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"最後の行方不明者"探す両親。報道陣を面罵する家主…熊本地震5年、地元紙記者の葛藤と覚悟

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最後の行方不明者、両親のもとに


週末のたびに、30人もの人たちが付近の川沿いを捜し回ってくれた。
7月24日には、崩落した阿蘇大橋のすぐそばの谷底まで捜索の手は及んだ。

そこでついに、大和晃さんが乗っていた乗用車の破片とおぼしきものが見つかった。

現場にいた報道関係者は、堀江記者ひとりになっていた。
「自分が伝えるしかない」。その瞬間をしっかりと見届ける。写真もおさえ、記事を書きあげた。

見つかった車の部品を前に泣き崩れる大和さん夫妻。妻の忍さんは部品を目にすると「この下に晃がいる」と言い、とっさに底の見えない淵に入ろうとした。危険とみた堀江記者は、水に胸まで浸かってこれを押しとどめながら、手を伸ばしてカメラのシャッターも切った。「無我夢中で」。ポケットの携帯電話2台は水没して故障した。(提供:熊本日日新聞社)

これを受けて行政は、捜索を再開すると決めた。
それから3週間後。「見つからない行方不明者」とされていた大和晃さんの遺体が、ついに見つかった。

「正直、書くことでどうなっていくのか、という明確なイメージがあったわけではありませんでした」

率直に、堀江記者は言う。

「でもああやって、信じて話していただくことで、事態は動いた」

声なき声に耳を傾け続けることでこそ、記者は世の中の役に立つことができる。

「大和さん夫妻は僕に、記者として進むべき道を示してくださりました」
 

怒れる家主の「変化」


後輩記者にも「心が折れそうになっても聞き続けた方がいい」と勧める。
裏付けとなるエピソードは、もうひとつある。

他社のカメラクルーもろとも、家主に面罵されたアパート倒壊現場。
堀江記者はその後も、ことあるごとにそこを訪れた。そして家主に「自分は被災地に添い遂げるつもりでやっている」と説明を続けていた。

なかなか聞く耳を持ってもらえなかった。何か月たっても、同じ繰り返し。
つい、言葉を荒らげてのやりとりになることもあった。

アパート跡地にたむけられた花とお酒

それでも堀江さんは、そこに足を運び続けた。
変化が起きたのは、本震から1年が過ぎたころだった。家主が「あんただけったい」と切り出した。

「あの後もずっと、当時の話が聞きたいと言い続けてきたのは、あんただけだったけん」

そう言うと、急に地震当時のことを語り出した。

「もちろん、最初にマスコミ不信が強まってしまったというのもあったと思います。ただそれ以上に、気持ちの整理に2年かかった、ということなのかなと」

記者としての資質や取材姿勢において自分が特別だった、とは思わない。

「ずっと近くにいられた、というのが何より大きかった。それはやっぱり、地元紙だからできること。そして、地元紙だからやるべきことなんだと思います」
 

橋の偉容と、遅れる復興と


大和さん夫妻にも、話を聞き続けている。

自宅でのバーベキューに誘われるほどの付き合いになった。
それでもやはり、年月とともに地震について夫妻が語る内容は、少しずつ変わっているという。

1年目、2年目は、自力捜索を余儀なくされた時の絶望感について振り返る言葉が多かった。
それが3年目、4年目は、地震被害の記憶が風化することに対する、複雑な思いを語ることの方が増えた。

「あらためて、話を聞き続ける大事さを感じています」

被災した人々の気持ちが、うつろっていくのと同じように。
被災地が抱える問題も、年月とともに変わっていく。

3月に開通したばかりの新阿蘇大橋と、その偉容を眺める人々(撮影・塩畑大輔)

3月下旬。
堀江記者は崩落した阿蘇大橋に代わって架けられた「新阿蘇大橋」を訪れた。

付近は多くの観光客でにぎわっていた。
橋の偉容は、見る者を圧するほどだ。「復興はこんなに進んでいるのか」。そんな声も聞かれた。

付き合いのある地元住民も「うれしい」と話していた。
だが中には、こんなことを言う人がいた。

「これだけ大きなものができあがってしまうと、どうしても『復興は完了した』という強い印象が生まれてしまう。かえって、周辺部の復興は遅れてしまうのではないか」
 

検証。伝承。地元の記者だからこそ


追い続ければ追い続けるほど、感じることがある。

復興に節目などない。
グラデーションをなすように、新しい状況、新しい課題が次々と浮かび上がってくる。

4月14日。被災地は地震から5年のタイミングを迎える。
そこで何を報じていくべきか。堀江記者はずっと考え続けている。

熊本市東区の健軍商店街。本震で核店舗のサンリブ健軍が倒壊。アーケードの柱もゆがんだ=2016年4月16日(提供:熊本日日新聞社)

「このタイミングだからこそ、地震被害のことを思い出してもらえるところもある。風化を防ぐためにも、当時のことを振り返るような報道を量的にやる必要はあると思います」

ですが、と意識して語気を強める。

「『今だから伝える』という記事の意義のようなものを、よく考えて報じないといけないと、強く感じています。被災者の方の気持ちも、被災地を取り巻く状況も、どんどん変わっていく。同じ話をなぞっているだけでは、何のために報じているのかというそしりを免れ得ない」

公的な検証などは、地震から3年の段階で完了を見たものが多い。
だが、復興は終わっておらず、新しい課題も次々とあらわれる。

被災者支援の制度は年々縮小していく。
新阿蘇大橋の偉容の陰で、復興が進まぬ小さな集落も多く残っている。

三段式スイッチバックで有名な豊肥本線・立野駅付近を走る列車。路線は復旧したが、駅周辺への住民の帰還率は4割程度にとどまっている(撮影・塩畑大輔)

そんな実情を見るたび、思い浮かぶ背中。
それは、行政の大規模捜索が打ち切られても「自力で捜す」と言った大和さん夫妻の姿だ。

今度は自分の番だ。
検証も伝承も、自力で続けるしかない。

「それこそが、被災地に添い遂げて取材する自分たちだけにできること。自分たちの使命だと思っています」
 

覚悟に触れ、強まる覚悟


4月9日。新阿蘇大橋からほど近い、立野地区にある弁当店。
示し合わせたわけでもなく、大和さん夫妻にバッタリと会った。

地震からちょうど5年のタイミングを前に、連日マスコミからの取材を受けているという。

「私たちが伝えられることがあるなら、どんな取材でも断るべきじゃないと思っています」

そんなことを言っていた。
強い覚悟に触れ、あらためて考える。大和さんたちがそう思うようになったきっかけのひとつは、自分たち側にある。

責任は重い。
自分もさらなる覚悟を持って、ことに当たらなければならない。

堀江記者は今日も現場に立つ。
取材がすぐにはうまくいかないことも多い。心が折れそうなこともある。

それでもなお、現場に立ち続ける。
地元紙の記者として、地元で生きていく。

提供:熊本日日新聞社

【取材協力=熊本日日新聞社】

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