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- 2012年12月13日 09:00
思考の「型」を身につけよう 飯田泰之
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本書は思考と決定の方法に関する技術書です。皆さんは、
と考えたことはありませんか?
大いにそう思うという方は、ぜひ今日からその考え方をあらためていただきたいと思います。本書を読み進めることであなたは、こうした考えにとらわれていること自体が、誤りである可能性に気づくでしょう。あなたの考える「効率的な仕事」はちっとも効率的ではないし、日々ブレブレだと思いがちな判断軸は全くぶれていないかもしれない、さらに、後悔しない意思決定を目指すこと自体が論理的ではないこともあるのです。
本書は思考法の教科書ですが、奇抜なアイデアを出すためのマニュアルや、ある日から突然論理的になる特効薬を提供するものではありません。本書の目標は、皆さんが「考える」を始めるにあたっての出発点、そして思考という活動を行う際の基本的な型を提供することにあります。
☆ ☆ ☆
私は経済学者として大学や官庁などで経済理論と統計を教えています。「大学で教えています」と言うと、「大学教育はあまりにも現実離れしすぎている。もっと社会に出たときに直接役立つことを教えるべきだ」との批判をいただくことが少なくありません。
このような実業界からの注文を受けてか、各大学では、専門分野よりも社会に出たときに役に立つ(かもしれない)「実践的な知識」を優先して提供する授業が増えてきています。近年では実業家やビジネスパーソンの講演や職場体験を組み込んだカリキュラムも珍しくはなくなりました。中には資格試験に特化した授業も散見されるようになっています。
これらの実学化・資格試験特化路線は誤りです。いつもの講義の「箸(はし)休め」にはなっても、結局のところたいした役には立たないでしょう。20歳のときに聞いた「最新業界情報」は社会人になって実際に意思決定を行う十数年後には中途半端に古い業界昔話になります。そして、現場での直接的な経験ではない「経験談」「体験談」が役に立つほど、ビジネスの世界は甘くはない。専門職大学院ならばいざ知らず、文系の学部レベルでの実学指向は意味が薄いというのが私の意見です。むしろ、
というのが本書のメッセージの一つです。
このように言い切ると、「実際に働いてみて、大学で学んだことが役立ったことなどない」とお叱りを受けるかもしれません。これもまた非常にもっともな感想です。経済学者である自身の経験に照らしてみても、大学で学んだことが(研究以外の)実生活で直接的に役立ったことはそう多くはありません。
「大学で教わることは役に立たないが役に立つ」と言うと、無用の用(中国の古典『荘子』の思想)について説くのかと思われるかもしれませんね。しかし、そんな禅問答のようなことを主張するわけではありません(というか老荘思想は深遠すぎて筆者にはまだ理解できていないので、語りようがないのです)。
問題は、学生のみならず教員においてさえ、学問体系のうち、有用な部分と無用な部分が区別できておらず、「大学で学んだことを役立てる方法を知らない」ところにあるというのが、正しい理解です。
私の担当講義では、「財政政策が行われたときに、金利や経常収支にどのような影響を及ぼすか」、「金融政策が及ぼす物価への影響」といった問題を考えています。しかし、大学を卒業したあと、実際に財政政策や金融政策の決定に携わる人は100人に1人もいません。これは私の大学に限らず、どんな大学においても言えることかと思います。
大学で学ぶことは、経済学者の名前や提言した理論を暗記することや利益を上げている企業の実践例を知ることにあるのではありません。
のです。
ご存じのとおり大学には数多くの学部があります。私は経済学部でマクロ経済学と経済政策について教えていますし、法学部では憲法や商法、文学部国文学科では源氏物語や夏目漱石研究についての講義が行われます。このように、学生は自分の学部の専門を、4年間勉強していくわけです。
そして、これらの講義や演習(ゼミ)から学ぶべきことは、その内容ではなく、どのように問題にアプローチしているかという方法論の部分なのです。
突然ですが、武道や芸事には型(かた)稽古という練習があることをご存じでしょうか。これは、繰り返し何度も同じ動きの練習を行い、基本的な動作を体で覚えるものです。武道や芸事を始めたての人はもちろん、どんなベテランもこの型稽古を必ず経験しています。
しかし、実際の武道の試合が型どおりに進むことはなく、芸事で型どおりの作品が人々の感動と賞賛を得ることもありません。型自体はたいていおもしろいものではないため、退屈に感じられる人も多いでしょう。
それでも型稽古は多くの道場や稽古場において、基本中の基本として、ほぼ確実に行われています。
退屈で直接役立つようには思われないものが、かくまでに重視されるのはなぜなのでしょうか。
武道を例に考えてみましょう。何度も同じことを繰り返すことで、体が基本の動きを覚えるようになります。動きを覚えて初めて応用が利くようになり、試合で相手の動きに対応できるようになります。型を身につけていないと、自分がどのように動いていいのかもわからないでしょうし、当然相手の動きを見極めることもできません。
大学で特定の専門分野を学ぶ意味とは、社会に出てからの思考のベース、つまりは「型」の習得なのです。決して実践的とは思えない問題を繰り返し解くことは、型稽古のようなもの。繰り返し何度も問題を解くことで、少しずつそれぞれの専門分野の「思考の型」を身につけているわけです。
大学教育がちっとも役に立ったように感じられないのは、「思考の型を伝えているのだ」という点に無頓着な教員が多いこと、学生側が「今は型稽古をしているのだ」という意識を持っていないこと、という二重の不幸が原因です。
本書では経済学の思考の型とそれに付随する思考の技を紹介していきますが、いずれの学問分野においても目標とするのが思考の型稽古であるならば、特に経済学を学ぶ必要はないと思われるかもしれません。
本書は思考と決定の方法に関する技術書です。皆さんは、
「もっと効率的に仕事をしたい」「ぶれない判断軸を持ちたい」「後悔しない意思決定をしたい」「斬新なアイデアを提案できるようになりたい」
と考えたことはありませんか?
大いにそう思うという方は、ぜひ今日からその考え方をあらためていただきたいと思います。本書を読み進めることであなたは、こうした考えにとらわれていること自体が、誤りである可能性に気づくでしょう。あなたの考える「効率的な仕事」はちっとも効率的ではないし、日々ブレブレだと思いがちな判断軸は全くぶれていないかもしれない、さらに、後悔しない意思決定を目指すこと自体が論理的ではないこともあるのです。
本書は思考法の教科書ですが、奇抜なアイデアを出すためのマニュアルや、ある日から突然論理的になる特効薬を提供するものではありません。本書の目標は、皆さんが「考える」を始めるにあたっての出発点、そして思考という活動を行う際の基本的な型を提供することにあります。
☆ ☆ ☆
私は経済学者として大学や官庁などで経済理論と統計を教えています。「大学で教えています」と言うと、「大学教育はあまりにも現実離れしすぎている。もっと社会に出たときに直接役立つことを教えるべきだ」との批判をいただくことが少なくありません。
このような実業界からの注文を受けてか、各大学では、専門分野よりも社会に出たときに役に立つ(かもしれない)「実践的な知識」を優先して提供する授業が増えてきています。近年では実業家やビジネスパーソンの講演や職場体験を組み込んだカリキュラムも珍しくはなくなりました。中には資格試験に特化した授業も散見されるようになっています。
これらの実学化・資格試験特化路線は誤りです。いつもの講義の「箸(はし)休め」にはなっても、結局のところたいした役には立たないでしょう。20歳のときに聞いた「最新業界情報」は社会人になって実際に意思決定を行う十数年後には中途半端に古い業界昔話になります。そして、現場での直接的な経験ではない「経験談」「体験談」が役に立つほど、ビジネスの世界は甘くはない。専門職大学院ならばいざ知らず、文系の学部レベルでの実学指向は意味が薄いというのが私の意見です。むしろ、
大学は浮世離れしたことを教えるべきであり、それが現実的にもっとも役に立つ
というのが本書のメッセージの一つです。
このように言い切ると、「実際に働いてみて、大学で学んだことが役立ったことなどない」とお叱りを受けるかもしれません。これもまた非常にもっともな感想です。経済学者である自身の経験に照らしてみても、大学で学んだことが(研究以外の)実生活で直接的に役立ったことはそう多くはありません。
「大学で教わることは役に立たないが役に立つ」と言うと、無用の用(中国の古典『荘子』の思想)について説くのかと思われるかもしれませんね。しかし、そんな禅問答のようなことを主張するわけではありません(というか老荘思想は深遠すぎて筆者にはまだ理解できていないので、語りようがないのです)。
問題は、学生のみならず教員においてさえ、学問体系のうち、有用な部分と無用な部分が区別できておらず、「大学で学んだことを役立てる方法を知らない」ところにあるというのが、正しい理解です。
私の担当講義では、「財政政策が行われたときに、金利や経常収支にどのような影響を及ぼすか」、「金融政策が及ぼす物価への影響」といった問題を考えています。しかし、大学を卒業したあと、実際に財政政策や金融政策の決定に携わる人は100人に1人もいません。これは私の大学に限らず、どんな大学においても言えることかと思います。
大学で学ぶことは、経済学者の名前や提言した理論を暗記することや利益を上げている企業の実践例を知ることにあるのではありません。
大学はその専門分野の「思考方法」を学ぶためにある
のです。
ご存じのとおり大学には数多くの学部があります。私は経済学部でマクロ経済学と経済政策について教えていますし、法学部では憲法や商法、文学部国文学科では源氏物語や夏目漱石研究についての講義が行われます。このように、学生は自分の学部の専門を、4年間勉強していくわけです。
そして、これらの講義や演習(ゼミ)から学ぶべきことは、その内容ではなく、どのように問題にアプローチしているかという方法論の部分なのです。
突然ですが、武道や芸事には型(かた)稽古という練習があることをご存じでしょうか。これは、繰り返し何度も同じ動きの練習を行い、基本的な動作を体で覚えるものです。武道や芸事を始めたての人はもちろん、どんなベテランもこの型稽古を必ず経験しています。
しかし、実際の武道の試合が型どおりに進むことはなく、芸事で型どおりの作品が人々の感動と賞賛を得ることもありません。型自体はたいていおもしろいものではないため、退屈に感じられる人も多いでしょう。
それでも型稽古は多くの道場や稽古場において、基本中の基本として、ほぼ確実に行われています。
退屈で直接役立つようには思われないものが、かくまでに重視されるのはなぜなのでしょうか。
武道を例に考えてみましょう。何度も同じことを繰り返すことで、体が基本の動きを覚えるようになります。動きを覚えて初めて応用が利くようになり、試合で相手の動きに対応できるようになります。型を身につけていないと、自分がどのように動いていいのかもわからないでしょうし、当然相手の動きを見極めることもできません。
大学で特定の専門分野を学ぶ意味とは、社会に出てからの思考のベース、つまりは「型」の習得なのです。決して実践的とは思えない問題を繰り返し解くことは、型稽古のようなもの。繰り返し何度も問題を解くことで、少しずつそれぞれの専門分野の「思考の型」を身につけているわけです。
大学教育がちっとも役に立ったように感じられないのは、「思考の型を伝えているのだ」という点に無頓着な教員が多いこと、学生側が「今は型稽古をしているのだ」という意識を持っていないこと、という二重の不幸が原因です。
本書では経済学の思考の型とそれに付随する思考の技を紹介していきますが、いずれの学問分野においても目標とするのが思考の型稽古であるならば、特に経済学を学ぶ必要はないと思われるかもしれません。



