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コロナによって変わった世界の見方 対面の禁止が人々にもたらした息苦しさの帰結

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2021年4月23日、3度目の緊急事態宣言が発令された。最初の緊急事態宣言のときには、とんでもない状況になったと新聞の見出しを眺めながら愕然としたものだが、3度目ともなるとあまり心情の変化も起こらないというのが正直なところだ。外出や人との会話を避けること、それ自体は仕方がないのだが、政府の場当たり的な対応にはあきれてしまうし、緊急事態宣言の解除日程がIOC会長の来日に合わせて組まれているとの指摘(東京新聞4月24日2面「短期集中 透ける五輪対策」)にも落胆しかない。これでは、宿題をやっていない子どもが、直前になって「先生に叱られる」とあわてる様子と大差がないように見えてしまう。

いずれにせよ今後もしばらくは外出を控える生活が続くはずで、この状況は長期化すると考えた方がよさそうだ。コロナは自国のみの問題ではないためである。仮に日本がコロナを克服できたとしても、世界のどこかの国で感染者が出ている以上、この状況が終わりにはならないというのが悩ましい。どこかひとつの国にコロナ感染者が残っていれば、それは容易に他国へ移動するのであり、結局は世界全体の問題なのだから。もし、ある国の人びとが清潔な水を使用できないことによって手を洗えず、感染が防げないとすれば、その問題に向き合わなくてはならない。彼らに清潔な水を使ってもらい、健康でいてもらうことが、われわれ自身の健康と同意義になるのだ。ではどの段階を持って「日常へ戻る」のかと考えると、何だか気が遠くなってくる。問題の根本的な解決のためには、すべての国が自国ファーストのふるまいを止め、世界レベルの連帯でコロナ感染をストップする必要があるのだが、そのような協力体制は夢想のようにも思えてしまう。

しかし、いくら他に選択肢がないとはいえ「人と直接会って話すことが禁じられる」という状況について、われわれはもっと深く考えてみるべきなのではないだろうか。この制限は、われわれの生活の質に大きく関わる、途方もない要求であるように思える。そのような生活スタイルが始まって1年がたち、制限はなお終わる気配がない。これから先、他者とのコミュニケーションを断った暮らしを続けることは、本当に可能なのだろうか。必要ならばZoomで話せばいいではないか、といわれても、それはアメリカの研究者エフゲニー・モロゾフがいう「デジタルの絆創膏」でしかない。いまは他の選択肢がないから、とりあえず応急処置としてZoomというデジタルの絆創膏を貼って、その場をしのぐのだ。

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おそらく多くの人が、パソコンの画面越しに話すことと、実際に会って話すことの違いについてあれこれと考えたはずである。それらは具体的に何が違うのだろうか? 大学の教室でおこなう授業と、オンライン講義との間には、いかなる差があるのか。両者は確実に何かが違うのだが、言葉にして説明しようとするとうまく表現しきれない部分がある。しかし誰もが直感できるように、対面と非対面には、コミュニケーション上で大きな質の違いがあるのだ。なぜそのような違いが生じるのか、その質とはわれわれの人生にどのような影響を与えるのか、多くの人が真剣に考えた1年であったように思う。

イタリアの思想家ジョルジョ・アガンベンは、コロナ禍でのロックダウンについてこのように述べた。「自分たちの移動の自由を制限することを、それほど問題ともせずに受け容れてしまった。この制限は、この国(注:イタリア)の歴史上かつて一度も、二度の世界大戦の最中にさえ起こらなかった規模でなされている(戦争中の外出禁止は時間が決まっていた)」「交友や愛に関わる諸関係を事実上宙吊りにすることを受け容れた。隣人はありうるべき感染源になってしまったからである」(『私たちはどこにいるのか?』青土社)。2020年、アガンベンがコロナ禍での行動制限に否定的な発言を続けたことで、イタリアの新聞は彼の発言を掲載するのを止めてしまったという。とはいえ、アガンベンがなぜ行動制限への批判を強い口調でおこなったのか、その理由についてはとても興味がある。

たしかにいま行動制限を批判したところで、他に方法がないのが現状だ。外に出れば感染のリスクは高まるのみであり、人と会わないというのは妥当な選択である。しかし、それが長期化していったとき、われわれは精神を健康に保つことが難しいのではないか。私自身テレワークを経験するまでは、他人と直接に会って話せない、という状態がこれほど息苦しいものだとは考えてもみなかった。人づきあいの苦手な私ですら、他者の声を間近で聞くことは本当に心の救いになったのだ。大学がオンライン講義に変わったことの弊害について、アガンベンは「感覚の経験」の喪失だと書いている。

物理的にそこにいるという要素は学生と教員の関係においていつでも非常に重要なものだったが、教授法が変容することによってこれが決定的に姿を消す。セミナーにおいて集団でなされる議論は教育の最も生き生きとした部分だったが、これも姿を消す。とはいえ、授業のオンライン化の帰結として起こるこのような教授法の変容には私たちは関心がない。生から感覚の経験がすべて消し去られ、まなざしが亡霊的なスクリーンに持続的に監禁されて喪失されるという状況を私たちはいま生きているが、このことはテクノロジー的野蛮の一部をなしている(『私たちはどこにいるのか?』青土社)

物理的にそこにいることは「感覚の経験」である、というアガンベンの指摘を、1年前とは比較にならないほど深く納得している私である。この言葉の重みは、いくら強調してもしすぎることがない。感覚の経験を奪い取ることの野蛮さについても、私は痛感した。われわれは、感覚の経験なしに生きていくことが困難なのではないか。また、スロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは「たとえばウェブ上で健康診断を受けたり、テレワークで働いたりすると、自分の部屋が自分の世界になります。私はこの状況が恐ろしくてしょうがありません」(『新しい世界』講談社現代新書)と述べている。

彼のいう「自分の部屋が自分の世界になる」という表現にも、私には同意する。まさしく「世界」とは、朝起きて玄関を開け、外に出なければ出現しないものだと思い知った。こうした問いはとても哲学的だと思うのだが、誰しも日々同じようなことを考えていたし、社会の見方を変えたはずである。

pixabay

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