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「上陸しても次々と人が死ぬ飢餓地獄」尖閣に漂着後の“無人島生活”を生き延びた日本人の証言 尖閣諸島戦時遭難事件#2 - 早坂 隆

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「甲板は一瞬で血の海、泣き叫ぶ声で地獄絵図に」機銃掃射の尖閣沖、生き残った日本人の告白 から続く

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 漂流者たちの身体はみるみる衰弱し、重度の栄養失調に陥る者が続出。餓死者が相次いだ――。終戦直前、多くの日本の民間人を乗せた疎開船が遭難し、無人島だった尖閣諸島に流れ着いた。しかし、そこから120人を超える遭難者集団による、過酷な飢えの日々が始まった。

 尖閣諸島で起きた秘史について、昭和史を長年取材するルポライター・早坂隆氏が寄稿した。(全2回の2回め/#1を読む)

◆◆◆

いきなり始まった「無人島生活」

 尖閣諸島の沖合で米軍機の襲撃に遭った疎開民たちは、傷ついた船で尖閣諸島の魚釣島を目指した。

 石垣島の北西約170キロの位置にある尖閣諸島は、魚釣島や北小島、南小島、久場島、大正島などから構成される。

 3・8平方キロメートルほどの面積を持つ魚釣島は、その中で最大の島である。明治時代には筑後国上妻郡(現・福岡県八女市)出身の実業家である古賀辰四郎が、島内に鰹節工場を建設。船着場も設けられた。最盛期には250名ほどが暮らしていたとされる。しかし、昭和15(1940)年に事業は停止。人々は島を去った。


尖閣諸島・魚釣島の岩だらけの海岸(1979年) ©️共同通信社

島に閉じ込められ、負傷した腕からはウジが…

 それから5年後、疎開船を攻撃された漂流者たちが、無人島となっていたこの島に上陸を果たしたのである。昭和20(1945)年7月4日のことであった。

 この時に上陸した人の数は正確には不明であるが、120名以上はいたという証言が多い。

 漁師の証言通り、島内には確かに天然の湧き水があった。漂流者たちはこの湧き水によって、ようやく喉の渇きを癒すことができた。

 その後、石垣島に救助を求めに行くために、一部の者たちが友福丸に戻った。だが、直したばかりの機関が再び故障。計画は断念せざるを得なくなってしまった。友福丸はやむなく海上に放棄された。

 こうして漂流者たちは、魚釣島に閉じ込められるかたちとなった。この島で救助が来るのを待つことになったのである。

 しかし、彼らを取り巻く状況は極めて悪かった。米軍機の攻撃時に重傷を負った者も多く、傷跡にはすぐにウジが湧いた。遭難者の一人である石垣ミチはこんな話を伝える。

〈朝鮮の女の方で腕をやられ、わずか皮だけで腕がぶらさがり、その腕から湯呑み茶わんいっぱいくらいのウジがでてきました。この方は泣きながら、ぶらさがっている腕を切ってくれと嘆願して、どうにもならないのでカミソリで切ってやりました〉(『沖縄県史 第10巻』)

次々と人が死んでいく「飢餓地獄」

 漂流者たちは島内に群生するクバ(ビロウ)などを重ねて屋根代わりにし、その下で暮らした。

 漂流者たちの主食となったのも、このクバの茎や若葉であった。当初は船内にあった米や味噌、各自の携行食などを集め、共同で炊事をして分け合いながら食べていた。しかし、少ない具の量を巡って、諍いが起きることもあった。その後、それらの食糧が尽きると、各自で食べ物を調達するようになったのである。

 漂流者たちはクバの茎をそのまま生で食べたり、水煮にしたりした。その他、サフナ(長命草)やミズナ(ニンブトゥカー)なども口にしてなんとか飢えを凌いだ。漁のできる技術や体力のある者は魚や貝、海藻などを採集した。ヤドカリやトカゲを捕まえて食べる者もいた。岩の窪みに溜まったわずかな塩を集めて舐めた。

 それでも食糧はまったく足りなかった。一部には、食糧を独り占めしようとしたり、他人の分を盗み取ろうとする者も出た。5人の子どもを連れた母親だった花木芳は、島での体験をこう記す。

〈そのうちに食べものも無くなり、栄養失調になって動けなくなってからは、顔も体もよごれ放題、青ぶくれしてお腹も腫れて、このまま死んで行くのではないかと思っていた。

 島で一番初めに亡くなったのは、離れに住んでいたンミ(婆さん)だった。くばの葉の下に、手を組んで膝を抱いて座るようにしていらっしゃるので、「ご飯ですよう」と声をかけても聞きなさらないから、「婆ちゃんを呼んでおいで」と子どもをよこしたら、「あのばあさん、死んでいるよ」と子どもにいわれて初めて知った〉(『市民の戦時・戦後体験記録 第二集』)

毒のある豆を食べて中毒死する人も…

 毒のある豆を食べた者が中毒死する事件も起きた。当時、10歳だった石垣正子は、次のように回顧している。

〈ある日、キヌ姉が山の向こう側の浜に豆が生えていると言うので、二人で豆を取りに行きました。それは丸っこい葉で蔓がそこらいっぱいにのびて、空豆に似た豆がいっぱい生えていました。その豆を煮て食べたら吐いたり下したりで、キヌ姉は祖母にさんざん叱られ、キヌ姉はどうしてこんなになるまで食べるのと私を怒り、大変な事になりました。この毒豆で死んだ幼子もありました〉(『沈黙の叫び』)

 このような毒豆を食わずとも、重い下痢に悩まされる者が多かった。こうして漂流者たちの身体は、みるみる衰弱していった。重度の栄養失調に陥る者が続出し、餓死者が相次いだ。当時、17歳だった屋部兼久は次のように証言する。

〈上陸してからも毎日毎日、人が死んで行きました。弱った老人がたおれ、負傷した人、子供の順で死んで行くのです。埋葬しようにも硬い岩根の島で、穴が掘れないのです。離れた所に石をつみ上げてとむらいました〉(『沖縄県史 第10巻』)

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