- 2021年04月08日 15:41
自分のやりたいことがわからないあなたへ──人生は「意味なんてない!」と開き直れば楽になる
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大学を卒業してから働きはじめるようになって、気づくと10年以上が経ってしまいました。最近はマネジメントの仕事をする機会も少しずつ増えてきたのですが、そこでいろんな人の話を聞いていると、「自分のやりたいことがよくわからない」という悩みを抱えている人がとても多いことに気がつきます。しかも驚くのは、この悩みを抱えているのが必ずしも若い人だけに限らないということです。
先日も、僕より10歳以上は年上の人から、「日野さん、僕、自分がやりたいことがなんだったのか、最近全然わかんなくなっちゃったんですよ」という相談を受けました。
今の仕事がどうしても楽しいと思えない、その根本的な原因を突き詰めていくと、そもそも自分のやりたいことが何なのかよくわかっていないことに理由があるように思う──その人は、まるで知るべきではなかった真実を発見してしまったかのように、深刻な面持ちで話していました。
このように、「自分のやりたいことがわからない」のは、大学生や新卒数年目の社員だけに限った話ではありません。そういえば、僕の父親はそろそろ会社を定年退職する年齢になるのですが、定年後に何をやってよいのかわからなくて困っていました。どうやら「自分のやりたいことがわからない」という悩みは、何歳になってもつきまとうもののようです。
「自分のやりたいことは何なのか」という問いをつきつめていくと、最終的には「自分の人生の目的は何なのか」というところに行きつくことも少なくありません。
そして困ったことに、この問いに辿りついてしまうとほとんどの人は答えが出せずに、ますます頭がもやもやとしてくるものです。多くの人にとって、人生の意味を問い直すことは、袋小路に入り込む原因になります。
でも今回は、あえてこの問いに挑んでみたいと思います。とは言っても、僕は哲学者ではないので答えを示すことはできません。ただ、ちょっと視点をずらして考え方を変えてみる方法を提案してみたいと思います。
そもそも人生に意味はあるのだろうか?
いきなりスケールの大きすぎる話をしてしまい恐縮なのですが、あと50億年もすると地球は太陽に飲み込まれて消滅してしまうそうです。その頃までに人類がほかの惑星系に移住する術を見つけていれば別ですが、そうでない限り、残念ながら人類は滅亡することになります。
となると人間一人の人生なんて、どれだけ偉大な業績を残したところで、長期的に見れば何も残らないことになります。
ここまで大げさな話にしなくても、ほとんどの人間の生きた証は死後500年もすれば、誰からも参照されなくなります。歴史上の人物と言われる人たちならともかく。仮に何かを後世に残すことができたとして、そのこと自体に価値があるのかというと、それも定かではありません。
あえて強い言葉を使いますが、「結果」に着目する限り、人生にはそもそも意味なんてないのだと僕は思います。自分が生きた結果に何か意味のあるものを求めたところで、それが未来永劫価値のあるものであることはありえません。
今後も新しい世代は次々と生まれていきますし、自分のしたことは必ずその中で古くなっていきます。そしていずれ忘れられます。人類も最終的には滅亡します。悲しいけど、たぶんこれが真実なのではないでしょうか。
人生に結果だけを求めてしまうのは、食事に栄養摂取だけを求めることと同じ
もちろん、この考えに全力で抗うことで、人生に生きる意味を見出すのもアリだとは思います。たとえばイーロン・マスクのように、人類を滅亡の運命から回避するため、火星移住を本気で考えて実行に移す人生には、彼なりの意味があるように思われます。
もっとも、誰もがイーロン・マスクのように生きなければならないとも僕は思いません。人生に意味はないと認めたとしても、自己肯定感を持って生きていくことはおそらく可能です。そのためのポイントは、人生の結果ではなく「過程」に注目するという方法です。
世の中には、結果よりも過程を楽しむことのほうに重きが置かれている営みが数多くあります。たとえば、食事などはその典型でしょう。食事のもたらす結果だけに注目するならば、その目的は栄養摂取になりますが、栄養摂取だけを求めて食事をしている人は、現代社会だとおそらくほとんどいないのではないでしょうか。
むしろ食事を取る過程でその味を楽しんだり、仲間といっしょに楽しい食事の時間を過ごすことのほうに、多くの人は重きを置いているのだと思われます。「こんなの食べたところで、ほとんど栄養にはならないから意味はないよね」という態度で食事に臨んでも、虚しいだけでしょう。人生に結果だけを求めてしまうのは、食事には栄養摂取以外の意味はないと決めつけるのと同じことです。



