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朝鮮半島有事と在韓邦人保護問題――日本政府は自国民を救えるのか - 松浦正伸 / 朝鮮半島の外交・安全保障論

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1.朝鮮半島有事における日本人保護問題

短期訪問や長期滞在を含めると、韓国には、常時8万人を超す邦人がいる。だが、ひとたび朝鮮半島で有事が起これば、そこにいる大半の在韓邦人は、戦火にさらされ、見捨てられるだろう。こう考えるには理由がある。

2017年、朝鮮半島では北朝鮮による核実験と長距離弾道ミサイル(Intercontinental Ballistic Missile, ICBM)発射実験を受けて、米朝による軍事衝突の懸念が急速に広がった。筆者は当時、調査や研修のため、北朝鮮の首都・平壌やワシントンD.C.を相次いで訪れ、軍事的緊張の高まりを肌で感じていた。

後年明らかになるように、当時、米国は、韓国と日本に住む米国市民を早期退避させる計画を検討していた。しかし、米軍が実際にこの計画を実行した場合、北朝鮮が米国による戦争の準備と「誤認」する恐れがあるとして、トランプ政権は、最終的に自国民の退避行動を実施しなかった【注1】。

安全保障研究の分野では、紛争・治安悪化・政情不安・自然災害等により、国外から自国の民間人を退避させる軍の活動を「非戦闘員退避活動」(Non-combatant Evacuation Operations, NEO)と呼ぶ。

今日のグローバル化された国際社会で、ひとたび各国がNEOを実行すれば、外交・人道・軍事・経済領域等、広範囲に影響が及ぶことは必至だ。このため、各国政府は、NEOを開始する前の段階で、可能な限り、民間の航空機・船舶を使用し自国民の輸送を行う。しかし、予期せぬ形で紛争等が発生すれば、NEOを実行する段階へと進む。この場合、各国政府は、他国の主権を侵害しないよう努めながら、海外に暮らす自国民の保護・輸送・救出にむけたNEOを計画しなければならない。

朝鮮半島で警告・事前通告なしの奇襲作戦や北朝鮮内部の急変事態によって戦争が突発的に再開した場合、日本は深刻な状況に陥る。自力退避はもちろん、民間アセットによる輸送・退避が困難であるだけでなく退避の緊急性が高まるため、政府専用機や自衛隊の輸送手段による大規模な退避・救出活動が必要になる。

本稿では、我が国の安全保障にとって喫緊の課題である朝鮮半島有事を念頭に、NEO実行の可能性と課題を論ずる。そのため以下では、米朝非核化交渉の現在地、NEOの国際法的な位置づけ、日韓NEO協力の現状と課題を分析する。

2.米国の対北オプションと「レッドライン」

米国の対北オプション

2018年に史上初となる米朝首脳会談と3度の南北首脳会談が開催された。朝鮮半島情勢には対立解消の兆しがみえたものの、2020年以降新型コロナウィルス感染症のパンデミックもあって、米朝交渉は行き詰まりを見せている。当初、トランプ政権は「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(Complete, Verifiable and Irreversible Dismantlement, CVID)」を掲げたものの、その文言が「COVID(COVID-19)」の陰に隠れるのにそれほど多くの時間を要さなかった。

北朝鮮核問題を解決に導く上で、米国の対北オプションは、次の3つに大別される。第一に、朝鮮半島の「完全な非核化」を求め、積極的に対話を進める外交主導型オプションである。2018年以降、トランプ政権はこの方式を採用した。第二に、先制攻撃・予防攻撃等、軍事的措置に踏み切るケースだ。米国は90年代以降、過去3度に及ぶ「北朝鮮核危機」を通して、被害予測を綿密にシミュレートした経緯がある【注2】。その際、人的・物的被害が甚大であること、また同盟国である韓国からの強い反発もあって、今日ではほとんど現実的な選択肢ではなくなりつつある。第三に、国連制裁の枠組みと米国の強大な軍事力を背景に抑止力を維持しながら北朝鮮を封じ込め、北朝鮮自らが政策転換するよう迫る方法である。2009年に発足したオバマ政権では、軍事的挑発で危機を煽る「瀬戸際政策」を続けてきた北朝鮮と対話せず、北朝鮮自らが非核化という不可逆的な譲歩を行うまで、米国は北朝鮮に譲歩しない姿勢を示した【注3】。「抑制」と「制裁」を掲げるバイデン政権もこうした政策を踏襲する蓋然性が高い。

米国の「レッドライン」とは何か

このように米国側の対北オプションは複数の政策オプションの間で揺れ動いてきたのに対し、北朝鮮の政策は一貫している。すなわち、米国が対北武力行使に踏み切る「レッドライン」を超えない範囲で、自国の核・ミサイル開発を粛々と進めることだ。では、北朝鮮が想定する米国の「レッドライン」とは何か。

まず、米国は自国への攻撃に対しては、いかなる代償を払ってでも武力行使を躊躇わないだろう。この点について北朝鮮も熟知しているため、通常戦力・核戦力ともに大きく遅れを取る北朝鮮が、米国本土を射程に入れたICBMを先制使用する等して、米国を攻撃する可能性はない。「レッドライン」をめぐる実際の駆け引きは、以下の2点が争点となる。

ひとつは、中東地域や国際テロ組織に北朝鮮の核ミサイル技術が広がることへの懸念、すなわち、大量破壊兵器(Weapon of mass destruction, WMD)の拡散に対する米国の懸念である。いまひとつは、米国の同盟国に対する核または通常攻撃によって、「拡大抑止」の信頼性が損なわれる懸念である。具体的に上記の懸念が現実のものとなれば、米国が多大なコストを払ってでも軍事行動を起こす可能性がある点を、北朝鮮は熟知している。

前者に関する傍証として、これまで北朝鮮は、自国の核開発があくまで「敵対的態度」を取る米国から自国を守る「自衛的措置」である点を繰り返し主張してきた。2003年には、日本の国会に相当する最高人民会議で、核抑止力の維持・強化のため、核開発が不可避であると公式に宣言した【注4】。また、2016年第7回党大会では「核拡散防止義務を履行し、世界の非核化の実現に努力する」とし、国際社会に対して「責任ある核保有国」としての地位を求めた【注5】。2021年第8回党大会でも、敵対勢力が使用しようとしない限り、核兵器の先制使用を否定した【注6】。

つまり、北朝鮮の論理では、核兵器はあくまで自衛的な軍事力に過ぎず、核兵器や核技術の拡散に反対の姿勢を示すことで、米国の「レッドライン」を超えない立場を示し、米国による自国への軍事措置を回避し続けている。

3.北朝鮮核問題の「3つの難問」

日・米・韓関係のほころび

以上のような前提を踏まえれば、北朝鮮の核保有国化に対して、日本・米国・韓国の3ヵ国は緊密な連携を内外に示し、抑止力を維持しながら、対北交渉を進める必要がある。しかし、実際の非核化交渉には、解決の糸口を見いだせない難問がある。

そのひとつが日・米・韓関係のほころびだ。朝鮮半島で南北間の体制競争が繰り広げられていた冷戦期、おおむねこの三角関係は機能していた。だが、現在においては、北朝鮮の非核化を推進する日・米・韓の利害関係が一致しづらくなっている。

米国にとって本質的な脅威は、北朝鮮が保有する核・ミサイルと技術の拡散だ。また、目下の交渉では、核兵器と米国本土を射程におさめるICBMの開発を断念させることが目標となる。一方、日本にとって主要な脅威は、日本全土を射程に収めるノドンやスカッドER等の準中距離弾道ミサイル(medium-range ballistic missile, MRBM)である。北朝鮮を体制競争の相手と見做さなくなった韓国にとって、北朝鮮核問題は非核化そのものよりも、「第2次朝鮮戦争」をいかに防ぐのかにあり、その先に見据える統一を平和裏に進めることが重要だ。北東アジアのパワーバランスを保ち、北朝鮮に圧力を加える三角関係の協力の足元がおぼつかないのである。

北東アジアの「パワー・トランジッション」と韓国

さらに政策を調整するうえで困難に直面しているのが、日・米・韓関係の一辺である日韓関係だ。慰安婦や徴用工等の歴史認識をめぐっては、「歴史事実はひとつしかない」というある種の「ナイーブな歴史観」が前提にある。だが、歴史認識問題それ自体は冷戦期から存在しており、決して目新しいものではない。むしろ、国際政治学的に重要なのは、日韓両政府が、歴史認識問題のような摩擦を「適切に管理する必要性」を認識しなくなった点にある。

こうした変化には、構造的な要因が関係している。すなわち、北東アジアにおける「中国の台頭」と日本の影響力の減退がもたらす地域のパワー・トランジッション(力の移行)である。冷戦期とは異なり、日韓両国は経済的重要性が相互に低下し、代わって両国にとって対中関係の重要性が高まった(この点について詳しくは、本連載企画に掲載された伊藤弘太郎氏の論考「韓国の安全保障・外交戦略」を参照されたい)。日韓は共通の同盟国である米国を軸とする「擬似同盟(quasi-alliance)」【注7】の関係にある一方、韓国の「戦略的協力同伴者関係」【注8】にある中国は、米国を抜きいまや韓国最大の貿易相手国である。日米と比べて貿易依存度が高く、貿易立国として経済的成功を収めてきた韓国にとって、対中経済協力関係の維持・発展は国家運営の至上命題である【注9】。このため、日韓両国は歴史認識問題をはじめとする外交懸案を適切に処理する動機を失いつつある。

さらに重要なのは、こうした変化が安全保障分野にも及び始めている点だ。冷戦期の韓国は、日米同盟が対北抑止力を補完することを歓迎し、日韓の安保協力を段階的・漸進的に進めてきた。しかし、高高度迎撃ミサイルシステムであるサード(Terminal High Altitude Area Defense missile, THAAD)配置による中国政府の報復措置と「3不原則」【注10】の経験から明らかなように、中国経済に依存する韓国は、たとえそれが対北抑止を念頭に置いた三角関係の強化であっても、「対中配慮」の観点から躊躇するようになった【注11】。

特に、中国が日米同盟や日米韓安保協力の強化を「対中封じ込め政策」と認識し、域内に軍拡競争が生じることに対して、韓国は強い懸念を抱いている。北東アジアでの米中覇権競争は、韓国の安保政策の幅を狭めている。実際、文政権の外交・安保政策の立案に深く関与した文正仁(大統領統一外交安保特別補佐官)は、米中対立の激化により、米国が在韓米軍へのTHAAD追加配備や中距離弾道ミサイルの新規配備に踏み出す可能性があると指摘し、「そうなれば中国は韓国を敵対視し、北朝鮮への軍事支援に乗り出す可能性もある。韓国にとってこれが大きなジレンマだ」と述べている【注12】。

米朝・南北間合意の抜け穴

加えて、米朝間の直接交渉においても、今後、大きな難題が待ち構えている。まずは合意文の抜け穴だ。2018年「9.19平壌共同宣言」では、米国が相応措置を採る場合、寧辺の核施設廃棄が約束された【注13】。しかし、寧辺以外の未公表のウラン濃縮施設は、合意の対象外のままだ。実際、北朝鮮核問題や米朝協議を担当していた元韓国政府高官によれば、北朝鮮では、秘密施設を含め濃縮施設は最大で10か所前後、核物質の生産施設や核兵器を貯蔵する施設等が300か所程度あるという【注14】。

同様の問題はミサイル関連施設においても生じている。2018年の「9.19平壌共同宣言」では「東倉里のエンジン実験場とミサイル発射台」の永久廃棄も合意された。しかし、北朝鮮政府による未公表のミサイル施設は、すでに10数か所特定されており【注15】、東倉里だけを明文化した現行の合意文では、北朝鮮の核・ミサイル能力は確実に温存される。

いまひとつ注目すべき点として、トランプ・金正恩時代の首脳交渉では、「非核化」の定義すら合意できなかったことである。トランプ政権は、当初、北朝鮮の非核化について、「CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)」という文言を多用した。しかし、2018年7月以降、FFVD(Final, Fully Verified Denuclearization)、すなわち「最終的、最大限に検証された非核化」へと表現を修正した。「完全」「不可逆的」という文言が抜け落ち、段階的な非核化交渉を求める北朝鮮に対して安易な譲歩を示したのだ。当時、大統領再選を目指していたトランプ政権が、外交上の遺産構築を急いだ結果でもあった。

以上のような米朝交渉の特性を踏まえれば、今後の非核化交渉には、米国の国内政治に左右されない中長期的な視点に立ったアプローチが不可欠であり、非核化に向けた具体的なロードマップの策定が求められる。そのためにも、短期的には、米朝両国がある種の相互信頼醸成措置を講じていかなければならない。国連制裁の枠組みを堅持しながらも、原子力の平和利用に向けた準備、防疫体制の強化、環境・経済・エネルギー分野といった幅広い分野で、相互依存性を高める仕組みを取り入れることが、根深い相互不信の連鎖を断ち切ることにつながる。

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