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動物のもつ倫理的な重み - 久保田さゆり×吉永明弘

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シリーズ「環境倫理学のフロンティア」では、環境倫理学の隣接分野の研究者との対話を行います。今回は「環境倫理×動物倫理」として、若手の動物倫理の研究者である久保田さゆりさんと対話を行います。久保田さんは、「動物にたいする倫理的配慮と動物理解」や、「動物にたいする不必要な危害と工場畜産」によって、地に足のついた動物倫理の考え方を多くの人が納得できる形で提示しています。今回は、そこで展開されている議論をふまえて、動物倫理の最新の研究内容と、そのなかでの久保田さんの立ち位置についてお聞きします。

環境倫理学と動物倫理の関係

吉永 最初に環境倫理と動物倫理の関係を簡単におさらいします。1970年代にアメリカに登場した環境倫理学のなかで、ピーター・シンガーの「動物の解放」やトム・レーガンの「動物の権利」の議論が紹介され、人間以外の生きものを倫理の中心にすえる「人間非中心主義」の一つの代表として位置づけられた。シンガーやレーガンが、個々の動物に焦点を当てたのに対して、キャリコットが、アルド・レオポルドの「土地倫理」を模範として、つまり生態系全体を中心にして環境倫理は構築されるべきだと主張した。その後、環境倫理学のなかではキャリコットの主張が優勢になり、動物の個体に焦点を当てる議論は動物倫理として独立した、と整理できると思います。これはあくまで環境倫理学の側からの理解ですが、このまとめについてどう思いますか。

久保田 整理してくださったとおり、環境倫理と動物倫理は、人間だけを考慮の対象にするのではない倫理のあり方を探究する、という点で問題意識を共有していると言えます。他方で、動物倫理のひとつの重要な特徴として、苦痛を感じたり喜んだりといった経験をする個々の存在が、それゆえ倫理的に配慮されるべきである、と考える点を挙げることができると思います。たとえば、18~19世紀の哲学者、ジェレミー・ベンサムは、「問題は、かれらが苦しむことができるかなのである」と論じ、動物の苦痛が考慮されるべきだと主張しています。ご指摘のように、動物倫理は、個々の存在にたいする行為や制度を問題にする、個体主義的な考え方に基づいていると言えます。

動物倫理の主流の議論は、実際のところ、人間をめぐる倫理と根本的には同じ発想に基づいています。多くの場合、動物倫理の議論においてまず強調されるのは、(少なくとも一部の)動物と、配慮されるべき存在としてすでに認められている人間との間に、倫理的に重要な点で(つまり、苦痛を感じたり喜んだりするといった点で)類似性がある、という指摘です。そしてそのことから、(少なくとも一部の)動物は倫理的な重みをもつ存在だということが論じられます。このように、動物倫理の議論は、人間の倫理的な位置づけを根本的に変える試みというよりも、人間をめぐる倫理に基礎を置きながら、その発想を人間以外の存在に広げていく可能性を探究する試みであるとも言えます。その意味では、環境倫理と動物倫理は、そもそも異なる発想から生じていると考えることもできるかもしれません。

動物倫理の最近の動向

吉永 ここで最近の動物倫理の議論をご紹介いただければと思います。日本ではシンガーの議論ばかりが紹介されていますが、最近ではフランシオンやキムリッカなどの新しい議論がありますよね。

久保田 そうですね、動物倫理の議論はこの数十年の間に著しく発展していて、さまざまな議論が展開されるようになってきています。もちろん、ピーター・シンガーの議論は、功利主義という、倫理学における主要な倫理理論に基づくものであるため、その重要性は今も変わっていません。これは、義務論という倫理理論に基づいて動物倫理の議論を展開したトム・レーガンの議論も同様です。

シンガーやレーガンの議論は、すでに人間をめぐって確立している倫理理論が、動物にも適用されると論じるものです。この流れは、功利主義や義務論以外の倫理学的立場にも広がり、たとえば徳倫理やケアの倫理に基づいて動物への配慮について論じる議論も展開されるようになっています。徳倫理学者であるロザリンド・ハーストハウスは、「その特定の状況において、有徳な行為者がするように行為せよ(悪徳として評価されるような行為を避けよ)」という徳倫理の行為規則は、その行為の対象が動物であっても同様に適用されると論じます。不必要に動物を害するような行為は「残酷」であり、避けるべきだ、といった形です。ケアの倫理に基づく議論としては、たとえば、ローリー・グルーエンが、Entangled Empathy:An Alternative Ethics for Our Relationships with Animalsのなかで、ケアの基盤となる「共感」を動物にまで広げる可能性について論じています。

一方、人間をめぐる倫理理論の応用というアプローチをとらない立場も登場しています。もちろん、痛みや喜びといった要素が重要であることは変わりませんが、人間同士のものであることを前提として確立してきた倫理理論をそのまま動物にあてはめるのではなく、人間社会との関わりで多様なあり方をしている動物の現状を反映できる枠組みを構築しようという試みもなされています。スー・ドナルドソンとウィル・キムリッカの『人と動物の政治共同体――「動物の権利」の政治理論』(尚学社)では、たとえば、畜産動物や伴侶動物などの家畜動物を、「市民権」をもつ存在とみなし、野生動物を、共同体を形成する主権をもつ存在とみなすべきだと主張されています。功利主義や義務論や権利論に基づく議論では、どの動物も、快苦を感じる能力などに違いがない以上、等しく扱われるべきだと考えられることになります。しかし、動物は、長い年月にわたる人間との関係のなかで、その関係の濃淡に応じて、生き方を大きく変えています。こうした側面を考慮した「関係的アプローチ」の重要性も注目されています。

動物には権利がある?

吉永 久保田さんの「不必要な危害」に関する論考を拝読しました。「功利主義や権利論といった特定の理論的枠組みに依拠するのではなく、……『不必要な危害を加えるべきではない』という、より一般的に受けいれられている原理に基づいて工場畜産について論じようとする立場」を紹介して、近年の化粧品開発において動物実験をやめている理由は、この「不必要な危害を加えるべきではない」という点にある、という説明は非常に納得できるものでした。もちろん、「不必要」とは何かという問題は残りますし、論考の後半ではそこが論じられています。むしろ私は、その前段に書かれている、「動物に不必要な危害を加えるべきではない」と主張するためには、動物の権利といった「広く受けいれられているとは言いがたい概念に訴えたり、そうした権利を証明したりする必要はない」という主張に興味を引かれます。古い議論しか知らない人にとっては斬新な印象を受けます。これは近年の動物倫理のなかで共有されている立場ですか、それとも独特の立場なのでしょうか。

久保田 まだ一般的になっているわけではありませんが、近年になって、たとえば、ツァヒ・ザミールのEthics and the Beast : A Speciesist Argument for Animal Liberation(2007)や、マーク・ ローランズの Animal Rights: All That Matters(2013)などにおいて、「最小主義(minimalism)」と呼べるようなアプローチが検討されはじめています。私自身の立場も、この流れのなかに位置づけられるかと思います。初めにもお話ししたとおり、動物倫理の多くの議論では、動物が苦痛や喜びを感じる能力をもつ存在であることが出発点に据えられています。そして苦痛や喜びといった要素は、倫理的配慮の対象や方法について考える際の、最も基礎的で重要な要素のひとつだと言えます。最小主義的なアプローチは、すでに一定の重要性が認められているこうした要素から倫理的主張を導くことを目指す点で、理論的枠組み自体の正当化をも求められる、理論ベースのアプローチとは異なっています。

「動物には権利がある」という主張は、確かに大きなインパクトをもちます。現状において動物が理解されている仕方とは劇的に異なる概念に訴えることで、私たちの動物理解に揺さぶりをかけ、考え直す必要性に思い至らせることができるかもしれません。他方で、私たちの理解との大きな隔たりは、不信や反発を生む可能性もあります。特に動物倫理の議論の多くは、肉食などの利益を享受している私たちの生活を大きく変えることを求めるものであり、それだけに、そもそも受けいれがたいものと見なされやすいのではないかと思います。

私自身は、権利という、強力で普遍的な概念によって動物をめぐる多様な問題について考えること自体が適切であるかどうか慎重に検討する必要があると考えています。そして同時に、動物倫理という営み自体が、受けいれがたいと理解されかねない現状のなかで、不信や反発を招きがちな概念に訴えることにも慎重であろうとしています。こうしたことから、苦痛や喜びという、動物がそれをもつと示すことが比較的容易であり、倫理的な重要性も認められている要素に訴える議論によって、どこまで論じることができるかを検討していきたいと考えています。

アニマルウェルフェアで十分なのか

吉永 『現代思想』2019年9月号に掲載された論考「動物の倫理的取り扱いと動物理解」もそうですが、久保田さんの論述は、倫理学説に依拠するのではなく、普通の人の日常的な道徳感覚に訴えるところがあります。また、議論の説得力と受け入れやすさを重視している点が目を引きます。環境倫理のなかの「環境プラグマティズム」の議論に非常に近いものを感じます。例えば、環境プラグマティストは「人間非中心主義」や自然の「内在的価値」を唱えるのではなく、「弱い人間中心主義」とか「収束仮説」という言葉で、自然の保全と人間の利益を調和させようとしています。簡単に言えば、短期的な人間の利害にとらわれずに自然を守ることは長期的には人間の利益になる、という主張です。保全生態学における「生態系サービス」と同様に、多くの人が議論に加わることができる舞台を設定しているという面があります。

そこで、動物倫理のなかでそのような舞台は何なのだろうと考えたときに、それは「アニマルウェルフェア」という言葉ではないかと思います。シノドスでもアニマルライツセンター代表理事の岡田千尋さんが記事を書いています(https://synodos.jp/society/23593)。私はこれを読んで、現在の工場畜産の現状には問題があり、「アニマルウェルフェア畜産への転向」すべきという主張にすぐに納得できました。アニマルウェルフェアというのは、さまざまな立場の人が納得できる考え方ではないでしょうか。

他方で、ゲイリー・L・フランシオンのように、アニマルウェルフェアでは不十分で、動物の搾取は廃絶されなければならないという主張があります。これはレーガンの「動物の権利」論を厳格に継承している立場のように思えます。ただ、これだと理論的には乗馬とか盲導犬なども全部アウトになりますよね。しかし、アニマルウェルフェアすら十分でないのに、もっと強い変革論を唱えるのは現実的ではないように思えますが、これについてどうお考えですか。

久保田 確かにご指摘のとおり、フランシオンのように権利概念に訴える厳格な立場では、動物を利用することがそれ自体として許容されず、たとえば動物をペットとして飼育することも含め、さまざまな制度や実践が不正であると論じられることになります。こうした議論は、動物を権利概念によって一律にとらえるもので、先に「関係的アプローチ」をめぐってお話ししたように、動物の多様なあり方を反映していない点で現実的ではないと指摘されることもあります。

他方で、アニマルウェルフェアでは不十分だ、という指摘にももっともなところがあります。特に畜産業をめぐって一般的にアニマルウェルフェア論と呼ばれる立場では、動物を「殺す」ということ自体の倫理的問題が論じられない傾向にあります。つまり、動物を殺して食べる、ということは前提として据え置かれており、そのうえで、その「生きている間の」生についてはよりよくすべきだ、という発想なのです。ここでは、動物の苦痛は考慮されていますが、動物の生が、その苦しみも喜びも含め、その生のかなり早い段階で奪われることについては考えられていません。

死の危害という問題は、人間の死も含めて、一筋縄ではいかない複雑な問題であると言えますが、それだけに、無視してよい問題でもないはずです。また、動物を殺して食べるということが前提されていることは、動物の被るさまざまな危害が、そのために「必要」だとみなされることにもつながります。フランシオンの指摘するように、こうした問題があるにもかかわらず、アニマルウェルフェアに配慮している、ということが、それだけで消費者を満足させ、問題を見えなくさせるという可能性もあります。

私自身は、動物の福利(ウェルフェア)に依拠する立場が、それ自体として、動物の死について考えない態度や、現状の危害を必要なものとみなす態度に必ず結びつくというわけではないと考えています。拙論「動物の権利と福祉――哲学的議論の役割と法的議論」で論じていることなのですが、動物の福利について、真剣に一貫性をもって考えることは、動物のよき生を尊重することにつながり、動物の苦痛がもつ倫理的な重みを、現状よりもずっと重く理解することにつながると考えられるからです。現状のアニマルウェルフェア論は、実際のところ、動物倫理の観点からは不十分であると言えそうです。しかし、ウェルフェア論をもっと徹底したものへと展開していけば、私たちの日常的な動物理解や倫理理解とうまく合致した形で、動物の現状を変えていけるのではないかと考えています。

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