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サンデルの政治思想(1)

仕事の必要もあったので小林正弥『サンデルの政治哲学:〈正義〉とは何か』(平凡社新書、2010)を通読する。まあ全体としてはこの機会に(ブームの一部になっているものもそうでないものも含めて)サンデルの思想を他の論者との対抗関係なども踏まえて整理・要約しましょう、さらにそれと近似性のある・著者が主導してきた日本の「公共哲学」について宣伝しましょうという感じの本で、いや別に宣伝が悪いというものでもないし(正直相当に鼻にはつくが)、サンデル派(著者ご自身が対抗相手については「ロールズ派」「リベラル派」と呼ばれるのでこういう位置付けをしても怒られないと思うのだが)からの要約としてはこうなるであろうなあという話が要領よくまとめられていると思った。ただその、まあモノの書き方としてはややいい加減なところが目に留まることも多く、まあ急いでまとめたのかなあという感じではある。以下、ページ数は注記のない限りすべて同書。

具体的に例を挙げると、たとえばヒュームによる《社会契約は実在しなかった》という批判を受けて「社会契約説は影響力を失った」[100]としているのだが、クリスチャン・ヴォルフやカントが理論的要請として社会契約の存在を想定するという形で(つまり歴史的事実としての存在の有無などを問題にしないように)議論していなかったっけと思うわけであるし、また「「社会契約論は現実にはなかった」ということを、今日の政治哲学は前提にしている」[104]と書かれるといや多分現実にはなかったのは「社会契約」であって「社会契約説」ではないよねえまさか区別できてないわけじゃねえだろうなと気になるわけである。まあ後者はもちろん区別できてないわけではなく書き方が粗雑なだけだと思うのだが、ということ。

あるいは著者は、ロールズによって正義論の復権が起きるまで「19世紀から、特に英米で大きな影響力を持ってきたのが、「最大多数の最大幸福」の言葉でよく知られる功利主義である」[101]とか「功利主義は、英米圏の哲学でも圧倒的な影響力を持っていた」[101]と書くのだが、やはりあれ直観主義から義務論の流れはどこに行ったんだと思う。児玉聡『功利と直観:英米倫理思想史入門』(勁草書房、2010。いただきもの。ありがとうございます)によると、J.S.ミルは1861年頃に「功利主義は英国ではマイナーな立場だと述べている」[児玉87]。1850年代にはヒュームやベンサムの本もすべて絶版状態だったそうで、到底「圧倒的な影響力」[101]とは言えないだろう。世紀の変わるあたりで活躍したシジウィックにおいても、まず功利主義と直観主義双方の正当性を認めた上で両者を調停することが試みられるので、功利主義だけが生き残っているわけでもない。むしろ、科学の発展を背景に論理実証主義など規範理論から遠ざかる議論が有力になり、「1930年以降は、功利主義にとっても直観主義にとっても苦難の時代が続いた」[児玉135]という理解のほうが一般的だと思うんだがなあ。

そのあたりはサンデルが焦点なのでぐっと単純化しましたということなのか、まあ法学部の人なので倫理学の方の流れにはあまり突っ込みませんということなのかなあと思ったところ今度はノージックのentitlement theoryについて「一般に「権原理論」ないし「権限理論」と訳すが」[129]などと言い始めてしまい、えええまさか権原と権限の違いがわかってないわけじゃないよねえとにわかに不安になる。後者は(たとえば日本法令外国語訳の標準辞書でも)authorityやpower、jurisdictionを使うことになっていることにも示されている通り、何かを決める・判断することのできる力を持っているという趣旨。それに対し権原=entitlementは、ある行為をすることを正当化する法律的な原因のこと。簡単に言えば後者が処分可能性という状態の話で、前者はその基礎付けと正当化の問題に関わっている。

ノージックのentitlement theoryは、所有が正当かどうかはその所有を得た経緯が正当(原始取得または同意に基づく移転)かどうかで決まる、それによって生じた所有の分布には無関係であるという主張なので、著者がそれを「わかりやすくするために「資格[権利]保有理論」と訳すことにしよう」[129]とするのは悪くない(とはいうものの、原始取得の場合にはそのための労力によって成果に値する(資格を持つに至る)と言えても、同意に基づく移転のすべてがそうだとは言えないので(つまりくじびきで無作為の誰かに財産を送るような贈与も「同意に基づく移転」だが、受け取る側に「受け取る資格」がある(受け取ることにdeserveである(値する))とは言えないだろうから、これはサンデルの主張の柱としてこの「適価」(deserve)ということを強調する著者の主張に引きずられた読みだとも思うのではあるが)。しかし、所有があればその処分に関するpowerを持つというのは所有権の基本的性質であって、ロールズとの対立点でも何でもない。「権限理論」という訳はあり得んよねえという感覚が通じていないのかな、とは気になった。つづく。

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