人も、ある日顔なじみの老人一人世帯を訪ねて応答がなかったとき、それを事件として通報し、警察や救急隊を動員する騒ぎにするのが最善とは考えられないのではなかろうか。そうしなければ第一発見者として責任を問われるかもしれないなどと考えるのも、気の重いことだろう。

異変に気づいたら、一人ですべてを処理しようとせず、警察などの立会いを求めるのは必要なことだろうが、前後の状況から事件性がないと判断されれば、自然な死として警察の検視を受ければ済む場合がある。この際に、近所の人たちも、そういうことがあっても不思議ではないということを、ふだんから考えておいて、落ち着いて行動する必要があるのではなかろうか。

もちろん、助けを求めるサインを見落とさない仕組みは、システムとして整備しておく必要がある。近所の見回りは、もっとも有効な対策になるだろう。しかし人が死ぬという自然な現象は、誰にも止めることができない。一人世帯で人生を終る覚悟を決めた人は、万一の場合にも近隣の迷惑を少しでも軽くするように、最低限必要な情報を伝える方法を用意しておくべきだと思う。

私の母方の田舎には、高齢者が死ぬと参会者に赤飯をふるまう風習がある。人生を全うした先輩の送り出しは、町内としても「自然死」と呼んで祝ってあげてもいいのではないだろうか。

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