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不可視の被ばく者たち アメリカ国内の核被害と「語り」の抑圧――『なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識』(岩波書店) - 宮本ゆき(著者)

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2021年1月22日、国連の核兵器禁止条約が発効されました。この条約は、核実験はもちろんのこと、核兵器使用の威嚇を含め禁止したもので、核により様々な被害を被った人々や環境回復への支援をも念頭においた、画期的な条約と言えましょう。

残念ながら日本、そしてアメリカも、この条約に批准していません。アメリカ国内でもこの条約を歓迎する人は少なからずいましたが、主要新聞の一面を飾ることはなく、2日前に就任式を終えたバイデン新政権の話題でもちきりでした。しかしこのことは、「核により様々な被害を被った人々や環境回復」の問題に、アメリカ国内が無縁だということを意味しません。

最大で約3万もの核兵器を保持していたアメリカは、自国とその統治領域で千回以上核実験を行っており、国内にも多くの被ばく者がいます【注1】。また、約4千の国内ウラン鉱山(現在は3鉱山のみ稼働)や核施設・研究所でも汚染が発生し、作業員だけでなく近隣の地域住民の被ばくが現在も続いています。そして、こうした実情はアメリカ国内でもさほど知られていないのです。

例えば、マンハッタン計画の一環で広島原爆のウランを精製したミズーリ州セント・ルイスでは、杜撰に管理されていたウラン精製による放射性廃棄物が、近隣のコールド・ウォーター・クリークに流れ出ました。このクリーク(小川)はよく氾濫することで知られており、1960~1970年代には、地元にあるボーイング社の拡張に伴い、ベッドタウン化していた郊外の家々に汚染水が浸水していたことも分かっています。

また、地域のゴミ埋立地(Bridgeton Landfill)はゴミから出るガスで地下火災を引き起こしており、隣接する放射性廃棄物の埋立地(West Lake Landfill)に到達すれば放射性廃棄物の拡散をもたらしかねない状況にあります。

この地では、癌の多発や子どもの健康被害により立ち上がった母親たちを中心に、幾つかのグループが除染を求めて活動しています。活動を始めた2010年代当初は、「保険に入れなくなる」「地価が下がる」と厳しいバッシングにあったものの、問題意識は徐々に広がり、2021年1月28日にはセント・ルイスの民主党下院議員コリ―・ブッシュがマサチューセッツ州の上院議員エド・マーキーと共に、こうした環境汚染に対する大規模な研究に予算を計上するための法案を提出しました【注2】

この法案は包括的なもので、「環境」を大気汚染や放射能汚染といった物質汚染に限定せず、新鮮な食料品を買える店が地域になく「食の砂漠」と形容される住環境や警察による暴行をも含めています。汚染に苦しむ人々が見過ごされ、不可視化された状況にも焦点を当てようとしているわけです。

ブッシュ議員は記者会見で上記の埋立地やコールド・ウォーター・クリークなどの名前をあげて、放射性廃棄物に加え、その影響も研究対象であることを明言し、「環境問題における正義は、人種問題における正義だ」とはっきり言っています。人種問題が同時に経済格差の問題でもある社会では、政治活動に参加する時間的余裕や金銭的余裕のない人たちは政治力を持てず、声をあげる機会もないために、様々な被害が表沙汰になりにくいのです。

顕著な例としては、ニューメキシコ州のチャーチロックの事件でしょう。奇しくも同州アラモゴルドで史上最初の核実験が行われたちょうど34年後、1979年7月16日にチャーチロックにあるウランの鉱滓ダムが決壊し、1100トンの精製ウランとその他有害物質がプエルコ川に流れ込むという事故が起こりました(なお、同年にはスリー・マイル島原発事故が起こっています)。これは放射能汚染事故としては最大のものでありながら、近年までアメリカ国内でも十分知られていませんでした。

それは、居住者の98%がディネと呼ばれるナバホ領の住民であることと関連しています。彼らは経済的基盤が脆弱なのに加え、約6割の家庭でナバホ語が主要言語です(2000年時点の調べ。またスペイン語話者も多い。2019年の調べではナバホ語のみを話す家庭は32%【注3】)。公的書類や交渉は英語になるため、被害を自分たちの言葉で訴える機会が奪われている、と言えます【注4】

ほかの例も挙げましょう。長崎原爆のプルトニウムを製造したハンフォード核施設のベッドタウンは、日本の原発立地地域のように、現在まで核産業に経済的に依拠しています。住民の多くの雇用先がハンフォード核施設であるか、雇用者住民のためのサービス業(ホテル、レストラン)などであり、核産業につらなって生計を立てているがゆえに健康被害を言い出せません。

こうした産業構造に加え、人種の問題も重なります。アフリカ系アメリカ人の作業員も多く働いていますが、人種により居住地域が分かれていることもあり、彼らの健康被害は白人作業員の健康被害より更に不可視化されています。このように人種、環境、そして核の問題は密接に関わりながら、被害の声が出せない状況が続いているのです。

とはいえ、人種問題と核の問題を一律に、同じ「被害者」の視点から扱うということの難しさもあります。第二次世界大戦後、広島・長崎への原爆投下を正当化する声がアメリカ国内で85%にも上っていた時、アフリカ系アメリカ人のコミュニティーでは、原爆投下について二つの異なる流れがありました。

一つは、一大国家プロジェクトであるマンハッタン計画にアフリカ系アメリカ人が参加しており、その三大拠点の一つテネシー州オークリッジ国立研究所では7千人のアフリカ系アメリカ人が働いていたことなどから、自分たちが原爆開発に寄与したことを誇りに思う流れです。もう一つは、原爆開発がベルギー領コンゴ(当時)からのウランで可能となったものであり、西洋列強の植民地政策を抜きにしては考えられないことから、原爆投下を「人種差別」として否定的に見る流れでした。

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