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アカデミー賞が示すアメリカの姿 社会的混乱をどう捉えるか

第93回アカデミー賞の授賞式が、2021年4月25日(現地時間)に行われる。日本時間では翌26日の午前中となるが、衛星放送でリアルタイムの結果発表を楽しむ映画ファンも多いのではないだろうか。コロナ禍で作品公開が軒並み延期となり、候補となる作品数も減少した中でのイレギュラーな開催となる今回。事前予想では、作品賞の本命は『ノマドランド』、それを追う対抗馬が『ミナリ』だとの見方が強い。

作品賞のノミネートは8作品あるが、中にはまだ日本で公開されていない映画も含まれているため、本稿ではすでに日本で公開済みの『ノマドランド』と『ミナリ』を中心に取り上げつつ、本年度の傾向を考えてみたいと思う。

アメリカ人のアイデンティティを示す近年のアカデミー賞

昨今のアカデミー賞選考では、社会的テーマを扱う作品が高く評価されることが多いが、それはアメリカ人が「自分たちは何者か」「アメリカとはどのような国か」について常日頃からよく考え、議論しあう傾向とつながっている印象がある。

Getty Images

米国史研究で知られる斎藤眞は、著書『アメリカとは何か』(平凡社)でこう述べた。「アメリカ人とは何か、アメリカ文化とは何か、いやいったいアメリカとは何か、という問題は、アメリカ人自身によって、くりかえし自問自答され、自己確認され、自己主張されてきた問題であった」。このようにアメリカ人には、つねに「アメリカ人とは何か」という自己言及的な問いを立て、その答えを追求する習慣のようなものがあるのだ。なぜアメリカ人は、自分たちの国についてこれほど真剣に考えるのか。

その理由について斎藤は「人種的統合性を欠くアメリカは、他の社会より人為的な統合をより必要とする」ためだと説明する(ここでいう「人為的な統合」とは、理念をわかりやすい言葉で伝え、結びつきを強めることを指す)。歴史が短く、民主主義や宗教的敬虔さなどの理念が先行するアメリカでは、国をひとつにまとめるためにも「アメリカ人かくあるべし」という定義が必要であり、多種多様な人びとから合意を得なくてはならないのだろう。そうしなければ、国家が分断してしまうのだ。「人為的な統合」への意識は映画製作にも強く影響しており、アカデミー賞は映画業界の一大イベントであると同時に、アメリカ人のアイデンティティを示す側面もある。

共産主義的なコミュニティが描かれる『ノマドランド』

今回ノミネートされた作品を見ても、「2021年のいま、アメリカ人はどうあるべきか」を考え直すようなテーマばかりが並んでいる。

話題作『ノマドランド』は、キャンピングカーで各地を転々としながら暮らす流浪民(ノマド)、60代の女性ファーン(フランシス・マクドナルド)が主人公である。住んでいたネバダ州の雇用や経済を支えていた企業が、リーマンショックのあおりを受けて倒産。夫の死もあり、居場所を失い未亡人となった主人公は町を出て、車で寝泊まりする生活を始めるというあらすじだ。

『ノマドランド』のクロエ・ジャオ監督(左)、主演のフランシス・マクドーマンド(中):Getty Images

主人公の女性は経済的な困窮によって車中生活を余儀なくされ、ひとまずは Amazon の配送センターで働きながらどうにか糊口を凌ぐ。車で寝泊まりしながら、配送センターへ出勤するのだ。主人公は生活のため、なりふり構わず厳しい環境で働かなくてはならない。この配送センターの場面にはかなり驚いた。新自由主義の行き着く先という過酷さがある。60代での冬の車中泊は身体にこたえるだろうと、見ながら心配になってしまった。主人公の働く配送センターは、あたかも清潔なディストピアといった場所であり、見ていて息苦しい。

劇中で Amazon は、主人公以外にも車中泊しながら働く従業員を多数雇用しており、キャンピングカーを停める駐車場代を会社負担とすることで、彼らが働いている間は車中泊を継続できる状況を提供しているのだが、そもそも Amazon はなぜ従業員に住む家がない状況を知った上で何の手立てもしないのか。会社は駐車場代を出すことはあっても、社宅は提供しないのである。配送センターで働くキャンピングカー暮らしの女性は、人としての尊厳をすっかり奪われてしまった無力な存在に見えてしまう。

家を持たず、キャンピングカーで移動しながら寝泊まりするノマドの人びとは、独自のネットワークを作り、お互いに助け合いながら生活している。必要なものを都合しあい、こまめに情報を交換する彼らは、共産主義的なコミュニティを形成しているのだ。この点が『ノマドランド』のもっとも大きな特徴である。アメリカにおける共産主義嫌いは根強く、そのことが国民皆保険や労働組合の発展を阻害し、人びとの健康や雇用、福利厚生が大きく損なわれてしまった過去がある。

ところが現在、あまりにも貧富の差が大きくなり、貧困層の暮らしが立ち行かなくなってくる中、バーニー・サンダースやオカシオ=コルテスといった政治家が社会主義的な主張(富裕層への累進課税、学生ローンの返済免除)を掲げて若者に支持されるという新しい変化が起こり始めた。ようやくアメリカでも、公助の重要性や資本主義の負の側面について語られるようになったのだ。もし『ノマドランド』が作品賞に選ばれるとすれば、アメリカが長年の共産主義アレルギーから脱却していくという文脈も生まれる。この点はかなり大きな変化であるように思う。

Getty Images

同化ではないルーツの再確認を描いた『ミナリ』

『ミナリ』はアメリカに住む韓国人一家が描かれる。カリフォルニア州で働いていた夫婦とふたりの子どもの物語だ。彼ら一家は、農業で一旗揚げたいと願う夫(スティーヴン・ユアン)の希望でアーカンソー州へ引っ越してくるのだが、なかなかうまく行かず、やがて家庭内に不和が発生してしまうというあらすじだ。米国内でのアジア系アメリカ人に対するヘイトクライムや暴力が多発する中、アメリカでの成功を追い求める韓国人一家を描いた『ミナリ』の持つ社会的意味合いもまた変わってくるだろう。

個人的には、わずかな可能性に賭けて国内を移動する家族を見ながら、スタインベックの小説『怒りの葡萄』(1939)を連想してしまった。『怒りの葡萄』は、上昇の機会を求めてオクラホマ州からカリフォルニア州へ移動する一族の小説だったが、『ミナリ』はその後日譚のようにも見える。カリフォルニアでも暮らしは楽にならなかった、だからここを出て別の場所へ行くのだ、とでもいうように。

『ミナリ』のキャストたち:Getty Images

劇中、仕事や幼い子どもの世話で多忙になり、生活が立ちゆかなくなった妻(ハン・イェリ)が、韓国から祖母(ユン・ヨジョン)を呼び寄せるところから、物語は大きく変化していく。祖母は英語すら話せず、アメリカ的価値観にもなじまない女性だ。年長者らしい大らかさとワイルドな言動で自由に生きる祖母。一方、農業で夢を叶え、豊かな暮らしをしたいという夫のアメリカン・ドリームは一向に好転しない。夫が農業にのめり込むほど、家族の関係は悪化していき、ついには家庭崩壊の危機へと至ってしまう。そこで家族関係をふたたびつなぎあわせるのが、アジアから持ち込んだ価値観を保ち続けた祖母の存在だった、という展開に『ミナリ』のユニークさがある。

ルーツを保ちながらでも、アメリカで生きていくことができる。農業での成功を求める夫の真の願いは、アメリカン・ドリームの追求を通して、一人前の「アメリカ人」になることだった。しかし、みずからのルーツを捨ててアメリカへ同化するのではなく、祖母を通して韓国の文化とルーツの重要性を再確認することで、ようやく真の意味でのアメリカ人として生きていけるようになったというメッセージに胸を打たれる。

『ノマドランド』が提示した、資本主義社会の先にある助け合いの世界。『ミナリ』が描く、多様な人びとがそれぞれのルーツを尊重することによって、よりよいアメリカ人として生きていけるという理想。また『シカゴ7裁判』における警官の暴力に対する抗議や、『Mank/マンク』に登場するフェイクニュースの問題も印象深い。どれも、現代的なテーマを過去の事件やフィクションに置き換えながら問題提示することに成功している作品ばかりだ。

Brandon Day on Unsplash

こうした候補作は揃って、いまのアメリカはどのような国か、そして「いまアメリカ人であること」の意味は何かを問うている。どれも志の高いテーマばかりだが、昨年から今年にかけてのアメリカの社会的混乱(コロナ、Black Lives Matter、大統領選挙、議事堂占拠)に対して、アカデミー賞の選考がどのような視点を持っているかがいちばんの見どころになるだろう。

賞の選考基準が、そのままアメリカ批評となり、政治的スタンスの表明となる。作品と社会が直結しているのだ。そうした意味では、『ノマドランド』が提示した「資本主義の限界」というテーマは個人的にも大いに響くものがあり、これが作品賞を取れば痛快だという思いがある。楽しみに結果を待ちたい。

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