記事

執筆を他人に任せた『バカの壁』は、なぜ養老孟司の最大のヒット作になったか

1/2

なぜ『バカの壁』(新潮新書、2003年)は400万部を超える大ヒットになったのか。養老孟司氏の助手であった解剖学者の布施英利氏は「『バカの壁』では、執筆を編集者にまかせるという実験的な手法を取り入れていた。あえてひとに任せることで、“自分の壁”を超えたのだろう」という——。

※本稿は、布施英利『養老孟司入門』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

インタビューに答える解剖学者の養老孟司さん=2016年3月3日、神奈川県箱根町インタビューに答える解剖学者の養老孟司さん=2016年3月3日、神奈川県箱根町 - 写真=時事通信フォト

「この本は私にとって一種の実験なのです」

『バカの壁』の冒頭のページに、いきなりこんなことが書かれる。

「いってみれば、この本は私にとって一種の実験なのです。」(『バカの壁』、3ページ)

いったい、どんな実験がされるというのか。それは本の作り方、文章の書き方に関する実験なのだが、ともあれ、他の本とは作られ方が違う。この『養老孟司入門』では、養老孟司の著作の中で「書き下ろし」で書かれた本を取り上げる、という方法を取っている。

それは、かつて養老先生が『形を読む』を書き上げたとき、先生が口にした「やっぱり、書き下ろしの本は良いな」という言葉が強く記憶に残っており、そんな視点で先生の書き下ろしと他の著作を読み比べてみることにしたのだ。書き下ろしの本には、ひとつの「小宇宙」ともいうべき、体系だった秩序と世界観でまとめあげられた思考がある。

しかし二冊だけ、つまり第二章の『唯脳論』と、この第五章で取り上げる『バカの壁』だけは、別の重要さから選ぶことになった。つまりこの二冊は、書き下ろしではないが、特色ある主張があり、やはり養老孟司を論じるに当たって外せない、と考えたからだ。

とくに『バカの壁』は、養老の著作の中でも桁違いのベストセラーになった。なんといっても代表作だ。しかしそれだけでない。この本には、その作り方に一つの「実験」とも呼べるやり方があって、それもまた重要なことなのだ。

その実験とは、なにか?

文章を“視覚的”に伝える

養老は、この本を作るにあたって、文章を書かなかったのだ。政治家や実業家が、仕事の忙しさから、ライターに口述して本を作る、というやり方は、よくみられることだ。

『バカの壁』も、簡単にいえば、そうやって作られた。それは養老が多忙だから(たしかに多忙ではあるが)とか、文章を書くのが面倒だから、という理由からだけではない。養老自身が「実験」と呼ぶように、ここには、本を書くということへの、養老なりの新しい試みともいえる姿勢があったのだ。

養老孟司は名文家だ。明快に、独自の思考を伝える文章力を持っている。だから、他人つまりライターに書いてもらうより、養老自身が文章を書いた方が、より養老らしい味が出る。しかし、そういう本は、ずいぶん書いてきた。書き下ろしの本はもちろんだし、雑誌に書いた短文を集めた本でも、養老のウイットに富んだ文章は、われわれを堪能させてくれた。

だから、このあたりで、一つの「実験」をしようと、養老は考えた(あるいはそのような編集部の提案を受け入れた)。

その実験とは、話した内容を編集者に文章にまとめてもらうことだった。長年の付き合いのあるベテラン編集者がその提案をしてきた。その際、文章のまとめ役として連れてきたのが写真週刊誌の編集に長く携わってきた編集者である。

文書を書くビジネスマン※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bignai

「バカの壁」は口癖だった

写真週刊誌というのは、文章でなく写真で伝える、というビジュアルな言語の手法を磨き上げたものだ。養老先生はのちに、自らやってきた解剖図に説明を加える作業と、写真に文章を添え、膨大な数の読者に訴える写真週刊誌の記事の作り方は似ていたと言っていた。「実験」とはその技術に賭けてみよう、というものだった。

『バカの壁』の原稿ができた頃、鎌倉の養老先生のご自宅に遊びに行ったことがあった。ちょうど新潮社の編集部の人が二人、やって来ていて、新しい本のゲラを届けに打ち合わせをするという。そのゲラを横目で見ながら、タイトルのところに「バカの壁」とあるのを目にした。

養老先生は、10年以上前から「バカの壁」という言葉を口にしていた。

研究室の机の上に、馬の骨と鹿の骨を並べて、「これが馬鹿の骨だ」と冗談を口にしたりもしていた。自分はそのとき、「あのバカの壁をタイトルにした本ができるのですね」と言っただけで、それ以上のことは言わなかった。思わなかった。

見る人が見たら、そのゲラに「オーラ」を感じたかもしれない。しかし不覚にも、自分は、「また養老先生の新しい本が出るんだ」と思っただけだった。見る目がない。

それから本が発売になって1週間ほど経って、新潮社の編集者の人から、「『バカの壁』がとんでもない売れ方をしている。新潮社でも、これまでなかったことです!」とメールが来た。発売1週間で、そんな状態だった。読者も、その本の存在に何かを感じたのだろう。ベストセラーというのは、そんな感じで世に出ていくものなのかと知った。『バカの壁』は、それから400万部を超えて、日本の戦後を代表するミリオンセラーとなった。

あわせて読みたい

「養老孟司」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    「大規模会場予約 67% 空き」はお役所仕事の想像力欠如 ~ なぜ「高齢者」に拘り続けるのか

    近藤駿介

    06月14日 14:19

  2. 2

    オリジナルを常に超越してくる 愛すべきガーナの手描き映画ポスターの世界

    木下拓海

    06月14日 11:34

  3. 3

    歳を取ると「厄介な人」になりがちな理由

    内藤忍

    06月14日 10:57

  4. 4

    「ディズニーランドのついでに予約」女性向け風俗の利用者が爆増しているワケ

    PRESIDENT Online

    06月14日 15:30

  5. 5

    チュートリアル、友近…ギャラ100万円芸人がリストラ危機なワケ

    女性自身

    06月14日 12:27

  6. 6

    五輪強行開催 コーツが来たりて大量虐殺の笛を吹く

    田中龍作

    06月15日 08:39

  7. 7

    東大・京大も志願者減で止まらぬ「国公立離れ」 その最大の要因は何か

    NEWSポストセブン

    06月14日 08:38

  8. 8

    田中みな実、長澤まさみ問題で考える マネージャーの劣化か時代の変化か

    NEWSポストセブン

    06月15日 08:58

  9. 9

    LGBT、夫婦別姓…“憲法改正”は令和に必要か? 憲法学者「最高裁や国民がしっかりしないといけない」

    ABEMA TIMES

    06月14日 09:28

  10. 10

    ワクチン接種は医療者として当然必要な条件 個人の自由を制限するのはダメなのか

    中村ゆきつぐ

    06月15日 08:23

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。