なんだか、切ない気持ちになった。
3月27日、世界フィギュア選手権の男子フリーが終わった。羽生結弦が本来の力を出し切ることができず、3位に終わったあとのことだ。
優勝したのはネイサン・チェン(アメリカ)で、これで世界選手権3連覇。2位には鍵山優真という世界選手権初出場の17歳の新鋭が入り、羽生は彼らに次ぐ3位。
大会が終わって、あれこれニュースを観たり、羽生のコメントを読んだり、日付が変わってしばらく時間が経って、なぜだか切なくなったのだ。

羽生結弦 ©GettyImages
誰よりも勝負にこだわる羽生が…
あれこれ考えていたら、切なさの理由が彼の姿勢と周囲の扱いのギャップにあることに気づいた。
羽生本人が大会が始まる前に発したコメントや、大会後の振り返りを改めて見返すと、優勝を目指すとか、勝ちたいとか、勝負にこだわる言葉があまり見られなかった。というよりも、ほぼゼロだったと言っていいだろう。
羽生は元来、誰よりも勝敗にこだわる選手だ。その羽生が勝負に言及しない。おそらくその理由は、自分の状態が万全ではないことを誰よりもわかっていたからだろう。
コロナ禍の影響で本来の拠点であるカナダ・トロントでの練習ができず、今シーズンの羽生は地元の仙台で練習に励んでいた。
それだけでも影響は甚大だが、さらに仙台は今年に入って大きな地震が続いている。2月の福島県沖を震源地とする地震でリンクが一時閉鎖になり、出発を直前に控えた3月20日にも宮城県沖を震源地とする地震があり、羽生は、世界選手権の会場であるスウェーデンまでの交通ルートを変更しなければいけなくなった。
トップスケーターの中には、予定していた練習が1日なくなるだけでパフォーマンスに影響する、という人もいる。羽生は、2度の地震の影響をどう考えていたのだろう。
加えて体調面も万全ではないように見えた。フリーの演技を控えてリンクサイドに座った羽生は、テレビの画面越しでも汗をかいていることがはっきり分かった。何か不調を抱えているのだろうかと思っていたら、大会後にぜんそくの発作が出ていたという報道が出て納得した。
そして結果は3位。優勝はおろか、日本勢でも2番手に甘んじた。羽生の性格を考えれば悔しがっても不思議ではないが、大会後の様子は意外に冷静で、前向きな雰囲気さえ感じられた。
言い訳をするでもなく、結果を受け止めて今後の課題にも言及した。喘息の話も自分からしたわけではなく、メディアの質問に答える形で控えめに話しただけだ。
羽生を「絶対王者」だと思っているのは誰か
しかし、羽生に対して厳しい視線を向ける人たちが想像以上に多く現れたので驚いた。
「いやあ、またネイサンに負けましたね。この先も厳しいですね。本人も悔しいでしょうね。負けたって認めたくないでしょうね」
フィギュアスケートもある程度見るスポーツ記者からは、そんな連絡が来た。「惨敗」という見出しの記事も散見された。冷静な本人と、敗戦を大きく扱うファンやメディア。その差はおそらく、羽生の現状に対する認識のギャップからくるものだ。
平昌オリンピックで2大会連続金メダルを取ったあとに、羽生は「自分は絶対王者じゃない」という意味の発言をしたことがある。
オリンピック2連覇こそしたものの、羽生はずっと世界のトップだったわけではない。2015年と2016年には、カナダで一緒に練習していたハビエル・フェルナンデス(スペイン)に世界選手権で2年連続で敗れている。
グランプリシリーズのカナダ大会で優勝したのも、4度目の出場だった2019年が初めてだ。ソチオリンピックで金メダルを取った2014年以降、羽生が「絶対王者」だった時期などないのだ。羽生のコアなファンやずっと追いかけている記者はそれを分かっている。しかし一般的な認識としては、羽生には2014年以降「絶対王者」という看板がついて回った。だからこそ優勝を逃したことがニュースになり、日本人選手に負ければ「衰えた」と騒がれるのだ。
とりわけネイサン・チェンについては、羽生自身が何度もその強さを認める発言をしてきた。自分が万全の状態で、やっと互角の勝負ができる相手。そんな拮抗した力関係であることを本人は承知している。
しかし「絶対王者」のイメージに引っ張られれば、「ネイサン・チェンにまた負けたのか。羽生も終わりだな」という感想を持つ人も出てくる。
羽生にアンチがいるのは事実だ。逆に、勝ってほしい、優勝してほしいと期待するからこそ敗戦に落胆する人もいるのだろう。どちらにせよ、彼らの認識は本人のそれとはずれていると言わざるをえない。
そもそも、なぜ世界選手権に?
そもそも今シーズンの羽生の発言を振り返れば、世界選手権に出場しない可能性さえあった。グランプリシリーズ欠場を発表したのも、持病を抱える体調と無関係ではなかっただろう。
それでも羽生が世界選手権に出場したのは、この大会の成績で2022年の北京オリンピックの日本の出場枠が決まることも大きかったのではないか。日本のエースという責任を感じていた可能性はある。
そして実際、日本は2位の鍵山と3位の羽生とで、オリンピックで最大の3枠を確保した。
世界選手権が終われば、また次のシーズンが近づいてくる。羽生はネイサンや鍵山と、そして自分との戦いを見せてくれるのだろう。しかし優勝できなければ、また色々な声があがるのだろう。宿命かもしれないが、そう考えると切なくなる。
(小野 歩/Webオリジナル(特集班))