
東日本大震災から10年。被災地の歩みと現状、そして今あるさまざまな問題を、メディアは多く取り上げている。5年、10年という節目は時の経過を語るタイミングでもあるし、取り上げることは大事だよな。
心配なのは、この10年をひと区切りに被災地への関心が薄れてしまうこと。そうならないように、取材する記者、体験を語る当事者、思いを寄せる第三者・・・いろんな努力が必要だと思う。この10年が、次の10年、その次の10年への始まりになってくれと思うよ。
復興復興と言っても、これで復興しましたっていうゴールはたぶん年月では決められないよな。東日本大震災はゴールのないマラソンで、このマラソンをずっと続けることが大事なんじゃないかな。
その道のりに5キロ、10キロ、15キロっていう通過地点があって、通過地点ごとに成すべきことも取り組む問題も刻々と変わる。戦後が終わりなく続くように、震災後もずっと続くんだよ。
あの3・11の震災から3ヶ月後あたりに、俺も宮城の閖上(ゆりあげ)地区を見たよ。東北放送の方と一緒に被災地を回ったんだ。船は陸に、車は海に、天地が引っくり返るっていうのはこういう状態を言うのかっていうぐらい、ものすごい惨状だった。
あれから、がれきを片付けて、ご遺体の捜索をして、土地をどうする、かさ上げするのか、堤防をどうする、住民は戻ってくるのか、商売をしていた方はどうするのか、役所に勤めていた方も減ってしまったり、地域を建て直すのは中々進まなかったり、苦労の連続だったと思う。だけども遅いよ・・・。この遅さが歯がゆい10年だったと思う。
東北の足を引っ張った「復興遅らせ五輪」

1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災。甚大な被害があった。死者数が6434人か。高速道路が斜めに引っくり返って、大規模な火災が発生して、あの日の朝、テレビに映った神戸の街の突然の変わりように日本中がショックを受けたよな。
あの時は「自社さ(自民・社会・さきがけ)」政権で、社会党の村山富市さんが総理だった。まさかの事態に泡食って初動が遅れて痛烈な批判を浴びもしたけど、でも、村山さんはそこから仕事をしたよ。何かあったら自分が責任を取るからって、大臣の権限を知事に委譲したり、現場の判断を優先させたんだよな。震災対応を適任者に任せて、金を出し、責任は自分が取る・・・。この現場重視の姿勢が復興を早めたって、村山さんの評価になってるよ。
東日本大震災は地震だけでなく津波と原発事故も重なって三重苦となったから、阪神・淡路と単純には比較できない。だけどこの三重苦に立ち向かう未曽有の対応がされるべきだった。振り返れば震災発生から2年が民主党政権、その後8年の復興事業は自民党政権。今さらだけど政治の力でどの局面ももっと出来たんじゃないか、もっと別の10年が見られたんじゃないかって思っちゃうよ。
そこでやはり言っておきたいのは、東京オリンピックだろうな。「復興五輪」って掲げたわけだけど、東京オリンピックを招致して、いざ関連工事が始まったことで、被災地の復興工事より東京のほうが条件がいいって、人材にしても資材にしても東京に流れて、東北の足を引っ張ったわけだ。復興五輪が「復興遅らせ五輪」になったのは、後世に語り継ぐべき事実だよ。
高齢化でそもそも労働者不足が深刻になってて、その中で東北に労働力を注ぎ込まなきゃならないのに、東京オリンピックやるぞ、復興五輪だ、なんて、結局おかしな話なんだよ。
しかも東京オリンピックの為に、安倍さんが世界に向けて「日本は」「東北は」「福島は」って、態のいいアピールを発言するたびに被災地は振り回されて、とばっちりを食った人たちは「なんで東京オリンピックなのか!」っていう苦い思いをしたろうよ。
腹立ちまぎれに言わせてもらうけど、東京五輪って「セイカ」の上げ方が違う。「聖火」上げてる場合じゃない。復興五輪を掲げるなら復興に「成果」を上げなくちゃ・・・。
震災から10年経ったけど、あらためてこれは単なる通過点だ。菅さんは秋田出身、東北出身なんだから東北の為にいい仕事をしてほしいね。東北の為にだよ、東北新社の為にじゃないよ(苦笑)。
今はコロナという災害の真っ只中だ。自民党にとっては大仕事。与党として災害にいかに取り組むかは腕の見せ所だよ。菅さんもワクチン打ったんだから、ここからますます頑張ってほしいね。「接待より接種が大事」ってことで頼むよ(笑)。
我慢強かった東北からの避難者たち

何年も前になるけどラジオの中継で、埼玉の加須市へ行ったんだ。そこにある高校の校舎が福島の双葉町から避難してきた方たちが身を寄せている避難所になってて、俺が伺った時は職員室で床に畳を敷いて生活しててね、学校全体で多い時には1400人もの人が避難生活をしてたって。
あのさ、そんな避難所暮らしを想像してみてよ。2~3日ならともかく、何ヶ月も何年もってことになったらいかに大変か。そういう長期避難の方がたくさんいたな。高齢者はとくに大変。体にどれだけ負担がかかるか・・・。
そこで避難されてた方たちと話して思ったのは、東北の人は「我慢強い」ってこと。どうしてそんなに我慢強いのか、どうしてそんなに我慢できるのかって。もっと中央に向けてガンガン言っていいはずだよ。福島の方々は国策である原発によってそういう理不尽な目にあってしまったんだから。
岩手出身、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」・・・「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」・・・あの有名な詩はどんなに暮らしが厳しくても我慢して耐える、東北人が理想とする姿勢を綴ってる。だけど「決シテ瞋ラズ」って、いやいや、もっと怒っていい、怒ったほうがいい!
もしも宮沢賢治に会いに行けたら俺は言いたいね、「賢治さん、ここ書き直してくれませんか? 怒りたい時はおおいに怒ろう、どんどん怒ろう、我慢することないって・・・」。ウーン、注文の多いマムシだな、こりゃ(苦笑)。
歴史的に中央から軽視されてきた東北の地

東北という地を語る場合、歴史が切り離せないんだよな。日本って西側から発展していったろ。大陸に近いことで中国文化の渡来があって、九州や近畿が政治文化の舞台になって、奈良・京都があって、中世から大阪が経済の中心になり、都が江戸に移ると、その表舞台が関東になった。
その間、東北はずっと地勢的に二の次だ。奥州藤原氏であるとか伊達藩であるとか、その一帯で大きな勢力もあったけど、日本全体の中では政治・文化・経済で主役になることはなかった。それゆえに中央から軽視されてきた、それが東北なんだ。
江戸時代に松尾芭蕉が「奥の細道」を探索したのは俳句を詠むだけでなく、幕府から東北視察の任を負っていたって話があるけど、そうなんだと思うよ。秀吉も家康も伊達政宗を意識していたけれども、関東から北は「都」にとって未開の地であり、情報が少ない二の次の場所だってことだ。
大相撲の本場所って1月東京、3月大阪、5月東京、7月名古屋、9月東京、11月福岡だろ。東北はないんだよ。東北や北海道はこれまでに名力士を数多く生んでいるよ。相撲界に大きく貢献しているよ。だけど本場所がない。これも日本の歴史がもたらしている、ひとつの側面だよ。
とはいえ、いつまでもそれに縛られず、日本全体のことを考えてさ、東北復興のひとつとして大相撲本場所を東北で定期開催することを俺は主張したいね。年に6場所までなら、9月の東京を東北に移すのがいいよ。9月の東京はまだ残暑だから、これを涼しい東北へ持っていく。どうだい? そうすれば関東からも相撲ファンが東北へ観戦ツアーに行くだろ。東北に金が回るだろ。大相撲本場所を東北へ持ってくる、これ、相撲協会には本気で考えてほしいな。
俺にとって3月は10日、11日、31日と特別な月だ。3月10日は昭和20年の東京大空襲。当時、東京一帯が真っ赤になったのをこの目で見た。9歳だった俺はそのあと5月の城南大空襲に遭って必死に逃げ回った。そして3月11日は東日本大震災。3月31日は恥ずかしながら誕生日、85歳になる。アハハハハ、正真正銘のジジイだよ。まだくたばりそうにないからさ、もうしばらくはこの日本がどうなるのか見て、思ったことを言わせてもらうよ。
(取材構成:松田健次)