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直感力


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直感力 (PHP新書)

内容紹介

生涯通算獲得タイトル数歴代1位、史上最速での1200勝達成、王座を奪取し三冠! 進化を続ける希代の棋士の「直感力」を初めて開陳

「直感」と「読み」と「大局観」。棋士はこの三つを使いこなしながら対局に臨んでいる。そして経験を積むにつれ、比重が高くなり、成熟していくもののひとつが「直感力」であるという。

将棋は、ひとつの場面で約八〇通りの可能性がある。それを瞬時に二つ三つに絞り、直感によってひとつの手を選ぶ。直感は、一秒にも満たないような短時間でも、なぜそれを選んでいるのか、きちんと説明できるものだ。直感とは、自分自身が築いたものの中から萌芽するものであると著者はいう。

内容例を挙げると◎「見切る」ことができるか◎無駄はない◎底を打つ◎何も考えずに歩く◎他力を活かす◎見極めの制度◎道のりを振り返らない等々。

迷走続ける現代社会に生きる我々に、自分を信じ、突き進む力と勇気を与える一冊。



この新書、これまで、将棋の実技指導書的なもの(詰め将棋とか)以外の羽生さんの著書は全部読んできた僕にとっては、ちょっと物足りないような気がしました。

まあ、あれだけコンスタントに本を出していれば、さすがに「ネタ切れ」にもなってくるのかなあ、と。

それに、この本は「具体的な将棋や棋士のエピソード」がやや少なめなのも、僕にとっては残念でした。

より普遍的な言葉で語ろうというのはわかるのですが、やっぱり、将棋の名人には将棋を通じてしか語れないことも多いのではないかなあ、とも思いますし。

1時間足らずでサラッと読めて、あまり引っかかるところもなかったんだよなあ。


ただし、いままで羽生さんの著書はあまり読んだことがない、という人には、気づきがたくさんある新書かもしれません。


この本のタイトルは「直感力」なのですが、羽生さんは、「直感」について、こう語っています。

 直感は、本当に何もないところから湧き出してくるわけではない。考えて考えて、あれこれ模索した経験を前提として蓄積させておかねばならない。また、経験から直感を導き出す訓練を、日常生活の中でも行う必要がある。

 もがき、努力したすべての経験をいわば土壌として、そこからある瞬間、生み出されるものが直感なのだ。それがほとんど無意識の中で行われるようになり、どこまでそれを意図的に行っているのか本人にも分からないようになれば、直感が板についてきたといえるだろう。

 さらに、湧き出たそれを信じることで、直感は初めて有効なものとなる。


 僕などは、「直感」という言葉に対して、ある種の超能力的なイメージを持ってしまうのですが、羽生さんによると、「直感というのは、鍛錬と経験によって、結論に至るまでの時間を短くしていき、瞬時に判断できるようになる能力」ということのようです。

 言ってみれば、「脳のCPUの処理速度を上げていく」ことが、「直感力を磨く」ことになるんですね。

 大昔のパソコンで時間がかっていたことが、いまのパソコンでは一瞬のうちにできるようになっています。

 でも、それはあくまでも「パソコンの性能が上がって、速く処理することが可能になった」だけで、「処理をしないでいきなり結果が出せるようになった」わけではありません。

 「経験」と「直感」は対義語だと思われがちだけれど、「経験」と「思考」がないところには「ヤマ勘」はあっても、「直感」は生まれないのです。


 ちなみに、羽生さんは「直感を磨くには、多様な価値観をもつことだと思う」とも書かれています。

 いろんな考えに触れたり、試行錯誤した結果としての直感でなければ、どうしても選択の幅が狭くなるから、と。

 これは、日頃から「直感」にばかり頼っていては、「直感力」は磨かれない、ということでもあるんですよね。

 

 あと、「反省は後でするもの」という項に書いてあった、こんな文章も印象的でした。

「ひとつミスをしてしまった後に、ミスを重ねないための方法」について。

 ところがある時点でミスをしてしまうと、それまで築いてきた作戦や構想、方針といったものがすべて崩れてしまい、もう一度最初からやり直さなくてはいけない。

 そこへ至った道筋が全部崩れてしまうのだから、気持ちとしても動揺するのは当たり前。さらに、ただでさえ情報が溢れ、複雑で混沌とした状態の中、過去へ遡って一から何をするのか、どういう方針で臨めばいいのかは、にわかには見極められない。

 そういう状況であるから、いったん綻びが生じるとそこからミスを重ねてしまうのも必然ではないかと思えてくる。さてそこで、そのミスを重ねないためにどうするかということだが、まずはともかくも一呼吸おく、一休みすることが一番だと思う。たとえば5分間だけお茶を飲んで休憩するのでもいいし、外の景色をぼんやり眺めるのでもいい。本当に短い時間でも、ちょっと一休みしさえすれば、ずいぶんと冷静になり、客観性が取り戻せるのではないだろうか。

 そして、ミスの後の行動を、まったく新しいものとして捉える努力をすることだ。

 これからの行動を考えるとき、人はどうしてもそれまでやってきたものの連続として考えてしまいがちだ。しかし、ミスをした後、これから始めるべき行動について、「もしも仮にこれを初めて見たら、自分はどういう判断をするだろう」とか「どういう選択をするだろう」というようなことを想像してみたらどうだろう。

「初めて見たら」と想像することと、過去からの連続で考えて判断することは、大きく違う。そのとき思いきって自分の位置を切り替えて、「初めてこの場面を見たら……」といった視点をもつようにするといい。

 さらにもうひとつ、反省をしないことだ。


 僕が昔パチンコにハマっていた時期、なかなか当たらずにイライラしながら、「でも、もう300回も回したんだから、そろそろ当たるはず」だと、ついつい考えてしまっていたのを思い出しました。

 大当たりの確率は、最初の1回だろうが、300回外したあとだろうが、全く同じにもかかわらず。

 人間って、過去のことにどうしても「思い入れ」を抱いてしまいます。

 自分が何か他人を怒らせるようなことをした場合も、「アイツには、昔あんなにいろいろしてやったのに、これくらいのことで腹を立てるなんて心が狭いヤツだ」なんて、かえって相手を責めたりしがちです。

 自分がもし相手の立場だったら、「それはそれ、これはこれ」だと怒るようなことであっても。

 「とりあえず一息つく」ことと「初めてこの場面を見たら」と考えてみる。

 簡単なようで、頭に血が上っているときには難しくはありますが、心に留めておいて損はなさそうです。


 羽生さんは、最後にこう仰っています。

 他者からの評価や客観的な結果だけを追い求めながらモチベーションを維持するのは、たいへんなことだと思う。常に予定通りのことを目指すだけでは、気持ちは維持できないのではないか。

 かくいう私は実際のところ、結果に対する目標は、ほとんど立てない。

 ただひとつ思っているのは、少なくともいま自分が思い描いているものとは違う姿にはなっていたいということ。たとえば、十年経ったらこういう感じになっているのだろうという青写真があるとしたら、その通りにはなりたくないという気持ちがある。

 自分が想定した、その通りでは面白くない。自分自身、思う通りにならないのが理想だ。

 計画通りだとか、自分の構想通りだとか、ビジョン通りだとかいうことよりも、それを超えた意外性とか偶然性、アクシデント、そういうあれこれの混濁したものを、併せ呑みながらてくてくと歩んでいくのが一番いいかたちなのではないかと思っている。


 世の中には「自分の理想像をまず作り上げて、そこにどう近づくかを考えて人生をマネージメントしていくべきだ」と言っている人もいます。

 どちらが「正しい」とは言い切れないのですが、僕は羽生さんの、この考え方のほうが好きです。

 「想定外の事態」にも対応できそうだし、なかなか、ビジョン通りになんて、いかないものですからね。

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