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- 2011年07月29日 00:00
「南シナ海行動宣言」ガイドライン合意の評価と今後の展望 - 関山健
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7月22日、中国とASEANは、南シナ海問題の平和的解決を目指す「南シナ海行動宣言」のガイドラインに基本合意した。
南シナ海では、中国海南島の南方にある西沙諸島(パラセル諸島)について、中国、台湾、ベトナムの三者が領有権を主張し、ベトナムとフィリピンの間にある南沙諸島(スプラトリー諸島)について、中国と台湾が全体の領有を主張し、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイの4カ国が一部分の領有を主張している状態だ。
中国は、特に2009年以来この海域において強硬な姿勢を示している。昨年9月11日には、同諸島周辺海域でベトナム漁船が中国当局に拿捕され、乗組員9人が拘束される事件が発生した鄯。今年に入ってからも、中国の艦船がベトナム探査船のケーブルを切断するなど、同国やフィリピンの船舶活動を妨害する事件が続発している。こうした中国の強硬姿勢に対して、ベトナムは南シナ海で実弾演習を、フィリピンはミサイルイージス艦二隻を投入した米軍との合同演習を実施するなど、緊張が高まっていた。
今般のガイドライン合意は、こうした南シナ海問題の解決に貢献するものとなるのか。本稿は、この問題の歴史的経緯と南シナ海における中国の海洋権益を踏まえてガイドライン合意を評価し、今後の展望を行う。
中国の海洋進出が積極化してきたのは1980年代以降のことである。南シナ海については、1958年9月に発布された『中華人民共和国政府の領海に関する声明』において既に東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の領有を主張し、1974年1月には当時ベトナムが領有していた西沙諸島のいくつかを実際に攻略するということはあったが、より南の南沙諸島にまで中国が進出して活発に活動するようになったのは、1980年代以降のことである。
南沙諸島海域では、1980年代に入るとともに中国の海洋調査船による海洋調査が実施されるようになり、続いて中国海軍艦隊が軍事演習を繰り返すようになって、ついに1988年には海軍艦隊が護衛するなか陸戦隊がベトナム南部海域にある6つのサンゴ礁に上陸して中華人民共和国の主権標識を建てて実効支配に乗り出した。
このサンゴ礁において当初は、漁民の避難施設という名目の簡易な建物が建造されただけであったが、数年内には鉄筋コンクリート製の恒久的軍事施設が建設されるに至ったという。
ベトナム海域の実効支配を確保した中国は、1990年代初頭にはフィリピン西方海域の海洋調査に着手し、数か所のサンゴ礁に主権標識を建て、94年末までにはフィリピンが領有権を主張しているミスチーフ礁に漁民の避難施設を名目とする建物を構築した。フィリピン政府の再三の抗議にもかかわらず、中国は、ミスチーフ礁の建物についても、その後1998年から1999年にかけて鉄筋コンクリート製の恒久的軍事施設へと改修したのである(平松2002:222-223)。
こうして南シナ海の実効支配を固めた中国は、1990年代末には懸念を深めるASEAN諸国に歩み寄るようになり、2002年11月の中国ASEAN外相会議において、係争の平和的解決などを盛り込んだ「南シナ海行動宣言」を採択するに至った。
その後中国は、周辺諸国と南シナ海の共同開発に積極的に取り組むようになり、2004年には中国海洋石油とフィリピン国家石油の共同調査が行われ、翌年にはベトナム石油ガス公社も加わって、南シナ海の海底石油・ガス資源の探索が行われた(飯田2007:155)。
ただし、「南シナ海行動宣言」は、あくまで宣言であって法的拘束力を持つものではない。このため行動宣言の中では、法的拘束力のある行動規範の合意に向けて努力することが規定されており、その合意が南シナ海問題を巡る最大の焦点なのである。
南シナ海では、中国海南島の南方にある西沙諸島(パラセル諸島)について、中国、台湾、ベトナムの三者が領有権を主張し、ベトナムとフィリピンの間にある南沙諸島(スプラトリー諸島)について、中国と台湾が全体の領有を主張し、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイの4カ国が一部分の領有を主張している状態だ。
中国は、特に2009年以来この海域において強硬な姿勢を示している。昨年9月11日には、同諸島周辺海域でベトナム漁船が中国当局に拿捕され、乗組員9人が拘束される事件が発生した鄯。今年に入ってからも、中国の艦船がベトナム探査船のケーブルを切断するなど、同国やフィリピンの船舶活動を妨害する事件が続発している。こうした中国の強硬姿勢に対して、ベトナムは南シナ海で実弾演習を、フィリピンはミサイルイージス艦二隻を投入した米軍との合同演習を実施するなど、緊張が高まっていた。
今般のガイドライン合意は、こうした南シナ海問題の解決に貢献するものとなるのか。本稿は、この問題の歴史的経緯と南シナ海における中国の海洋権益を踏まえてガイドライン合意を評価し、今後の展望を行う。
1.「南シナ海行動宣言」に至る経緯
中国の海洋進出が積極化してきたのは1980年代以降のことである。南シナ海については、1958年9月に発布された『中華人民共和国政府の領海に関する声明』において既に東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の領有を主張し、1974年1月には当時ベトナムが領有していた西沙諸島のいくつかを実際に攻略するということはあったが、より南の南沙諸島にまで中国が進出して活発に活動するようになったのは、1980年代以降のことである。
南沙諸島海域では、1980年代に入るとともに中国の海洋調査船による海洋調査が実施されるようになり、続いて中国海軍艦隊が軍事演習を繰り返すようになって、ついに1988年には海軍艦隊が護衛するなか陸戦隊がベトナム南部海域にある6つのサンゴ礁に上陸して中華人民共和国の主権標識を建てて実効支配に乗り出した。
このサンゴ礁において当初は、漁民の避難施設という名目の簡易な建物が建造されただけであったが、数年内には鉄筋コンクリート製の恒久的軍事施設が建設されるに至ったという。
ベトナム海域の実効支配を確保した中国は、1990年代初頭にはフィリピン西方海域の海洋調査に着手し、数か所のサンゴ礁に主権標識を建て、94年末までにはフィリピンが領有権を主張しているミスチーフ礁に漁民の避難施設を名目とする建物を構築した。フィリピン政府の再三の抗議にもかかわらず、中国は、ミスチーフ礁の建物についても、その後1998年から1999年にかけて鉄筋コンクリート製の恒久的軍事施設へと改修したのである(平松2002:222-223)。
こうして南シナ海の実効支配を固めた中国は、1990年代末には懸念を深めるASEAN諸国に歩み寄るようになり、2002年11月の中国ASEAN外相会議において、係争の平和的解決などを盛り込んだ「南シナ海行動宣言」を採択するに至った。
その後中国は、周辺諸国と南シナ海の共同開発に積極的に取り組むようになり、2004年には中国海洋石油とフィリピン国家石油の共同調査が行われ、翌年にはベトナム石油ガス公社も加わって、南シナ海の海底石油・ガス資源の探索が行われた(飯田2007:155)。
ただし、「南シナ海行動宣言」は、あくまで宣言であって法的拘束力を持つものではない。このため行動宣言の中では、法的拘束力のある行動規範の合意に向けて努力することが規定されており、その合意が南シナ海問題を巡る最大の焦点なのである。



