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二都構想で令和維新の実現を

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【明治維新と東京奠都】

実は明治維新を迎えて、どこを首都にするかで大きな論争があった。

初代将軍徳川家康以来、十五代二六〇年続いた江戸幕府は、ペリー来航による混乱の中で、欧米列強による圧力で開国する。江戸幕府と薩摩藩、長州藩など倒幕派による戊辰戦争で徳川幕府は滅び、江戸城が無血開城されたのはご承知の通りである。

この江戸城の無血開城によって、江戸すなわち東京が明治維新政府の首都になったと思っている人が多いが、そう簡単には事は運ばなかった。江戸城開城の時点では、新時代の首都をどこに置くか決定していなかったのである。

明治新政府は明治天皇を中心(主体)とする政治体制を想定していたので、京都の人々は当然御所がある京都に政治権力が戻ってくると考えていた。

一方、新政府の中心人物である大久保利通は、商業都市として繁栄し京都にも近い「大阪遷都」を提案している。また他方では、京都と江戸の両方を首都とすべしという「東西両都論」も検討された。

そうした中で、新たな提案が起こる。新政府に招かれ、後に日本の郵便制度を創り上げた前島密が「江戸遷都」を主張し、大久保に建言したのである。その理由は次のようなものだ。

  1. 江戸湾や横須賀などの良港がある。
  2. 大阪市街より江戸のほうが広く、都市開発をしやすい。
  3. 新時代に蝦夷(北海道)の開発は不可欠であり、江戸のほうが近い。
  4. 江戸にある大名屋敷や官庁をそのまま新政府の役所に利用することができ、江戸城を皇居にあてがうことができる。

つまり、江戸に首都を置いたほうが、地政学的に有利であり新たな開発もしやすい。さらに、財政難に直面していた新政府にとって、大名や幕府が使っていた建物を利用でき、それまでの政治権力の象徴であった江戸城を、新しい時代の最高権力者でもある天皇の住まいとすることもできるという提案であった。

深刻な財政難の中にあった新政府は、新たな施設建設をする余裕もなく、この前島密の提案を受け入れることになった。こうして、江戸無血開城から数カ月後に、江戸は「東京」に、江戸城は「東京城」に改称されたのである。

写真)前島密
出典)国立国会図書館「近代日本人の肖像」

さて、明治天皇が江戸城(東京城)に入城したのは、東京と改称されてから二ヶ月後の明治元年(一八六八)十月だ。ただし、その時点で江戸城が皇居になると発表されたわけではない。東京を首都に据えることは既定路線だったのだが、天皇の住まいを京都から東京に移すことを発表すれば、京都市民の反発は必至であった。そのため、新政府は天皇が地方へ外出する「行幸」という名目で、天皇を江戸城へ迎え入れた。

最初の行幸の際は、天皇はわずか二ヶ月しか江戸城に滞在しておらず、翌明治二年(一八六九)三月に二度目の東京行幸を実行し、江戸城が天皇の住まい(皇居)兼政務の場になることが表明された。このとき「東京城」は「皇城」へと名称を変えている。こうして、江戸城が皇居となり現在に至っている。

ちなみに、都を移すことを遷都というが、明治政府は結局一度も「東京が首都である(京都はもう都ではない)」とは発表していないため、「東京奠都(都を定めるという意味)」と呼ばれることもある。京都の人々の中には、今でも「明治維新のときに、天皇を東京にお貸ししただけで、いつ返していただけるのか」とかなり真顔で言う人もいる。ただし結果的には、天皇の江戸城入城をもって、東京に遷都したというのが実態であろう。

これが、天皇皇后両陛下のお住まいである皇居が、京都から東京に移転した経緯である。

写真)東京都
出典)Frédéric Soltan/Corbis via Getty Images

【文化の首都、関西奠都で日本再生】

ここで「首都」の定義とはどんなものであるか考えてみたい。

そもそも我が国には首都を定めた法律がないし、国際的にも明確に定義されていない。

一般的に首都とは、その国の中心となる都市のことを指す。ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首などの国の最高指導者が拠点とする都市である。しかしながら、この二つの条件が同じ都市に存在しなければならないわけではない。前述の通り、日本でも歴史上、国家元首(天皇)と政治権力(幕府)が分権され、異なる都市に置かれていた時代、すなわち鎌倉時代、江戸時代の経験がある。

さらに日本の歴史の中で、天皇という国家元首的な権威の象徴が、大阪、奈良、京都という関西にそのルーツをもっている。特に京都は八世紀の平安京以来千年以上に渡り天皇が居住し、京という都が日本の歴史の中心にあったのは紛れもない事実である。

こうした歴史を考えると、国家の象徴であり、日本の歴史・伝統・文化の中心にある天皇は、そのルーツである関西にあるのが自然な姿であろう。その場合、皇居の所在は京都に決めつけるのではなく、大阪・奈良・京都の近辺に適地を見つけ、新たな皇居を建設してはどうだろう。日本の伝統建築技術や近代技術の粋を集め、国民や企業・団体からの寄付によって新しい時代の皇居と関連施設を建造し、関西を文化の首都に位置づけ発展を目指すのである。

この構想に対しては、皇居が関西にあると国会の召集や大臣の任免など憲法に定められた国事行為に支障をきたすという反論もある。しかし、リニア中央新幹線が開通すれば関東と関西の移動時間はさらに短縮されるし、現在の皇居施設も継続して使用すれば対応は十分に可能であろう。

日本は明治維新以来、強力な中央集権体制の下で、近代国家を建設してきた。この体制の中で政治・行政のみならず、経済・情報(メディア)・教育・文化などすべての分野で東京一極集中が過度に進行し、東京首都圏の超過密、地方の超過疎という極めていびつな国家構造を生み出し、国力を減退させ国民を疲弊させている。

「なんでも東京」という国家構造をどこかでぶち壊さなければならない。その第一弾として、日本文化の象徴であり中心である天皇と皇居を、そのルーツである関西に移し、奠都によって二都構想を実現する。政治の首都=東京と文化の首都=関西、という二つの車輪で日本を牽引し発展させる。具体的には、二つの首都を明確に定義し規定する「首都制定法」(仮称)をつくるべきであろう。

こうして関西が文化の首都と位置づけられれば、それに伴って新たな求心力が生まれ、経済や社会にも新たな分散化・分権化の動きが始まり地方創生に繋がる可能性が期待できる。

集権化、画一化による殖産興業を目指す国のかたちから、分権化、多様化、地方創生を目指す新しい時代の国のかたちに転換していく。その第一歩が、天皇と皇居の関西奠都、政治の首都=東京と文化の首都=関西による二都構想なのである。令和維新に向けて国民的な議論が起こり、実現に向けての検討が始まることを願ってやまない。

(了)

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