
- 作者:澤田智洋
- 発売日: 2021/03/03
- メディア: 単行本
Kindle版もあります。
マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう(ライツ社)
- 作者:澤田智洋
- 発売日: 2021/03/03
- メディア: Kindle版
「澤田さんには、目の見えない息子がいる。僕はそれを、うらやましいとさえ思った。」佐渡島 庸平氏(コルク代表)
日本テレビ「シューイチ」、NHK「おはよう日本」などにたびたび出演。本書の著書は、SDGsクリエイティブ総責任者ヤーコブ・トロールベック氏との対談をはじめ、各界が注目する「福祉の世界で活躍するコピーライター」澤田智洋。
こんな話があります。「ライター」は、もともと片腕の人でも火を起こせるように発明されたものでした。「曲がるストロー」は、寝たきりの人が手を使わなくても自力で飲み物を飲めるよう作られたものです。それが今では障害者、健常者、関係なく広く利用されています。障害者にとって便利なものは、健常者にとっても便利だからです。
つまり、「すべての弱さは社会の伸びしろ」。ひとりが抱える弱さを起点に、みんなが生きやすい社会をつくる方法論。それがマイノリティデザインです。
※ライツ社さまから、本を贈っていただきました。感謝とともに、明記しておきます。
「弱さを生かせる社会をつくる」ああ、良い言葉だなあ、素晴らしいなあ、って思う一方で、僕は「ああ、またこういう綺麗事か……」と心の中で身構えていました。
僕自身、医療の世界に身を置いていて、献身的に「弱者」に尽くす人を大勢みてきたけれど、「弱者を食い物にして『ビジネス』として搾取する人たち」や、「弱者であることを声高にアピールして不当な利益を得ようとしている人たち」も少なからず目の当たりにしてきました。
理想に燃えていたはずの人たちが、どんどん疲弊し、あるいはお金を稼ぐという面白さにとらわれて、変わっていくのです。いや、僕自身も、変わってしまったし、変わり続けてもいる。たぶん、よくない方向に。
著者の澤田智洋さんは、スポーツが苦手で、子どもの頃から日本と外国を行き来する生活をおくっていて、「日本にいても、外国にいても、自分が異物のように感じていた」と仰っています。
広告=言葉の力に魅了され、広告代理店に就職し、試行錯誤の末に、仕事が少しずつ評価されるようになり、自分の居場所を見つけた、はずだったのです。
ところが、そんな澤田さんの人生に、ある「転機」が訪れました。
2004年に新卒で広告会社に入社し、コピーライターという自分が望むクリエイティブ職に従事することができていました。渋谷駅のハチ公前の大看板に、自分の考えたキャッチコピーが掲載されている。自分の企画したCMがテレビで放送されて、多いときには8000人にリーチしている。充実した毎日を送っていた。はずでした。
時は流れて、僕ら夫婦に1人の息子が生まれました。よくミルクを飲んで、よく泣いて、よく笑う。寝不足の日々が始まりましたが、かわいくてしかたがありませんでした。でも、3か月ほど経った頃、息子の目が見えないことがわかりました。
終わった、と思った。
見えない子って、どうやって育てたらいいんだろう。恋愛ってするのかな。幸せなんだろうか。その日から、仕事が手につかなくなりました。
僕の主な仕事は、映像やグラフィックを駆使して、広告をつくることです。それって、つまり、僕がいくら美しいCMをつくったとしても、視覚障害のある息子には見ることができないということ。
「パパどんなしごとしてるの?」と聞かれたときに、説明できない仕事をやるのはどうなのか。僕がやっている仕事なんて、まったく意味がないんじゃないか。
なにをすればいいんだろう? どう働けばいいんだろう? 32歳にして僕は、今まで拠り所にしていたやりがいをすべて失い、「からっぽ」になってしまったんです。
僕はこれを読んで、自分の子どもが生まれてくるときに、「とにかく五体満足で生まれてきてくれれば十分だ」と願っていたことを思い出しました。
結果的に、僕の願いは叶ったわけですが、それは「運がよかった」だけでしかない。でも、僕はその「運がよかった」ことを、なんだか当たり前のように思い込んでしまっていたのではないだろうか。
澤田さんは、息子さんの障害に直面して、打ちのめされつつも、「障害を持っていても、幸せに生きている人」のロールモデルを探すために、大勢の人に会ったそうです。そして、考えた。誰にでも、ある一定の確率で起こりうる「不運」で、幸せになれないというのは、「社会」のほうに、問題(あるいは課題)があるのではないか、と。
広告会社では、「強いものをより強くする」仕事が多い。だけど、もし「弱さ」にもっと着目したら。「弱さを強さに変える」仕事ができたなら。
目が見えない息子は、いわゆるマイノリティです。でもマイノリティだからこそ、社会のあらゆるところに潜んでいる不完全さに気づくことができるかもしれない。「ここ、危ないですよ!」「もっとこうしたほうがいいですよ!」と。その穴を埋めることで、健常者にとってもより生きやすい世界に変えることができるかもしれない。
だからこそ、「弱さ」という逆風そのものを、追い風に変えたい。そしていつか、「弱さを生かせる社会」を息子に残したい──。
「マイノリティデザイン」──マイノリティを起点に、世界をより良い場所にする。このちょっと仰々しい言葉が、僕の人生のコンセプトになりました。
澤田さんは、子どもの頃、スポーツが苦手で、体育の授業がイヤでしょうがなかったそうです。
僕もずっとスポーツができないことにコンプレックスを抱いていたので、それだけで共感せずにはいられませんでした。
昔、『ちびまる子ちゃん』のアニメのなかで、まる子がマラソン大会がイヤでイヤでしょうがなくて、マラソン大会の前日に「明日のマラソン大会が終わっても、また1年したらマラソン大会……」と、今年のマラソンの前から、来年のマラソン大会に憂鬱になるエピソードがあって、「ああ、僕と一緒だ……」と思ったのをよく覚えています。
澤田さんは「運動音痴」という言葉がよくなくて、「スポーツ弱者」と定義することによって、世界が変わるのではないか、と考えたのです。