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特集
3.11から、10年
2011年3月11日の東日本大震災から丸10年。未曾有の被害を生んだ震災から我々は何を学び、どんな10年間を過ごしてきたのでしょうか。復興の歩みを追いつつ、いま私たちにできることや、未来の防災について考えます。

「32.1%」ー 原発事故の避難指示が解除された街 数字が物語る福島の10年

  • 2021年03月10日 17:25
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世界最悪レベルの原子力災害となった東京電力福島第1原発事故は、発生からまもなく10年が過ぎる。今も7市町村に対して避難指示が出ており、約3万5700人が避難生活を余儀なくされている。

第1原発周辺では避難指示が相次いで解除された。しかし、事故の発生から時間が経つにつれて、避難先に子どもの通学先や仕事など生活基盤ができるケースも増え、故郷に帰還して生活を再建することは難しくなった。

避難指示が解除されても戻る住民は少ない。それは避難指示が解除された地域に住民票を置く人のうち、実際に住んでいる人の割合を示す「居住率」というデータからも浮かび上がる。政府の避難指示が出た自治体のうち、帰還した人がいない双葉町を除いた10市町村への取材で、32.1%にとどまることが判明した。

自由に出入りできる地域と、立ち入りが禁じられている帰還困難区域が混在する第1原発周辺。現場を訪ねてみると、商店や住居などインフラの整備を中心に復興が着実に進んだ一方、それが地域の再生につながるかは不透明な実態が浮かび上がった。【岸慶太、川島透】

※以下、居住率は各市町村への取材をもとに算出した。
 特記したものを除いて、いずれも今年2月28日か3月1日時点

商業施設には帰還した住民より復興作業員の姿
【川俣町・山木屋地区 居住率=47.4%】

県庁がある福島市から南東に約25キロ。沿岸部へ向かう国道114号を車で50分ほど走ると、川俣町・山木屋地区にたどり着く。

緑色の山々や畑が広がる山木屋地区を走っていると、「とんやの郷」という真新しい施設が目に入る。案内看板には「復興拠点商業施設」の文字。施設は2017年7月にオープンした。

川俣町・山木屋地区の商業施設「とんやの郷」

第1原発からは約38キロ離れているが、原発事故直後の風向きが影響し、放射性物質が降り注いだ。町全域の3割ほどを占める山木屋地区に避難指示が出された。

放射線量を下げるため、放射性物質を取り除いたり土で覆ったりする「除染」作業が進められた。東日本大震災から6年後の17年3月31日、避難指示(※1)が解除された。

※1=避難指示

東京電力福島第1原発事故を受け、国は第1原発の半径20キロ圏内に避難指示を出した。
2011年4月には半径20キロ圏内について、例外を除き立ち入りを禁じる「警戒区域」に指定。「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」も設けた。
12年4月、警戒区域と計画的避難区域の一部について、年間積算線量に応じて三つに分類。線量が低い順に「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」を設け、年間積算線量が50ミリシーベルトを超え、5年後も20ミリシーベルトを下回らない可能性があるエリアを「帰還困難区域」と定めた。
20年3月までに居住制限区域と避難指示解除準備区域は解消され、現在は帰還困難区域337平方キロメートルだけが残る。

施設は、食料品や弁当などの他、日用品も並ぶ。避難指示の解除を受け、山木屋に戻る住民の生活を支える目的でオープン。住民よりは、復興関連の作業員らの姿が目立っていた。

外国人向けの看板が設置されていた(福島県川俣町)

DASH村のある浪江町 英語看板が外国人に注意喚起
【浪江町 居住率=11.4%】

川俣町・山木屋地区から国道114号を南東に走り、さらに国道459号を海に向かって進む。

途中、「この先帰還困難区域」と伝える立て看板に気が付く。その傍らには、「No Entry !」と英語表記の看板も。撮影や「見学」名目で訪れる外国人に向けて設置しているという。

電話ボックスのようなものも置かれ、男性が出入りする車を確認していた。そこを越えれば浪江町だ。

浪江町は、面積約223.1平方キロメートルと広大で、東西に広く連なる。太平洋に接する一方、山あいの津島地区にはいわゆる「DASH村」もある。

日本テレビ系列の番組でアイドルグループ・TOKIOが農作業を行なってきた。そんな縁から、TOKIOは福島の復興に協力してきたものの、DASH村は帰還困難区域に指定されたままで立ち入りは制限されている。

市場も再開された請戸漁港(福島県浪江町)

町域の81%が帰還困難区域 居住率は11.4%

浪江町といえば、ヒラメやカレイが数多く水揚げされた請戸漁港も有名だ。大震災では、一帯に15メートルを超える津波が押し寄せ、漁船も住宅も流されてしまった。

時間はかかったものの住民や漁師たちは漁港やその周辺の復興を目指し続け、20年4月には請戸地方卸売市場が再開。競りの威勢の良い声が復活した。

あたりは今も、土砂や放射性廃棄物を積んだトラックが頻繁に行き交う。その側に立ち続けるのが町立請戸小学校だ。

1階の天井まで津波が押し寄せたが、校舎は流失を免れた。あの日の記憶を後世に伝える震災遺構として、浪江町は整備を進めている。

震災遺構として保存させる町立請戸小学校(福島県浪江町)

今も町域の81%が帰還困難区域に指定され、現在は7市町村に及ぶ避難指示区域の53%が浪江町にある。居住率は11.4%にとどまる。

【南相馬市 居住率=57.7%】

北海道、岩手県に次ぐ面積を誇る福島県は、沿岸部の「浜通り」、福島、郡山の両市など人口の多い「中通り」、観光地としても人気な「会津地方」に大きく区分される。

第1原発がある浜通りを南北に走る幹線道路が国道6号。浪江町から北に向かうと、南相馬市に入る。千年の歴史を誇る伝統行事「相馬野馬追」でも知られている。

国の重要無形民俗文化財で、毎年7月には多くの観光客を集めてきた。ところが、原発事故の影響で規模の縮小を余儀なくされていった。

市南部の小高区などに避難指示が出たものの、16年7月に大部分で避難指示が解除された。それをきっかけに、騎馬武者行列や「火の祭」と呼ばれる名物がどんどんと復活していった。

千年の歴史がある相馬野馬追(2016年7月、GettyImages)

一方、現在も市域の一部が帰還困難区域に指定されている。

第1原発立地する双葉町 避難指示解除はわずか4%
【双葉町】

福島第1原発は、浪江町の南側に位置する双葉、大熊の両町にまたがって立地する。双葉町は、今も町域の96%に避難指示が出たままだ。

双葉町には、原発計6基のうち、5、6号機がある。原発事故で町全域の避難を余儀なくされてきたものの、その9年後の20年3月、初めて一部で避難指示が解除された。

解除されたのは、第1原発から北に約3キロの地点で、町北東部の太平洋に沿う一帯。復興に向けた拠点に指定された中野地区など町域のわずか4%だ。まだ帰還して生活している人はいない。

それでも、避難指示を解除した国や町は、中野地区を足掛かりにして、人が住めるように除染を行う「特定復興再生拠点区域」(復興拠点、※2)を広めたい考えだ。

※2=「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)

放射線量が高い帰還困難区域のうち、南相馬市を除く6町村でそれぞれ一部地域について、国は特定復興再生拠点区域(復興拠点)に認定。2~3年後の避難指示解除に向けて除染やインフラの整備などを集中的に進め、人が住めるような環境を整備する。
6町村は、復興拠点にするエリア面積や避難指示解除の目標時期などを計画に掲げている。

現在は、自由に立ち入りできるエリアが4%と狭く、生活する環境は整備できていないものの、町は復興拠点約555ヘクタールに、2022年春時点で「帰還から5年で居住人口2000人」の目標を掲げる。

中野地区にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(福島県双葉町)

中野地区に昨年9月にオープンしたのが「東日本大震災・原子力災害伝承館」。原発事故の教訓を後世に伝えることを目的として、総工費53億円の全額を国の交付金を活用し、県が建設した。

震災や原発事故に関連する資料約24万点を所蔵するが、展示しているのは170点ほど。

茨城県かすみがうら市の男性(62)は妻(44)と訪れていた。声をかけてみると、「あの当時に関する頭の中の記憶の方が、10年たった今も緊張感がある。伝承館に並んでいた資料も貴重だが、原発事故がきれいなもののように扱われていた」との感想。

「伝承館の中より、ここに来るまでに眺めた景観の方が当時を思い出させる」と付け加えた。

伝承館を少し南に向かうと、すぐさま帰還困難区域に差し掛かる。除染作業で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設はその中に整備され、伝承館までの距離は決して遠くはない。

双葉町では町域の4%で避難指示が解除された(福島県双葉町)

避難指示解除地域に役場新庁舎 居住率50%超のワケは
【大熊町 居住率=54.0%】

メルトダウン(炉心溶融、※3)を起こした1~3号機と、定期検査中だった4号機があるのが大熊町だ。

※3=メルトダウン

原子炉が高温になって水がなくなった状態で「空だき」が続いて、核燃料が融解すること。溶融した燃料が圧力容器の底に溜まった状態になる。
福島第1原発事故では1~3号機で発生し、1、3号機でほぼ全ての核燃料、2号機で6~7割が溶け出たとされる。

町は、原発事故の直後、避難する町民の動きに合わせて、西に約34キロ離れた田村市総合体育館、さらに西へ約60キロの会津若松市役所の一部庁舎へと、役場を移してきた。他にも県内外に住民が避難したことから、いわき、郡山の両市にも役場機能を分散させ、避難生活を送る町民を支えてきた。

全域に避難指示が出されたものの、大川原地区を中心とする町西部の一帯は、避難指示解除準備区域、居住制限区域に指定され、放射線量が比較的低かった。

19年4月には、一帯への避難指示が解除、翌月には工事費約27億4000万円をかけて大川原地区に建設された新庁舎での業務が始まった。

19年5月に業務が始まった大熊町役場の新庁舎(福島県大熊町)

避難指示解除されたのは町域の4割ほど。大川原地区では災害公営住宅や商店も相次いで整備され、東電社員の住宅も設けられた。第1原発内の食堂で提供される料理を作る工場もあり、一帯は第1原発の廃炉作業を支える側面も強い。

避難指示解除された地域の居住率は、54.0%と比較的高い。ただ、居住している285人の内訳を見ると、大熊町ならではの事情が見えてくる。

もともとこの地域に住んでいて戻った人は135人。残る150人は第1原発の廃炉や復興に関連する作業員ら、いわば”新住民”だ。原発事故前に住んでいて帰還した人よりも、復興関連の関係者や作業員の多い実態がある。

大川原地区に加え、J R常磐線の大野駅の一帯約860ヘクタールは特定復興再生拠点区域に定められ、22年春の避難指示解除を予定している。帰還困難区域に含まれているものの、一部地域は既に立ち入り規制が緩和されている。

第1原発が立地し、全町避難で一度は人の姿が消えた大熊町。10年の時間を費やしたものの、町内では町役場も鉄道も復活し確実に復興へと歩みを進めている。

大川原地区では帰還した町民向けの住宅も整備された(福島県大熊町)

作業員の生活支える「さくらモール」 住民は桜並木の復活心待ちに
【富岡町 居住率=17.8%】

大熊町や双葉町内の国道6号を進むと、今も商店や住宅の多くにバリケードが設置された状態で立ち入りが禁止されている様子がわかる。

いわき市方面へ南下を続けると、スーパーマーケットやホームセンターが入るショッピングモールが目に入る。その名も「さくらモール」。復興を目指す富岡町の一つのシンボルになった。

富岡町では17年4月、町全域の約88%で避難指示が解除された。市中心部では第1原発で働いたり除染作業を行なったりする作業員向けの宿泊施設も建設されるなど、第1原発の廃炉に向けた前線基地としての役割も増した。

富岡町のシンボル的存在になったさくらモール(福島県富岡町)

そんな作業員らの生活をさくらモールが支えている。広大な駐車場はトラックやワゴン車が行き来し、タオルを頭に巻いた作業員の男性が店内を出入りする。避難指示解除とともに住民の帰還も進んだものの、やはり復興事業の関係者の存在感が大きい。

「さくらモール」の名称の由来は、夜の森地区の桜並木に由来する。今も帰還困難区域に指定され自由な立ち入りはできないが、住民たちは震災前のように満開の桜並木を目にする日を願っている。

夜の森地区の桜並木(福島県富岡町)

山あいの飯舘村・葛尾村 目立つ高齢者の姿
【飯舘村 居住率=29.7%】

現在も避難指示が出ている7市町村のうち、飯舘と葛尾の両村は海に面していない。

飯舘村は福島第1原発から北西に約39キロと距離が離れているものの、全村避難を余儀なくされた。今も町域の約5%が帰還困難区域に含まれている。

今も避難指示が続くのは長泥地区。

ここでは、除染土を使って野菜や花を栽培する実証実験が2018年度に始まり、来年度は水田でも除染土を活用する計画だ。除染土を活用することで最終的に処分する量を減らす目的で、環境省は、最大99%が再利用可能と見積もる。

17年3月末に避難指示が解除された地域への居住率は29.7%。1481人が暮らすが、65歳以上の高齢者が57.1%を占める。

県内の至るところで放射線量は案内されている(福島県大熊町で)

【葛尾村 居住率=33.8%】

葛尾村も飯舘村と同じで全村避難した。16年6月に避難指示が解除されたものの、野行地区は今も帰還困難区域に指定されている。

一般社団法人葛尾むらづくり公社が18年3月、村の出資で設立された。県内外から参加者が集まる自転車レースも知られている。

野行地区は22年春の避難指示解除が目標とされている。

芝のコートにプレハブが建てられていたJヴィレッジ(福島県楢葉町)

蘇ったJヴィレッジ 楢葉町の居住率は59.6%に
【楢葉町 居住率=59.6%】

川俣町に、田村市、楢葉町、川内村を加えた4市町村は、現在では避難指示の対象外となり、全域で自由な立ち入りができる。広野町も町独自の避難指示を約9年前の12年3月末で解除している。

楢葉町は「Jヴィレッジ」と呼ばれる施設でサッカーファンには有名だ。

日本初のサッカーのナショナルトレーニングセンターとしてオープンしたものの、原発事故でその役割は大きく変わった。事故に対応する作業員らの拠点として利用されるようになり、フィールドは駐車場として使われた他、作業用のプレハブが大量に建てられた。

原発事故対応の拠点としての役割が完全に終わるのは17年3月末のことで、原発事故の発生から6年が過ぎていた。それに先立つ15年9月、避難指示は解除されていた。

楢葉町は居住率が59.6%に達する(福島県楢葉町)

全域避難を迫られた7町村で唯一、避難指示が完全に解除されている。特に、避難指示解除が震災から4年半後と比較的早かったことから、居住率も59.6%と比較的高い。

1年延期して開催予定の東京五輪では、今月25日の聖火リレーの出発地点に選ばれている。

【川内村 居住率=45.5%】

川内村は原発事故で全村避難した後、段階的に避難指示の解除が進み、16年6月に全域で避難指示が解除された。

居住率は45.5%。原発事故後も村外から約400人の移住者があった。村総務課の担当者は「少子高齢化も踏まえて、定住促進に力を入れてきた」と自信を見せた。

放射性廃棄物が入っているフレコンバッグ(福島県浪江町で)

震災から3年後に全域解除の田村市 居住率は83.9%

【田村市・都路地区 居住率=83.9%】

田村市は福島第1原発に近い市東部の都路地区に避難指示が出されたものの、震災から3年後の14年4月1日には避難指示が解除された。国が出した避難指示が解除されるのは田村市が初めてだった。

居住率は83.9%と高い。その内訳について、市は福島第1原発から20キロ圏内で約8割、30キロ圏内では約9割と説明している。

11市町村の居住率を見ていると、避難指示が早かった地域ほど、数値が高い傾向にあることがわかる。

例えば、大震災から3年後の2014年4月に避難指示が解除された田村市・都路地区は83.9%に達した。15年9月に解除された楢葉町も59.6%だった。

一方、富岡町では17年4月になって町域の大部分で避難指示が解除されたものの、居住率は2割を切る。原発が立地する大熊、双葉両町に加え、浪江町も町域の半数超が帰還困難区域のままだ。居住率も11.4%と状況は厳しい。

原子力災害は、生活環境が震災前と同程度まで回復するのに膨大な時間を要することが特徴だ。大熊、双葉の両町で町域の大半が今も立ち入りが原則禁じられていることが、それを裏打ちしている。

震災から10年が過ぎた(福島県浪江町)

原発事故によって第1原発周辺に住んでいた人は、福島県内外へと避難を余儀なくされた。

放射能への恐怖から広域避難が多い点も特徴で、ピークの2012年3月には約6万2800人が県外に避難。

10年が過ぎた今も約2万8500人が県外に避難し続けている(21年2月時点)。県内の避難者も同時点で、約7200人を数える。

この10年間、原発事故に住みかを奪われた避難者は、帰還できる目処が立たない中、移住先で新たな職を求めたり子どもが進学したりするなど、移住先での生活が定着していった。

生活環境の原状回復まで長期を要する原子力災害という特性から、時間が経てば経つほど、避難者にとって故郷は遠ざかっていった格好だ。

避難指示が解除された地域では、現役世代の帰還が進まず、65歳以上の高齢者の姿が目立つのが現状だ。

居住率は17.8%と、浪江町の次に低かった富岡町。高齢化率も30.4%と、11年3月の21.3%から9.1ポイントも上昇している。

飯舘村は居住者1481人のうち、高齢者が846人。高齢化率は57.1%にも達する。一方、18歳以下は14人しか住んでいないという。

村づくり推進課の担当者は「帰還までの6年間で働く場所や生活基盤が失われ、若い世代は子どもの学校などの事情もあって戻って来にくい」とこぼす。

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災地を担当する復興庁は毎年、原発事故被災地の住民に対する意向調査を行なってきた。

本年度は、帰還困難区域を抱える大熊、双葉、富岡、浪江の4町、そして4年前に避難指示が解除された川俣町・山木屋地区が対象となった。

故郷に戻るかどうかに関する問い。川俣町・山木屋地区では、42.7%が「戻っている」「戻りたい」と回答した。「戻らない」とした人は10.2%にとどまった。

一方、今も町域の96%が帰還困難区域に含まれている双葉町では、「戻らない」が62.1%、「戻りたい」はわずか10.8%にとどまった。

4町の中では、大半で避難指示が解除され、いわゆる“復興”が比較的進んでいるとされる富岡町でも、「戻らない」が48.9%と半数近くを占めた。

一方、「戻っている」「戻りたい」が計17.5%。「戻りたいが戻れない」が16.8%だったことも目を引く。

なぜ故郷に戻ることを決断しにくいのかーー。帰還しないことを決めた理由では、大熊、双葉、富岡、浪江の4町で、次のいずれかの回答が1位だった。

「すでに生活基盤ができているから」
「避難先で自宅を購入 または建築し、将来も継続的に居住する予定だから」

東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から、10年が経過しようとしている。

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