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無意味な『最低賃金制度』論争

リンク先を見る 『時間給』というものがある。誰もが知っている日本の給料制度の根幹になっている概念であり、日本企業の多くが採用している月給制というものもこの『時間給』が基になっている。
 つい最近でも、政治の世界において「最低賃金制度」の有無なるものが議論の俎上にのせられていたが、これなども突き詰めて考えれば『時間給』論争であると言える。
 
 人間(労働者)の仕事量を計る概念として長く用いられてきたこの『時間給』というものは、マルクスが説いた「労働価値説」が基になっていると言われることがある。「労働価値説」とは、簡単に言えば「人間の為す労働は皆等しい」という平等思想を基礎にした理論である。

 「産業革命」後のマルクスが生きていた時代(1800年代)は、まだ農業が中心であり、高度な機械文明が花開いていなかったため、人間個人が行える仕事量にはそれほどの違いは無かった。
 しかし、現代のように、産業革命を通り越して情報革命の時代に突入してしまうと、人間個人の才能や経験、努力如何によっては、個人の仕事量は数倍どころか、数十倍、数百倍、あるいは根本的にその仕事が“できる”か“できない”かという違いまで生じることになり、「労働価値説」は時代遅れの遺物となった。

 「人間の為す労働は皆等しい」という言説は現代では名実共に化石化したわけだが、マルクスの思想自体が半ば“信仰”と化していたこともあり、「人間の為す労働は皆等しい」という形骸化した教義だけは未だに残っている。特に高度経済成長期にはマルクスの仮説が成り立つかに見えた時期(労働における価値を考えなくても経営が成り立った時期)が存在したため、マルクスの思想が正しいと思い込んでしまった日本のインテリ(と称する左翼学者)達は、歪んだ平等思想を世間に流布する役目を果たすことになった。

 既に20世紀の工業革命の時代から、「人間の労働は皆等しい」というような誤った言説は建前としてしか通用していなかったわけだが、21世紀を迎えると、個人が生み出す労働価値の違いが更に明白になってしまった。恰もデジタル社会を象徴するかのように明暗(0と1)がハッキリと出てしまったとも言える。
 
 高度経済成長期からバブル経済期にかけては、日本経済は時代的幸運が手伝ったこともあり、多くの日本企業は『時間給』を基にした給料制度(=月給制)でも充分な利益を得ることができた。逆に言えば、月給制にすることによって、その時代の労働者達はその時代本来の労働対価を得ることができなかったとも言える。
 現代の左翼政党が、「企業の内部留保」という言葉を使用しているのは、その時代の名残りであるとも言えるが、これも既に妄想と化していることは言うまでもない。

 日本のバブル経済が一度、終焉を迎えると、企業にとっては有り難かった『時間給』というものは、徐々にその有り難みを失い、ついには、企業にとって有り難迷惑な給料制度に変貌してしまうことになった。(労働者にとっても有り難迷惑だと言えるかもしれないが…)
 経済のグローバル化に伴って、日本の人件費が世界的にも割高になると、『時間給』を満たす程の仕事量をこなすことができない人々が増加した。そして、仕事量が足りない労働者を庇う形で都合良くリスクヘッジ要員と化していた有能な労働者達が行うべき仕事の確保(受注)も難しくなり、互助的な労働システム自体が成り立たなくなってしまった。
 このため、その『時間給』を採用している企業では、至る所で様々な矛盾が生じることになった・・・というのが、現代の多くの日本企業が抱えている大問題でもある。

 以上のことを踏まえた上で「最低賃金制度」の話に移ろう。

 世間には「最低賃金制度は必要だ」と言う人がいるが、賃金などというものは、物価や為替などの時代的背景によっても変動するものなので、例えば、800円が最低賃金だと言っても、5年後、10年後にはどうなっているか分からない。それに、先にも述べた通り、個人が行える仕事量というものには大きな差が有り、時間では計れない仕事というのも多々有るため、極めてアバウトな取り決めに成らざるを得ない。800円ならOKで790円ならNGにする明確な理由を説明できる人がいるだろうか? おそらく誰もいないだろう。

 私が思うに、「最低賃金制度」の有無以前に、そもそも「最低賃金の高低」を論じること自体が可笑しいのではないかと思う。
 世間一般の「仕事は時間で計れる」という常態化した認識(=常識)そのものを変えない限り、「最低賃金制度」の有無を論じること自体が時間の無駄だと思える。

 要は、「仕事は時間では計れない」ということである。時間では計れないものを無理矢理に時間で計ろうとするから無理が生じることになる。本来、仕事の価値(対価)というものは、仕事の質と量で計るのが自然な姿のはずで、時間で計るというのは不自然な姿だということを知る必要がある。

 あなたは、1時間に300円分の仕事しかできない人が「最低賃金を800円にしろ!」と言っている姿を見た場合、どう思うだろうか? その答えこそが、最低賃金制度というものの本質を言い表わしている。
 300円分の仕事をした人には300円しか支払えない。残念ながらこれは子供にでも理解できる経済の基本原則である。(会社の利益や諸経費等の人件費は考えないものとする)
 そういった基本原則が無視されてきたのは、日本の景気が良かったから。この一言に尽きる。経済成長というものは、時に経済の基本原則をも見失わせるほどの効用があったということだろう。そういう意味では、現在の日本に必要なのは、やはり経済成長以外に無いということになるが、皮肉なことに、左翼の人々は潜在意識的に経済成長を好まないという悩ましい性格を抱えている。
 これと似たようなことはハイエクも言っていたそうだが、彼ら左翼が好き勝手なことを言えるのは、経済成長があってこその幸運だったのだ。
 
 300円分の仕事しかできない人が、時給800円で雇用されるとどうなるか? 通常の会社であれば、残りの500円分を補うことを要求されることになる。早い話、個人の能力の3倍近い労働を要求されることになる。それができればいいが、できなければ、過労死寸前まで働くか、辞職するしかないということになってしまう。
 そういう問題があるので、企業は初めから800円分以上の仕事ができると思われる人以外は雇わなく(と言うより雇えなく)なる。そうなるのは、企業が悪いと言うよりは、最低賃金制度という法律が悪いと言った方が正解だろう。

 「300円の仕事しかできない人には300円しか支払えません、しかし、入社後、500円、800円、1000円の仕事ができるようになれば、それだけの昇給を行います。

 企業がこう言える労働環境であれば、300円の仕事しかできない人(新卒者も含まれる)でも、その企業に入社でき、本人の努力次第で給料も上がっていくが、初めから800円分の仕事を要求されると、雇用される人物は限定されることになり、300円の仕事しかできない人は実際に仕事力を磨くという努力そのものを否定され、就職できずに、己の身の丈以上にある「800円労働市場」という名の高台に登ることができず、職が無いという暗闇の中を彷徨うことになってしまう。これが弱者に優しい労働政策と言えるだろうか?

 もちろん、身体の不自由な人などを補助する制度(最低賃金制度も含む)というのは必要だが、なんのハンデもない健常者まで同様に弱者扱いすると、おかしなことになる。
 つまりは、「人間の為す労働は皆等しい」とする平等思想の矛盾が、企業への就職門戸を狭めるという悲劇を生んでいるということである。
 基本的には、「本人の仕事能力と給料は比例する」という当たり前の給料制度にすることが望ましい。そういった公平な給料制度こそが、実は結果的に最も弱者に優しい政策になるのである。

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