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熊本城に「前代未聞の橋」を造れ! 350メートルの巨大通路…建設までの“知られざる舞台裏” 復興のシンボル・熊本城の今 #2 - 葉上 太郎

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「部品の数だけ部品がある」複雑な橋

 高低差のある地面に、右へ左へと曲がるルートを設けたため、「これに合わせて造ろうとすると、部品の形が全て異なってしまいました。普通の橋なら同じ規格の部品を組み合わせて造りますが、特別見学通路は部品の数だけ部品があるのです。このような構造物は他にあまりありません」と城戸さんは話す。コンピュータで設計し、加工もコンピュータで計測しながら行った。

 そして狭い場所ではワイヤーで吊り下げながら設置するなどした。

 普通の橋は、基礎となる杭をしっかりと打ち込む。ところが、城内は特別史跡なので、文化財保護のために土地の改変は許されない。そこで、橋脚の下には分厚いコンクリートを置いて基礎とした。それでも20年間も設置したら、地面が動いたり、橋が経年変化したりする。350メートルもの長さがあるので、各所の歪みは大きな負荷になるだろう。そこで橋を三つに分割して建設し、接合部分で歪みを調整するようにした。

 色は城に合わせて、黒と白に塗った。歩道には板を張り付けたので、周囲の景観と溶け込む。

 設計に10カ月。工事は急いで行うために2班に分けて行ったが、それでも13カ月かかった。事業費は約17億円にものぼったが、国には「仮設」として許可をもらったので、20年間の復旧工事が終われば解体する。

 20年6月から使用開始した。

実際に「通路」を歩いてみた

 この「通路」を歩けば、さまざまなものが見える。城戸さんに案内してもらった。

 最初に目に飛び込んできたのは、崩落した石を保存した現場だ。行幸坂を挟んで向かいにある。

 続いて、数寄屋丸二階御広間の下の石垣が、ぼっこり落ちて空洞になっていた。この建造物は1989年、熊本市政100周年を記念して復元された。石垣が落ちた建物はたわみ、白壁には幾筋もの亀裂が入っている。「中に入ると床板の隙間から外の光が見えて怖いですよ。石垣は横から石を差し込んで直せればいいのですが、上の建造物を一度解体しなければならないのが難しいところです」と城戸さんが説明する。

 その反対側は、飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)があった場所だ。櫓の石垣が崩れ、角の一列だけで崩落に耐えたことから「奇跡の一本石垣」として有名になった。緊急工事で解体保存されており、再建工事の開始を待つばかりになっている。現場にはまだ鉄板が敷いてあった。

 特別見学通路の下には、コンクリートの道が造られていて、この上を工事用の車両が行き来する。

ワイヤーで固定された重要文化財の櫓群

 天守閣が見えた。「ここからだと真正面に見えます。石垣が重なって美しく見えるので、撮影スポットになっています。本丸御殿の壁からしっくいが落ちたり、窓が下がったりしているのも見えますね」と城戸さんが指をさす。

 二様(によう)の石垣に差しかかった。積み上げの角度が異なる二つの石垣が重なっている。角度が緩やかなのが加藤清正時代の建造、角度が急なのは加藤氏改易後に入城した細川氏の時代のものだ。「石垣の形も積み方も違います。技術が進んで急な角度で造れるようになったのです。遠景に天守閣が見えるので、ここも撮影スポットです。下からとは違う角度で見えるので、人気が出ています」と教えてくれた。

 石垣で通路を折り曲げた枡形(ますがた)は、崩落でふさがれたままになっているのが見下ろせた。「ここにはいつも人通りがありました。昼間の発生だったら、ただでは済みませんでした。もし、けが人が出ても救助隊はなかなか近づけなかっただろうと考えると、今でも恐ろしくて」。そう話す城戸さんの表情は硬い。

 東竹の丸の櫓群が見えた。「ここには、国の重要文化財の櫓がずらっと5棟並んでいます。ずれ落ちて倒壊しないよう、重しにワイヤーで結んで引っ張っています。近くで白いシートを覆せている土地には、地割れができています」。ひび割れが広がったら、と思うと背筋が寒くなった。

復旧工事の「見える化」という挑戦

 熊本市が城の修復で掲げているのは、復旧工事の「見える化」だ。従来はあまりなかった取り組みである。

 歴史的な建造物の工事では、建物をすっぽり覆ってしまうケースが多かった。09~15年に行われた兵庫県の国宝・姫路城の「大修理」はその典型例だろう。工事用建屋で城が見えなくなり、建屋を覆うシートに実物大の線画が描かれた。

 熊本城では、特別見学通路で「見える化」を図ったほか、工事箇所を覆うシートにも工夫を凝らしている。普通のシートでは内部が見えないが、15ミリのメッシュがあるシートを使用して、透けるようにした。これまでの修復工事では天守閣と長塀で使われた。

 ボルトやクギが落ちたり、埃や塗料が飛散するのは防げないので、近くに他の建物がなく、周囲も広い敷地の場合にしか用いない。天守閣の工事で、上層階に鉄骨を差し込み、限定した場所に足場を構築したのも、「見える」ようにするためだった。

 市が「見える化」にこだわるのには理由がある。

 熊本の象徴のような文化財だけに、修復を通じて理解を深めてほしいと考えた。

 基本計画の策定(18年3月)段階で634億円もの事業費が見込まれた巨額工事だ。苦しんでいる被災者がいる一方での執行には、市民理解が必須だった。

「熊本に大きな地震はない」との思い込みがあった

 熊本城の生々しい被災現場や復旧工事を見ることで、地震の記憶を刻み続けてもらいたいという願いもあった。このため、完全に復旧してしまうのではなく、崩落などの被災現場は一部であってもそのまま残せないかという議論がある。城戸さんもそう考えている。

 熊本県内には地震が起きるまで、「熊本に大きな地震はない」という思い込みがあった。「地震がない」というセールストークで企業誘致を進めた自治体もある。人々には、そうした油断への悔恨が残った。

 決して地震が起きない土地ではなかった。熊本市が市制を施行した1889(明治22)年、市内の金峰山付近を震源とする「金峰山地震」が発生し、21人が犠牲になった。熊本城のダメージも大きく、崩落した石垣は42カ所にのぼったという。

 にもかかわらず、地震は忘れられ、逆に「地震がない」という迷信が行政関係者にまで浸透した。地震の記録が乏しく、口伝えの伝承もなされなかったのだ。

熊本地震の「語り部」として

「今度こそ語り継がなければ」と話す人は多い。しかし、発災から5年が過ぎ、記憶は次第に薄れつつある。

 そうした中にあって、20年間も続く熊本城の修復は、復旧工事そのものが被害を語り継ぐ手段になるはずだ。被災箇所を残すことができれば、熊本の象徴たる城が身をもって地震の破壊力の大きさを伝えることになる。

 4月26日に全面公開される天守閣の内部では、金峰山地震の展示コーナーも設けられる。

 熊本城は「復興のシンボル」であるだけではない。

 熊本地震の語り部でもあるのだ。

撮影=葉上太郎

(葉上 太郎)

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