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『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本

 名著中の名著、ことばをあつかう全ての人に。

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 使い慣れた道具の構造が分かり、より効果的に扱えるようになる。これまでヒューリスティックに馴れていた手段が、一つ一つ狙い撃ちできるようになる。こいつ片手に、そこらのラノベを魔改造したり、漱石や維新を読み直したら、さぞかし楽しかろう。

 レトリックというと、言葉をねじる修飾法とか、議論に勝つ説得術といった印象がある。もちろんその通り。アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、ヨーロッパで精錬された修辞学は、言語に説得効果と美的効果を与える技術体系だ。

 だが、「技巧や形式に走る」といって、棄ててしまったのが現代なのだと弾劾する。ものには本名があるから、妙に飾らないで、本名で呼ぶのがいい……そんな俗物的な言語写実主義の教訓が、私たちの楽天的すぎた科学主義=合理主義=実用主義と混ぜこぜになって、言語感覚を狂わせたのだという。

 できあいの言語をじゅうぶん便利なコミュニケーションの道具と信じ、形式にこだわらず、気取らず、思ったことを正直に書けば、素直に伝わると無邪気に思い込んでしまっていた―――結果はどうだ?(学校の作文を思い出せ)。

 たとえば、体のどこかに名状しがたい「痛み」や「もどかしさ」を感じているときのように、心の奥底に密かな思いを抱くときがある。それは容易に言葉にならない(だから、「言葉に、できない」という)。にもかかわらず、ことばにしてみなければ自分でも納得できるものにはならない。「焼けるように」とか「ズキンズキン」は、確かにありきたりだが、言葉にすると距離感がつかめる。

 「思ったこと」をいくら言い表そうとしても、その外皮を削るどころか、近似の誤差すら縮まらない。ことばは外的な制約にすぎず、「思ったこと」専用にあつらえたものでないから。さらに、専用にあつらえた完全オリジナルであるなら、それはコミュニケートの道具として使えない。誰も知らないだろうからね。

 そういうとき、ふと、ほとんど偶然のように適切な言い方を思いつき、ほっとすることがある。これこそ自分だけのことばだ、と感じるだろう。しかしそれは、自分の「思い」に合わせてこしらえたものではない。私以前に、無数の他者たちが用いてきた、数え切れない用語の蓄積を担ったレトリックなのだ。

 確かに目次には、難しげな用語が並んでいる。直喩、隠喩、換喩、誇張、列叙、対比、逆説……とあるが、なに、用例だけ着目すればよい。このとき注目しておくと面白くなるのは、「伝えたいこと」と「ことば」の距離。

 例えば、「白雪姫」の白さにピントを当てたときと、「白いものが舞っている」井上靖の文例まで、概念のズーム・レンズが微妙に作動しているのに気づくとき、表現者の内部に動く微妙な認識への欲求を感じることができる。「DNA」や「ホワイトハウス」といった言葉の使われ方ひとつで、実は人間の認識そのものに、深く換喩が組み込まれていることに気づく。

 また、列叙法の文例は、触れているこっちまで感覚が伝染してくる。「列叙法」なんて耳慣れないが、要するに、だらだらと述べるやりかただ。幸田露伴『平将門』なんて、悪文に近い名文というか、名文に近似した悪文というか、紙一重の感覚で、乱雑な世界を乱れ気味なことばの外形によって模写している。tumblrで身元不明の(俺的)名文の出所が分かったのも収獲。これだ。

おおぜいの花魁のきげんをとるんですから、大変なもんでございまして、あんまりやさしくするてえと、当人が図にのぼせちゃう。といって、小言をいやあ、ふくれちゃうし、なぐりゃ泣くし、殺しゃ化けて出る。どうも困るそうですなあ、女というものは……


 おんなの、ねちっこさ、のりやすさ、あさはかさ、そしてはかなさを畳み掛けるように語ったのは、志ん生『お直し』。

 本書がスゴいのは、レトリックの説得効果と美的効果を解きなおしたからだけではない。三つ目の視点、創造的認識のメカニズムを探り当てたところにある。

リンク先を見る 文彩、いわゆる「ことばのあや」を操る事例なら、「レトリックのすすめ」をオススメする。文彩とは、通常の表現に偏差を与えることで、コードを逸脱することだと述べる。規範からの外れ具合が目を惹き印象を強めるというのだ。そして、「逸脱の動き」という断面から山ほど文例を集めてくる。

 だが、『レトリック感覚』その続編『レトリック認識』では、言葉の「動き」よりも「焦点」に力点が置かれる。言葉と対象そのものとの距離いかんにかかわらず、両方にピントが当たっているのを感じるとき、言語認識の能力が、意味の膨張や縮尺に自在に(無意識に)適応していることに、改めて気づかされる。普通なら想像のおよばない両者に焦点が同時に合い、比喩の上で両者の認識が創造され、上書きされるのだ。

 例えば、川端康成が「美しい蛭のような唇」という直喩を用いるとき、両者が似ているのだという見方が読み手に要求される。ぬめる質感とか放射線状のシワを想起し、(色はともかく)直喩によって両方の類似性にピントが合わさる。芸者の唇と吸血動物をいっしょくたにする感性に舌を巻くと同時に、(前後の場景とあいまって)想起させられてしまう自分の感性にヒヤリとする。表現者の意図は、「思ったこと」を伝えるのではなく、「伝えたいこと」を感じさせるのだということが、肌感覚で分かってくる。

 もちろん、すべてのことばは既製品にすぎない。だが、カスタマイズは無限に創造できることに気づかされる二冊。

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