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日本のイデオクラシー

 ローマ時代の法諺に「事実の無知は弁疏となるが、法の無知は弁疏とならず」というものがある。ある事実を知らなかったというのは罪を逃れる言い訳になるが、その行為を罰する法律があることを知らずにその行為をなしたものは罪を逃れることができないという意味である。

 国会での大臣や役人たちの答弁を聴いていると、彼らがこの法諺を熟知していることわかる。国民に疑念を抱かせるような行為について「あった」と言えば責任を取らなければならない。「なかった」と言えば、後から「あった」という事実が判明すると虚偽答弁になる。そこで、窮余の一策として彼らが採択したのが「国民に疑念を抱かせるような行為があったかなかったかについての記憶がない」という「事実の無知」による弁疏であった。事実の無知については、これを処罰することができないから、これは遁辞としては有効である。

 けれども、政治家や官僚がかかる弁疏を繰り返した場合には「重大な事実について頻繁に記憶が欠如するような人間が果たして国政の要路にあってよろしいのか」という懸念が生じることは避けがたい。

 その懸念をどうやって解消するか? 

 この懸念を退けるロジックは一つしかない。それは「知的に不調であることは政治家や官僚の職務遂行上の欠格条件ではない」というルールを政府が公認することである。

 いや、改めて公認するまでもなく、わが国はだいぶ前からこの新ルールを採用していた。記憶がしばしば欠損する、論理的にものが考えられない、事前に告知された質問にしか回答できない、不都合な質問についてはつねに回答を差し控える・・・といった知的無能は今では公人である上での特段の支障とは見なされていない。それどころか、おのれの立場を危うくしかねない質問には一切回答しないで正面突破するというふるまいそのものが「権力」及び「権力に対する忠誠心」の記号として高く評価されさえする。

 知的無能が指導者の資質として肯定的に評価されるような統治システムのことを「イディオクラシー」と呼ぶ。「愚者支配」である。デモクラシーが過激化したときに出現する変異種である。

 フランスの青年貴族トクヴィルは二百年前にアンドリュー・ジャクソン米大統領に面会した後、その印象をこう記している。「ジャクソン将軍は米国人が彼らの統領に二度選んだ人物だが、性格は粗暴、能力は凡庸、その全経歴を閲しても、自由な人民を統治するために必須の資質を有していることを証明するものは何もない。」(『米国における民主制』)

 ではなぜ人民は彼を統治者に選んだのか? それは支配される人民と知性・徳性において同程度である支配者の方が「害が少ない」と考えたからである。凡庸な統治者は人民と対立してまで貫き通したい政治的信念を持っていないし、貫く実力もない。

「もし統治者と民衆の利害が異なった場合、統治者が有徳であることは無意味であり、有能であることはむしろ有害になるであろう。」そうトクヴィルは論じた。なるほど一つの見識である。たしかに19世紀はじめの米国では、凡庸な統治者といえども、民衆の利害が何であるかを理解する程度の知性は備えていたからである。

 その意味では、今の日本はもうデモクラシーとは呼べない状態になっているのではないか統治者の無能と無知のレベルが限界を超えて、統治者自身、もはや民衆の利害が何であるかがわからなくなっているからである。しかたがないので、とりあえず自分と縁故者の利害だけを専一的に図るだけで日々を過ごすようになった。「イディオクラシー」とはそのことである。

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