JALとの圧倒的な差
ANAの「窮乏」は、当時のJALと比べるとより鮮明になる。JALは純民間会社のANAとは異なる出自を持つ。半官半民の会社として1951年にスタート。政府の支援で潤沢な資金をもとに、創業当初から収益性の高い国際線事業を柱に据えた。
1967年にはDC-8ジェット機で羽田空港から東西両方向への世界一周路線を開設。同時期、ANAは新規路線として小松―札幌線にバイカウント828型機、羽田―鳥取線にフォッカーF-27フレンドシップとターボプロップのプロペラ機を就航させた程度だった。
JALはフラッグ・キャリアとして世界のエアラインの仲間入りをした頃、ANAは日本のローカル線に傾注していた。国際路線を持たないANAとの収益構造の違いは際立っていた。

国際線を飛ばしたくても飛ばせなかった
エアラインの収益の要となるのが国際線だ。しかし、ANAが国際定期路線に参入したのは1986年。JALに遅れること32年が経っていた。「45・47体制」(航空憲法)による分業を強いられ、ANAは国内幹線と一部の国内ローカル線と近距離国際線チャーターの営業しか許されていなかったからだ。
その国際線チャーター便でさえ、設立19年後の1971年にようやくスタートした。輸送人数は初年度1万2000人、一方のJALは記録のある1970年で163万人、両者の差は大人と赤ん坊以上だった。

1985年に航空憲法が廃止され、ANAは1986年3月に初の国際定期路線として成田―グアム線を就航させた。使用機材は、317人乗りのロッキードL-1011トライスター。週4便からのスタートだった。
国際線に遅れて参入したANAは、就航地での知名度の低さも大きな課題だった。
1991年3月の成田―ニューヨーク線の初就航目前。ニューヨークタイムズの紙面広告に踊った文字は「OUR NAME IS ANA!」だった。運航管理業務を担った当時のANA社員は、次のように振り返る。
「当時はまだまだ小さな航空会社で、だれもANAなんて知らなかったんです。“OUR NAME IS ANA!”……。本当に恥ずかしいけれど、最初は名前を名乗ることから始めました」
これが国際線就航初期のANAの実態だった。
統合には「もう1社エアラインを作るほどの費用がかかる」
「現在窮乏、将来有望」の言葉以上に、社員たちに定着した言葉がある。社史『大空へ二十年』によると、それは「追いつけ、追いこせ」。もちろんその対象はJALだ。「いい空は青い」(2002年)、「きたえた翼は、強い」(2010年)のように、皮肉を込めた近年のキャッチコピーにもその姿勢がうかがえる。
2020年は東京オリンピック・パラリンピックと、インバウンド4000万人計画の波に乗り、ANAは一気にJALを突き放す戦略だった。それがコロナ禍の影響で2020年第3四半期の国際旅客数は、前年同期770万人から32万人(96%減)になった。ANAは「将来有望」を勝ち取った状況から、創業当時の「現在窮乏」に逆戻りした。
しかし同時に、復活の芽もある。世界で名だたる欧米の大手エアラインがリストラを敢行する中、ANAは雇用を守り続ける選択をしたことだ。ANA本体の社員は1万4830人であり、新卒の採用抑制、定年での自然減、早期退職を行うことで社員の雇用は守られている。
ANAとJALの危機的な状況の中で両社の統合論も浮上した。しかし、これは愚策だ。たとえ両社の事業規模が半減したとしても、政府や金融機関が個別に救済し、切磋琢磨してともに這(は)い上がるべきだ。なぜなら統合した場合にはシステム、機材、整備、人材教育などすべてを平準化せねばならず、組織再編にはもう1社エアラインを作るほどの費用が必要となるからだ。
エアラインで一番コストのかかるのは航空機材だ。ANA、JALともに最大機数を保有する米ボーイング787のシリーズを例にとって説明する。両社ともに機体は同じでもエンジンが違う。ANAは74機にロールスロイスのエンジンを搭載しており、JALは46機にGE社製を使う。エンジンメーカーが違うということは、部品も全く違い、別の航空機と言っていいほどである。統合して混在することになれば、部品を2倍持たなくてはならなくなる。
経済的な視点で無駄が多くなるだけでなく、マニュアルの違いからくる乗務員の動作や手順の違いから矛盾が生じ、安全面を毀損(きそん)する可能性は大きい。
JALとJASの統合が招いた経営破綻
大が小を飲み込む合併であれば大側が主導を取れば済む話であるが、ANAとJALでは2019年度の売り上げでANAが14%高いだけの差しかない。この両社の統合となると軋轢(あつれき)が大きくなるのは目に見えている。
過去の事例を振り返るならば、JALと統合したJAS日本エアシステムの事例がふさわしい。統合前年となる2001年度の両社の売り上げはJALで1兆6000億に対しJASは4200億でしかない。JALはJASの4倍の売り上げがあり、それだけの規模の差があっても大不協和音が続き、その後、JALの破綻へと進んだきっかけの一つともなった。

両社統合の合理性はどこにも見付からない。ANAの業績を伸ばした国際線が、今のANAを苦しめている。しかし、時間とともに築き上げられた思想や価値観を共有した社員がいる。それはコロナ収束後、ANA大復活の何よりの起爆剤になるだろう。
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北島 幸司(きたじま・こうじ)
航空ジャーナリスト
大阪府出身。幼いころからの航空機ファンで、乗り鉄ならぬ「乗りヒコ」として、空旅の楽しさを発信している。海外旅行情報サイト「Risvel」で連載コラム「空旅のススメ」や機内誌の執筆、月刊航空雑誌を手がけるほか、「あびあんうぃんぐ」の名前でブログも更新中。航空ジャーナリスト協会所属。
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(航空ジャーナリスト 北島 幸司)